先日、第3子となる三男を出産した。

写真は、SHERBETSのアルバム『Same』のジャケットとセイムな写真を撮りたい! と産前から息巻いていたものを満を持して決行したものである。

協力してくれた三男には感謝しかない。


ここからは、ヤナギブソン風に言うと、「誰が興味あんねん」という話だが、私と子宮の物語である。

私は初潮が早かった。

生理という言葉を知らなかったときに初潮を迎え、私の母は可哀想だと当時思っていたらしい。

そして、歳を重ねるごとに生理が重くなり、小学校高学年から中学、高校にかけて、生理痛で嘔吐したり、保健室で苦しみながら休んだりすることが度々あった。

(大学はさぼ…休まざるを得なかったり)

保健室のベッドの上で、賑やかな他の生徒の声を聞きながら、こんなに苦しい思いをするなら、子宮など取ってしまいたいと何度も思った。

私は、将来子どもが欲しいとは当時全く思わなかった。

私は友達もいないし(現在もだが、補足するがいた時期もある)、人とうまく関係していくのが苦手であるし、その性質が〈なんとなく〉遺伝して、我が子も同じ生きづらさを感じるのならばそれはさせるべきではない(子を持つべきではない)と思っていた。

当時は、自閉症なども知らなかったし、私の生きづらさが私の自閉的な性質(今でも診断を受けたわけではないが)からもたらされるものであるとか、自閉症が遺伝する(※)ことなど知らながったが、〈なんとなく〉このように考えていた。

※ある書籍によると、自閉症的な遺伝子はひとつではなく、複数あるそうで、それも「古い」遺伝子だそうだ。つまり、昔から淘汰されずに自閉症は表出したりしなかったりで引き継がれている、人類にとって不可欠、あるいは不可分なものだと私は思っている。


社会人になったとき、脂汗が出るほどの生理痛に見舞われ、仕事を早退して産婦人科を訪ねた。

その時は特に診断などは受けなかったが、子宮内膜炎っぽいということで、ピルを処方された。

なんとなくこの頃から、私は妊娠しにくいのではないかと考えていた。

当時は、それは全く問題ないと思っていた、やはり子どもの頃から変わらず、子宮など取ってしまってもいいと思うほど、子どもを持つ気持ちがなかったからだ。


ところが、夫と結婚後気がついたのだが、私の子宮は、私を生理痛で長年苦しめた割に、健康であったようで、4回の妊娠と3回の出産を経験させてくれた。(1度流産している)

それも、出産は全て帝王切開である。

私が私の子宮なら、健康であるにもかかわらず3度もメスを入れられるなど、理不尽な仕打ちに他ならぬと叫ぶだろう。

しかし、子宮は我が子らのために黙って切られてくれ、実は今回の3回目の帝王切開では、子宮が残らないことも覚悟していたのだが、無事に体内に留まってくれた。

(再度の妊娠出産が可能なのかどうかはわからない、試すのも怖いし予定もない)

あれだけ子宮など要らぬと思っていたのに、気が付くと戦友のように、私と我が子らを育てて、生きて外へ出してくれた、今となれば感謝しかない。



子を持つ、子を育てるというのは、楽しいことも多いが、辛いことや大変なこと、疲れることも多いし、生活が一変し、自分の時間を大いに奪われる。

しかし、それでも子を育てるのは、経験してみるべきだと私は思う。

時々、我が子を抱く私の手に、母の手が重なって見える。

何億円もかけて宇宙の小惑星に行って、石ころを拾い、その石ころから見つけようとしているのは、地球の起源である。

それと同じように、私が母と重なるとき、我が子に投影された私を見つけることができる。

私の知らない私の起源を、我が子から見出すことができる。


遺伝したら嫌だと思っていた自閉的な性質を、見事に遺伝して生まれてくれた長男は、私の起源と宿題を教えてくれた。

どれだけお金と時間が子育てにかかったとしても、これらを得たことはお金と時間以上の価値があると確信している。


最後に、SHERBETSの『Same』の1曲目『MIA』より。

「生まれた時 部屋の窓から 見えてた空

知ってるはず その香りがお前自身」

詩人ベンジーの本領をまざまざと感じさせるフレーズ。

三男と見た窓の外の空を私は忘れないだろうが、三男はきっと、この空を思い出し、自分の香りを探すために、長い人生を始めたのだ。