ずっと気になっていたヘルプマークを、もらいにいくことにした。



理由は、長男が保育所で遠足に行くことを予定していたためである。

ありがたいことに、保育所内ではいつも先生が長男に目を配ってくれているが、保育所外ではどのように行動するか予期できない。

もし、どこかに紛れて迷子にでもなっても、彼は「迷った」とも「助けて」とも言えないであろう。(名前ももちろん言えない)

ならば、誰かに彼を助けてもらわねばならない。


配布場所は、東大阪市の場合、保健センターや福祉事務所、市役所の障害施策推進課である。

私は、市役所8階の障害施策推進課に向かった。

窓口は、いくつかの部署に分かれているようで、戸惑っていると、すぐに役所の人が声をかけてくれた。

ヘルプマークが欲しい旨を伝えると、すぐに担当者が対応してくれた。

ヘルプマーク、ヘルプマークに貼るシール、ヘルプカード、あとはヘルプマークの使い方が書かれたリーフレットをいただいた。

私は、ヘルプマークの中にヘルプカードが収納できるものだと思い込んでいたのだが、ヘルプカードはシリコンのような柔らかい素材の一枚物のプレートで、ヘルプカードは入らない。

むしろ、ヘルプカードの方が面積が大きいので、どこを取っても入らない。

ヘルプマークには、シールの部分に情報が記載できる。

私の場合、

●名前
●自閉スペクトラム症
●コミュニケーションに困難がある

を記入した。

ヘルプカードには、連絡先やかかりつけ医など、より詳細な情報を記載できる。


目に見える障害、目に見えない障害、どれも違った困難があると思う。

この社会の多くの部分は、健常者が健常者のために作っていて、生きづらさを感じている障害者がいるのは、それは障害に問題があるのではなく、社会に問題があると思っている。

例えば、広々としたドッグランに放りこまれた猫が、フェンスの傍らで縮こまっているのを見て、

「猫はなんてパフォーマンスが悪い生き物なんだ」

なんていうのは、猫にとっては心外であろう。

猫に適した環境(狭い箱があったり、キャットタワーがあったり、空間を見下ろせる高い場所があったり)であれば、猫は自分の力を発揮し、ストレスなく生活できる。

人間だって、健常者だって障害者だって同じことではないだろうか。

最適な環境が用意されていない社会で、障害者が苦労するのは当然だ。

だから、皆がみんな、彼を助けろ、などとは言わない。

せめて、温かく見守ってほしい。

手をヒラヒラさせても、独り言を呟いていても、キョロキョロうろうろしていても、気にしないでほしい。


最後に、

「僕にとってこの世界は 希望なんだ 光なんだ」

浅井健一さんの「だからってさ」より。

長男にとっても、この世界は嫌なものではなくて、希望であり、光でありますように。