6月、長男の療育手帳の更新期限を迎えた。


もたもたしていた私は(宿題は8月下旬まで取っておく…そいつが、オレのルールだぜ)、6月某日に手帳更新のための発達検査が子ども家庭センターで受けられることになった。



長男を連れて子ども家庭センターを訪ねた、迎えてくれたのは、若い男性の心理士。


今までは女性の心理士ばかりだったので、珍しいと感じた、良いお兄さんという雰囲気を醸し、長男は大人しく彼に連れられていった。


補足だが、長男はあまり人見知りをしない、人に興味がある方ではないが、初見の人にも怖気づかないのは彼の強みであろう。(興味が無いからかしら?)



私にもテストの冊子が渡され、各項目の長男のできる・できないのマルバツにマークを付けていく。


1時間ほどそうして過ごしただろうか、長男と心理士が検査を終えて、待合スペースにやってきた。


そして、今度は私への聞き取りである。


その後、検査結果が出るまでそう広くない部屋で待った、30分くらいだっただろうか、長男と一緒に来ていた次男は暇をもて余し、三男は抱っこ紐の中である…思い返せば、とんだ地獄絵図である、良く耐えた、私。



さて、結果であるが、意外なものであった。


検査はいつもK式だが、去年のDQは57の軽度知的障害、今回はDQ77であった。


なんと、グレーである。



とはいえ、これにはカラクリがあって、きたる5月に保育所で行われる巡回相談で、発達検査が行われていた、おそらくこれが影響している。


ちなみに、その時の結果はDQ68。


つまり、暗いグレーは暗いグレーさ、という正確さを欠いた結果となった。


(最近、ネタを明かさずに浅井健一さんの曲をさり気なくブログに入れているが、誰にも伝わっていないと思うので解説する、『暗いブルーは暗いブルーさ』という曲がある)



とはいえ、以前のブログに書いたが、IQよりDQよりQOL、クオリティ・オブ・ライフが重要であることは私の信念である。


だから、この数字にこだわりたくない。


だが正直、この数字が嬉しくはない、なぜなら彼の育て難さや彼自身の生き難さは確かにあるはずなのに、この数字だとそれが私や彼の努力不足を示しているように感じるからだ。


心理士の話では、今回は療育手帳が更新されることになったが、今後、DQが上がって知的障害が認められなくなれば、自閉スペクトラム症で精神障害者手帳を取れるだろう、とのことだった。


とりあえず、今回手帳が更新できたことはほっとした。



とはいえ、とはいえだ、手帳についてはある限り存分に使わせていただく、なぜなら、手帳を使って動物園に行ったり博物館に行ったりすることは、障害児でも人並みに知的好奇心を満たすための活動をしても良いという肯定を与えられるものと私が見做していることに加え、たとえ長男が楽しめなくても、「定価払って無いからええわ」と気持ちに折り合いが付けられるためである。


(関西人がケチなのではなく、私が個人的にケチであることは関西人の名誉のために補足しておく、ただ、あらかたの関西人はケチである)


話が逸れたが、とはいえ手帳についてはオマケみたいなもので、先日からツラツラと書いている長男の就学先について、重要な課題が生じてしまった。


DQが、まごうことなき知的障害の水準ならば、支援学校を悩まず選択できたであろう、しかし、今回なんと暗いグレーが暗いグレーなDQをはじき出してしまった。


いや、私の目に映る長男は、はっきりブラックなのだが、黒って200色あんねん、ほんまに。


しかし、黒は黒でも、前回の57から今回の68(あるいは77)という結果は、彼は〈意外と勉強に向いている〉と私に考えさせるには十分だ、3歳頃から発語を始めたことを思えば、2、3年での語彙力が伸びは可能性を感じさせる、贔屓目に見てであるが。


ならば、あと半年あれば、支援学級で学ぶだけの能力を身につけることもできるのではないか、と私の心は揺れ始めた。


DQよりQOLと言った舌の根も乾かぬうちに、DQに囚われ始める私は、所詮未熟者である。


(以前のブログをわざわざ先方のブログで取り上げて下さった方がいらっしゃり、そこに「自分の頭で考えろ」とご教示いただいたのだが、自分の頭にめっぽう自信がないので、やはりスペシャリストに教えを請いたいと思う、答えを教えてほしいのではなく、考え方を教えてほしいのだ)



就学について、今のところ答えが出る兆しはないのだが、今は悩むために時間を遣いたい、決して無駄ではないはずだ。