午前中は、「よもぎ蒸し」をしてもらいに太宰府へ。
途中で買ったローソンのコーヒーカップがおしゃれ♪

カップのデザイン、たまに変わるから楽しいよね(・∀・)
出社前のランチは「むさしの森珈琲」。


1人でも入りやすいし、長居できるから便利である。
会社に向かっていると、自衛隊の仮免練習中の大型車が。

駐屯地の近くならではの光景である。
このあたりに住んでいる人は見慣れているのだろうが、たまにしか見ない者にとっては「おっ!」と思う光景。
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仕事を終えて家に変えると、発注したコーヒーが届いていた。
箱はニャーたちに提供。
早速にゃぁ子さんがするっと入り込む。


先を越された陽向、不満げに周りをウロウロしていたが、無理やり自分も入った!

いや~ さすがに2匹一緒に入るには小さいと思うぞ~?
案の定、窮屈になったにゃぁ子さんが押し出される形になり、今度はにゃぁ子さんが不満げ(^_^;)


なんか昨日も袋で同じようなことをしてたような・・・(;・∀・)

そして、全然悪びれていない陽向(ノ∀`)
でも、そうやって我先にと争ったところで、結局そんなに長いこと入っていないんだよね~。
箱に入るのは好きだけど、すぐ飽きちゃう。
前ほど楽しんでくれないから、飼い主としても若干箱の提供し甲斐がないというか・・・(´・ω・`)
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今日は節分。
節分といえば2月3日のイメージだが、今年は124年ぶりに2月2日なんだそうだ。
地球の公転周期の関係で立春が2月3日になるからとか。
今回は124年ぶりだけど、次は2025年らしいから割とすぐだね。
晩ご飯を食べたりお風呂に入ったりが終わって落ち着いたら・・・

さぁ、ニャーたち、起きて~(´▽`)
昨日買っておいた割引の恵方巻きを使って、恒例の「ニャンまげ」をするのだ(・∀・)
あ、日光江戸村のキャラクターとはなんの関係もないっす(ノ∀`)
ニャーたちの頭に恵方巻きを載せて、ちょんまげを作るというくだらない我が家の行事です。




ニャーたちが迷惑そうなのもいつものことです(笑)

・・・と、見せかけて~( ̄▽ ̄)






ニャーたちには迷惑かもしれないが、こうやってワイワイと遊ぶことができるのはありがたいこと。
去年は、できなかったんだよなぁ・・・
というか「節分」なんて言葉が思い浮かぶ余裕もなかった。
・・・・今日は小春の一周忌。
先日、我が家の小春コーナーにはフードをてんこもりお供えしてきたけど、実家の小春の写真の棚にも母がお花を飾ってくれていた。

ピンクのガーベラ。
やっぱり小春にはピンクがよく似合う(´ω`*)
小春のことを思い出さない日はないけれど、今日は特に何を見ても小春のことばかり思い出してしまう1日だった。
にゃぁ子さんや陽向を見ても、カリカリを見ても、くじらさんを見ても、ハウスを見ても・・・
そしてその度、目がうるんでうるんで困った。
動物病院を見ると、長かった病院通いを思い出す。
お盆もお正月も日曜日も関係なく、朝に晩に通院した。
相方と手分けして、どうしようもないときは母にも協力してもらって。
救急病院に運び込んだこともあった。
入院も何回もした。
酸素室の扉を突き破ったこともあったな。
薬もいっぱい飲ませた。
小春が少しでも嫌な思いをせず、確実に投薬できる方法を模索した。
食べられなくなったら、食べられるものを探していろんなフードを買ってきた。
小春の食欲に一喜一憂し、小春の呼吸状態を常に気にしていた。
小春の首輪を握りしめて、夜遅くまで手術を見守った日もあった。
苦しそうに横たわる小春をみて「もうだめか」と思った日は数しれず。
最後の日の後悔は未だ消えない。
小春の頑張りのおかげで、最後は自宅で私が看取れたのは本当に良かった。
でも・・・小春があんまりにも苦しそうで、ずっと目の前で見守ってはいたけど触れられなかったんだよね。
触れたら小春が余計しんどくなる気がして。
為す術もなく、息をひそめて見守るしかなかった。
もっと声をかけてあげればよかった。
小春って呼んであげればよかった。
大好きよって言えばよかった。
ありがとうって言えばよかった。
最後は私の手の中で逝かせてあげたかった。
飼い主の勝手な思いかもしれないけど。
「なんであのとき撫でてあげなかったんだろう」
ずっと残る後悔。
まだ6才だったのだ。
ぷくぷくまんまるで、ふわふわでやわらかくて、表情豊かで、遊びが大好きで、わがままで、マイペースな我が家のお姫様。
どんなに少なくても、あと10年は一緒にいられると思っていたのに。
「もし~だったら」
そんなことを考えても仕方ないのはわかっている。
でも、それでも考えてしまう。
もし、部屋でタバコを吸っていなかったら病気にならなかった?
もし、もうちょっとキレイに掃除をしていたら病気にならなかった?
もし、あんなカビの生えやすい部屋から早く引越していたら病気にならなかった?
もし、声が出なくなった時点で全身麻酔をかけてでも精密検査をしておけば悪化しなかった?
もし、セカンドオピニオンを受けていれば他の治療法があった?
小春が生きられた可能性を、つい模索してしまう。
あんなに楽しそうに生きていた小春が、どうしてこんなにも早く命を失わなければならなかったんだろう。
あんなにかわいがっていた小春を、どうして私達は失わなければならなかったんだろう。
小春・・・小春・・・
会いたいよ。
あの甲高い声が聞きたい。
やわらかい体を抱きしめて、ふわふわのお腹に顔をうずめたい。
いつか着替えて戻ってきてくれると信じてる。
信じてるけど・・・でも「小春」はやっぱり「小春」でしかない。
着替えて戻ってきても、それはやっぱり「小春」じゃないんだよなぁ。
私達の大事な「小春」は「小春」だけ。
かけがえのない「小春」。
永遠に愛してる。

