前回までのあらすじ。
児童精神科で、長男の自閉スペクトラム症の診断書をもらう。
病院にかかった数日後、再び市役所の障害児サービス課へ向かう。
療育の申し込みに必要な書類は、自宅で一通り記入して持参。
窓口では、すぐに対応してくれた。
書類は私の勘違いで、いろいろ訂正することになったが、丁寧に教えていただき、その場で提出。
病院の診断書はコピーを取って、原本は戻してくれた。
前回窓口で対応していただいた時、私がいかにちんぷんかんぷんで内容を理解していなかったのか、痛感することになった。
まず、児童発達支援申請書を出し、役所で申請が1、2ヶ月後に通り、それから相談支援事業所を探すものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
相談支援事業所でサービス利用計画案ができなければ、支給決定ができないので、まず、そちらから動かなければいけないようだ。
そして、役所からの自宅訪問も必要。
病院の診断書を取るのに3週間かかってしまったのが、必要な時間だと思っていたのが、実はロスだったのか…
役所から帰宅後、相談支援事業所のリストを眺めながら、自宅から近い事業所をピックアップ。
まずは、歩いていける距離にある事業所に電話。
役所の方から聞いてはいたが、定員がいっぱいで対応できないとのこと。
そこまでは想定内だが、電話口の方が、新しい別の相談支援事業所を紹介して下さった。
家から多少距離はあるが、そこではイベントであったり、ショートステイであったり、いろいろな取り組みをしていて、良い印象のようだ。
紹介先の事業所に電話。こちらのこともすでに伝わっていたようで、相談支援も快諾していただいた。
思いの外、うまく事が進んだことに安堵した。
数日後、子どもと家庭の様子を見に、自宅に訪問していただくことになった。
この時、診断書が必要とのこと。診断書をもらうまで動かなかったことを後悔していたが、どうやらどちらにしろ、大した遠回りではなかったようだ。
申込書提出後、市役所からも電話があった。
本来は、役所の方が訪問して聞き取りを行い、子どもの様子を見るそうだが、このコロナウイルス蔓延の情勢を鑑みて、電話での聞き取りと、玄関先で子どもを少し訪ねるだけに変更になったそうだ。
余談だが、「コロナのために」というのをさまざまなところで目にするが、数年後、あるいは数十年後、再びこの記事を見返したらどのような気分になるのか、考える。
こんなことがあったな(過去に終わったこと)なのか、ここから変わったな(過去から始まったこと)なのか。
BLANKEY JET CITYの「15才」の、「いつか今のことが懐かしく 感じるのかもしれないね」というフレーズが、歳を取る毎に重みを増していく。
これを歌ったベンジーは、当時30歳くらい。
今の私と同じくらいか。やはり天才だと思う。
話を戻すが、市役所からの電話で、長男の普段の様子の聞き取りが行われた。
内容は、保育所での心理士による保育相談や、児童精神科の診察の時と同じようなものだ。
どんな遊びが好きか、好き嫌いはあるか、発語の状態、友達との関わり、感覚過敏、こだわり…など。
ふと考えたのだが、このような定型質問テキストブックのようなものがあるのだろうか。
この項目に当てはまったら◯点、計◯点で発達障害と判断、というような…
聞き取りは30分弱で終了。あとは数日後の訪問となった。