メンバーとは(前編) | ツケマイせんせいの哲学する麻雀

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戦術とかコラム的なもの。あとボートレースとか色々。

雀荘で働く人をメンバーといいます。



僕もメンバーをかれこれ2年ほどやってきました。



色々とその中でこの仕事について思ったことを書こうかと思います。



メンバーをどう捉えるか、大きく2通りに分けられるんですね。次に出てくる2人はその典型例だと思っていただいて構いません。





A『メンバーとは接客業である』



雀荘の主な売り上げはフリーのゲーム代とセットの貸卓代である。メンバーの給料はお客さんの財布から出ている。また、立場としてお店に雇ってもらってる従業員でもある。ゆえにメンバーはお店の売り上げを第一に考えなければいけない



そのためにフリーで本走(フリーの卓に入って打つこと)に入ったなら、お客さんにできるだけ長く打ってもらえるように打ち方を斟酌しなければならないし、またご来店してもらえるように楽しませなければならない。間違ってもお客さんに嫌われてはならない。



そうやってお店の売り上げを最大になるよう努力することが、オーナーや店長から認められ、またお客さんからも好かれ、結果的にまわりまわって自分の利益にもなるのである。



もしも自分のことだけしか考えないで麻雀を打っていたら、嫌われてしまって本走に入れないどころか、お客さんも少なくなる。そうするとメンバーの同卓率が増えてお互いの給料を食い合うという最悪の結果にしかならない。



メンバーは本走に入るときにゲーム代を払っている。だからメンバーにとって理想とはフリーがお客さんでいっぱいで麻雀を打たないでいい状況のことである。それをできるだけつくって全員のメンバーの給料を安定させてこそ良い雀荘といえる。



自分さえよければそれでいいというようなBのようなやつが1人いるだけで、この理想の形からは程遠くなるということを知ってほしい。




B『メンバーとは打ち子である』



メンバーは従業員というが、はて、どこの世界に店の売り上げに直接お金を払って貢献してる従業員がいるだろうか。もしも販売業の従業員に会社が売れ残りを買い取るように強制させていたとしたら、ブラック企業だと叩かれる時代だ。



それと比するに、ゲーム代を毎日払うメンバーは日常的にお客さんとして買い取る立場にいるようなものだ。これはそもそもブラックですらなく、それ以前にメンバーは従業員ではないという証だ。



なぜ雀荘の店員をメンバーというのか、それは麻雀を打つメンバーだからである。自分たちはこの悪条件で給料をもらいにくるという不安定な立場にいる。もちろん本走以外でも立ち番等の仕事はある。時給は出ているのだから当然その分はしっかりと働かなければいけない。



しかし自分たちが本走に入るのは、単に次のお客さんがくるためのつなぎというだけだ。卓についてすることは麻雀である。麻雀では様々なことが起きる。いろんな価値観のお客さんがいる。いちいち手心を加えて打つことまでは自分たちの仕事内容には入っていない。もしもそれをメンバーに徹底させたいのであれば、ゲーム代も取らず勝ち負けも店持ちにして打ち方を教育をするべきではないか。それをしないのは、お店がメンバーを半分お客さんとして扱っていることの証拠だ。



だからメンバーは売り上げのことを考える立場にない。それを考えるのは店長やオーナーの仕事だ。そうである以上、自分は自分のために最大限努力する権利がある。店の売り上げのために打ち方を曲げて負けて、自分の給料を減らすなどとてもできるわけがない。自分さえよければとAはいうが、麻雀はそういうゲームだ。



それに店の売り上げが上がって喜ぶのは店だけだ。自分たちに何か残るわけではない。メンバーは明日がない仕事だ。雀荘で上にいく気持ちがない限りメンバーは10年経ってもメンバーだ。そのときもまだ、お客さんの顔色を気にして手加減する麻雀を打っている人生など、自分には意味がないように思う。




他の仕事はきちんとする。愛想もできるだけよくする。だけど麻雀だけは手を抜かない。メンバーという不安定な仕事も、お金とプライドのために努力できるからこそやる価値があるものだと思う。



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長くなったので僕の考えは後編にかきます。