BLANKEY JET CITYのライラックは、名曲のひとつだと思っている。


アコースティックギターの澄んだ音色が、12月の冷たくてきらきらした空気を、今そこにあるように感じさせてくれる。


浅井健一さんはロックなんだけれども、詩人であって、芸術家であって、入り込めるような物語を歌と楽器で生み出している、私は唯一無二のアーティストだと思う。


この「ライラック」は、「クリスマスの4日くらい前」の晴れた冬の日が舞台である。


この歌のとんでもない歌詞、ベンジーが天才だと思う所以は、ライラックという花について語る部分にある。


「ライラックってどんな花…どんな花なのか知らない」


「たぶん赤くて 5cmくらいの冬に咲く花」


「近くで見ると 赤がオレンジに見えるところがあって」


お気づきだろうか。


ベンジーは、ライラックについて、全く知らないし、歌にしようにも関わらず、調べる気もないのだ。


(照井さんと中村さんは、何とも思わなかったのか、すごく気になる)


私はというと、正しいこと、ルールであったり規則であったり法則であったり、に固執し過ぎる傾向にある。


だが、「ライラック」を聞くと、正しいことより心地がいいこととか、感じたこととか、想像したこととか、正誤の外側にあるものを、受け取ったまま受け止めてみるのも、ひとつの生き方ではないか、と思う。



今日はクリスマスの4日くらい前の、12月21日。


奇しくも、全く意識したわけではなかったのだが、私と夫の結婚記念日である。



見切れているが、Precious〜と書いている。

このブログのタイトルといい、Precious(貴重な、大切な、尊い)を濫用しているのだが、これは浅井健一さんの「Sunny Precious」からだ。

この曲が収録された「BLOOD SIFT」には「Very War」という曲もあるのだが、ベンジーのインタビュー記事によると、この英語変?、とバイリンガルドラマーの小林さんに聞いたそうだが、「世の中にはそういう言葉はいっぱいあるからいいんじゃない?」という答えだったそう。

物事は、誰かが考えたことがいつか権威が与えられて、正誤が決まってしまって、誰かが誤った方を選択すると、まるで正義のような顔をした誰かがそれを糾弾する。

だから、あえて、それは皆正しいというけど、本当に正しいの?と、正しくない方を選んでみてもいいんじゃない?と。


遠回りしたが、私がPreciousを使いたがるのは、その考え方に思い至らせてくれたからだ。



結婚記念日にも関わらず、夫のことに触れていないが、夫にはいつも感謝している。

木婚式は一生に一回のPrecious。