最近、久しぶりに絵を描いた。
私は、20年ほど前からデジタルアートばかり描いていた、当時はお金のない中学生だったので、なけなしの貯金やらお年玉やらで、清水の舞台から飛び降りる思いで、ComicArtCGIllustという6,000円ほどのソフトと、ワコムの6,000円ほどのペンタブレットを購入して描いていた。
(高校生になったときに、ちょっとアップグレードする)
デジタルアートの利点は、準備と片付けが非常に簡単、表現の幅が広く、クリックひとつで色が塗れ、修正も簡単、加筆も簡単、明度や彩度も調整可、初期投資以外は費用がかからないなどなどあるが、私が考える一番の利点は、完全な複製が可能であることだ。
アナログの絵を複製する場合、それを何らかの方法でデジタルデータにする。
アナログの絵というのは、たとえば水彩画ならば、絵の具の赤と青をちょんと取って、白をとばっと混ぜて、水で伸ばして紙に乗せる。
その時にできた色は、似た色を作ることはできても、同じ色は二度とできない、たとえ、絵の具の量が正確に同じだったとしても、混ぜようや水の量や紙の吸収やその日の温度や湿度や、さまざまな要素にコントロールされる。
つまり、アナログにおいては色は無限に存在するが、それをデジタルデータにする時、#C8C8FFなど、何万色のうちの〈似た色〉に置き換えられる。
そして、紙などにプリントアウトする時、プリンタの性能に色の表現が左右される。
素晴らしい印刷技術はあるが、完全に元のアナログ絵を再現するのは不可能だ。
高校生の時、岡山県の大原美術館でグレコの「受胎告知」を見たのだが、絵の前の私が雷で撃たれた気分だった。
美術の資料集か何かで当該絵画は見たことがあったのだが、全く別物だった、それが鮮やかさか、筆の運びか、何が原因なのか私にはわからなかったのだが、とにかく違う。
絵を複製する時、アナログ絵は何万や何億の〈情報〉が失われている、その点、デジタルはデジタル上でやりとりするに当たっては失わない方法がある。
しかし、デジタルにも不利な点はある。
また昔話をするが、中学生の頃、父に連れられ大阪の日本橋に行った。
当時はオタク街というよりは電気部品を扱う店で溢れていたが、そこで私が見たのは、中古のパソコンモニターが同じWindowsの画面が映されていた様子だった。
そこで目の当たりにしたのが、モニターによって色味が全く違うことである。
当時のモニターといえば、猫のベッドになりそうな巨大なハコで、経年劣化も激しかったのだろうと思う。
それにしても、すべてのモニターが、赤っぽかったり青っぽかったり、各々の発色をしていた、当時、私はパソコンで絵を描いてプリントアウトしていたのだが、モニターと印刷物の色が違いすぎて調整に苦難していたが、その時やっと、その理由がわかった。
時々、ネット通販のレビューで、「写真の色と実物の色が全く違う」などと低評価しているものを見るが、そりゃそうだ、それぞれのモニターによって表示される色味が違うんだから、と内心思う。
つまり私が言いたいのは、#C8C8FFにしたって、モニターによっては藤の色にもぶどうの色にもなる可能性があるということである。
自分の制作したものが、相手のモニターには意図したように表示されないこともあり得るのだ。
とはいえ、デジタルデータの複製性というのは、ネット上で自作品を公開したりやりとりしたりなどにおいては大きなポイントだと思っていたのだが、最近はNFTアートなど、実は私は全く詳しくないので推測で述べるのだが、デジタルアートがアナログの絵画のように〈一点もの〉として売買されるようになっているようだ。
子どもの描いた簡素なデジタルアートまでもが、投資目的で高値でやり取りされたりしているらしい、もちろん、絵の価値というのは(どんな手の込んだものでも落書きであろうとも)、お金を出す人が出した金額によって決まるものであるし、私が眉をひそめるのは筋違いだと理解している。
その一方、AIが、まるで人の手で制作されたようなデジタルアートを一瞬で生成することもできるらしい。
デジタルアートは私は大好きだった、だが、本来の複製性が失われ、人が生み出した〈本物〉かどうかも疑わしくなってきた。
だから、ふと紙に向かいたくなった。
とはいえ、アナログのアートは大変だ。
私は実は、水彩画がめちゃめちゃ苦手だった、そこで出会ったのが、ホルベインの不透明水彩である。
ホルベインというメーカーだが、国内のメーカー、もっといえば、大阪のメーカーで、製造地の2箇所は我らが東大阪らしい、と、ネットで購入してから知った。
薄めて重ねたり色同士をぼかしたりすることも、濃い目に絵の具を溶いて、色を乗せることもできるので、水彩とアクリルガッシュのいいとこ取りのような性質である、お値段はちょっと高いが…
アナログアートというのは、わざわざ説明するものでもないが、間違いなく一点もので、AIではなく人の手で作られるものだ。
そして、見え方がモニターの表現度にコントロールされることもない。
だからあえて、描いてみようと思った、すごく時間はかかるし、悩ましいのが、理想の色を出そうとすればするほど、混色によって彩度が下がり、理想が遠のいていく。
昔は気付かなかったのだが、デジタルアートを通ったために、アナログでは彩度がこうもコントロールできないのかと実感している。
今ならスーラが点描にこだわった理由がわかる、ただ、私は絶対やらないが。
とはいえ、いろいろ忙しくて(言い訳)、年に1枚、市で行われている文化芸術祭というイベントに向けて描くのに終始している。
今年も、搬入前日になんとか仕上げたという有り体である。
PONTIACSの『FRENZY』がお気に入りだ。
「時代に乗り遅れるななんて
言ってる奴 多分たいしたことないぜ」
「I Love We Love Beautiful Day
こんな時代に乗ってられるか
I Love Everything Beautiful Day
こんな時代に踊らされるな
踊らされるな」
ベンジーはいつも良いこと言う。
筆を走らせながら思う、こんな時代は、いつかひっくり返るものだ。