寒いな・・・、と思ってKingは目を開けた。薄暗い部屋でぼんやり見えたのは見慣れない天井だった。ここは・・・?液体の入ったビニールのパックが見える。点滴・・・だよな?消毒薬の独特な臭い・・・。病院?何で?確かRamと話をしてて、それから、Ramに怪我をさせて・・・、目の前が真っ暗になって・・・。どうしたんだっけ・・・。ふと、点滴をされている右手が動かないことに気付く。手を固定されているのか?視線の先にはKingの手を額に当てて、祈るように目を瞑っているRamの姿が見えた。どきりとして思わず手に力が入る。その手の動きに気が付いたRamがぱっと顔を上げた。
「P’King!!気が付きましたか!良かった!」
「Ai’Ning・・・。俺どうしたの・・・?」
「倒れたんです。貧血を起こして。あまり食べていなかったのではないですか?」
そういえば全然食欲が無くて携帯ゼリーくらいしか口にしていなかった。
「ごめん・・・。また迷惑掛けてしまって・・・」
情けなさに唇を噛む。
「迷惑なんて思っていません。階段の事故の時もそうですが、あなたが無事ならそれでいいんです。気にしないでください」
握られた手と点滴のせいで身動きも取れない。優しく微笑まれて思わず目を逸らす。
「P’King、お願いがあります」
「・・・何?」
「もう少しあなたの所に置いてください。手も満足に動かせない、食事も取らない、では心配でなりません。せめて手が使えるまでお世話をさせてください」
「な、何言ってるのさ!クライアントのゲストにそんなことさせられないよ!ご飯もちゃんと食べるし大丈夫だよ!」
「信用できませんね」
「うっ」
真顔で即座に一蹴されてKingは撃沈寸前だ。だがここは譲る訳にはいかない。がば、と起き上がって反論しようとしたが、くらりと眩暈がして崩れ落ちそうになる。細い体をRamが抱きとめる。
「P’King!!」
「ごめん・・・」
抱きしめられた格好になったが、眩暈が収まらないKingはRamに身を預けるしかなかった。沈黙の下りた病室にベッドランプだけが静かに光を放つ。
「あなたが好きです」
「・・・え・・・?」
「あなたが好きです。ずっとあなただけを好きでした。それを言いたくて、あなたの気持ちを聞きたくてここに来ました」
「!」
KingはRamの腕から逃れようとしたがびくともしない。
「離せ・・・」
「嫌です」
「俺は好きじゃない」
「嘘ですね」
「嘘じゃない!」
Ramの背中を離せとばかりに叩く。いくら叩いても緩まない力にやがてKingは抵抗を止めた。全身の力が抜ける。
「駄目なんだ・・・」
細くなってしまった体を抱きしめながらRamは続きを待つ。
「君を好きになっては駄目なんだ・・・」
「何故?」
そっと背中を撫でながら優しく問う。
「だって・・・、迷惑を掛ける・・・」
「・・・俺があなたを好きだと言っているのに?」
「・・・・君のご両親だってそんなこと望まない・・・だろうし・・・君だっていつか子供が欲しいって・・・思う・・・」
この人はどうして・・・・・。あなたさえいてくれれば他に何も欲しいものなど無いのに。
Kingの右手がきゅうとRamのシャツを掴む。
「だ、だから俺は、離れたところで、遠くから・・・君の・・・幸せを願って・・・、君が幸せに、なってくれれば、そ、それで良かったんだ・・・。いつか可愛い彼女と結婚して、遠くから・・・おめでとう、って言って・・・。それで、良いって、お、思っていたんだ・・・。だ、だけど・・・」
声に嗚咽が混じるのが止められない。
「・・・だけど?」
「あの時、か、階段から・・・君が落ちて、う、動かなくて、・・・動かなくて・・・、動いてくれなくって!」
震える細い肩。Ramの肩が涙で濡れる。ぎゅうと掴まれたシャツが揺れて切なかった。
「遠くから見守るだけでいいはずだったのに!君がいなくなるなんて、思ってなかったから!・・・だから、だから、・・・もう、どうしたらいいのか分からなくって・・・!」
Kingの手から力が抜けて嗚咽だけが静かな病室に響いていた。
「ご、ごめん・・・。こんなこと言うつもりはなかったんだ、ごめん、困らせて、ご、ごめん・・・」
離れて行こうとするKingの体を捕まえて抱きしめる。
「俺はずっと後悔していました。キャンプの後、たとえあなたがどう思っていようと好きだと伝えればよかったと。あなたの思う好きと、俺の思う好きが違っているのが怖かったから。ただ一緒にいられればいいと思ってしまった、臆病だった自分がいけなかったのです。だからあなたが謝らないでください」
「・・・・・・・っ」
RamはKingをそっと離して肩を濡らしていた涙を指で拭う。
「あなたと離れていた3年間、あなたのことを忘れた日はありませんでした。愛しています。どうか俺をそばにいさせてください」
なおもはらはらと零れ落ちる雫が愛しくて閉じた瞼にそっとキスを落とす。
「・・・・俺も君を思わない日は無かった・・・。俺は・・・君を、好きでいて、いいの・・・?」
「もちろんです。そうしてもらわないと俺が困ります」
笑ってRamが言う。
しばらく黙ってRamを見つめていたKingは、戸惑いがちに口を開いた。
「・・・お願いがあるんだ・・・けど・・・」
「何ですか?あなたのお願いならなんでも」
「・・・・・・・っ」
「言って下さい」
涙で濡れた顔を伏せてKingは言うのをためらっている。首を傾げてどうぞ、とRamは続きを催促する。噛みしめる唇が僅かに震えている。
「P’King、言って」
「・・・約束して・・・。お願いだから・・・」
Kingは息を一つ吐く。どうか、お願いだ・・・。
「俺より・・・先に逝かないで・・・」
絞り出すような切ない懇願にRamははっとする。あの事故がこんなにも彼の心に傷を負わせていたのか。
「・・・1日でも・・・1時間でも、1分でもいいから、俺より先に逝ったりしないで・・・。お願いだから・・・、俺の前から消えたりしないで・・・いなくなったりしないで・・・だから、約束して・・・・・・」
・・・嘘でもいいから・・・
そう続いた消え入りそうな声にRamは胸が潰れそうだった。細い背中を撫でながら強く抱きしめる。
「約束します。1分でも、1秒でもあなたより先に逝かないと約束します。だから、あなたのそばにいさせて下さい」
Ramには、おそらくKingにもそんな約束は必ず叶う願いではないことは分かっていたけれど、それでもお互いに1歩踏み出すために必要な誓いだったのだ。
「・・・・・・うん」
KingはRamの背中に手をそっと回して静かに瞳を閉じる。Ramは離れていた3年の距離を埋めるように深く、長いキスをした。
「それはもう社内で伝説になってるわよ」
Anongから投げかけられた言葉に、Kingは何のことかと足を止めて振り返る。
「倒れた社内きっての美人社員を、駆け寄った他の社員を蹴散らし、一切触れさせもせず、軽々とお姫様抱っこして病院に疾走するハーフの超イケメン王子。これが伝説にならずしてどうするの」
抱えていた資料を落としそうになって慌てて抱え直す。座っている椅子をクルクル回転させて彼女はすこぶる嬉しそうだ。
「美人社員って!?王子って!?」
「あんたに決まってるじゃない。そして王子様はRam君。映画みたいだったわよ~」
指を鼻先に突き付けられて、うっと言葉に詰まる。
何か朝から視線を感じるなぁ、と思ったのはそれか?
どうやって病院に運ばれたか知らなかったKingはまさかの顛末に眩暈がする。
「いいじゃないですか、別に。あなたを抱えて病院まで走ったのは事実ですし」
頭を抱えるKingから資料を受け取ってしれっとRamが言う。
「君ねえ、大の男が、お、お姫様抱っこされて運ばれるなんて!は、恥ずかしいじゃないか!」
「でも心配だったんです。救急車なんて待っていられません」
「そうよねえ。愛しい人が心配で心配で、救急車なんて待ってられないわよねぇ」
「はい」
と当然のように返事をするRamにKingは憤死寸前だ。ばか!何言ってるんだよ!
「おっ、Kingもう大丈夫なのか?」
「ご心配をお掛けしました。もう大丈夫です、P’Pete」
話題を変えられる、とほっとしたKingにPeteは追い打ちを掛けることを言った。
「昨日心配で病室に駆け付けたら、Anongがドアの所にいてさ、もうKingは大丈夫だから帰るよ!って追い払われたんだぜ。ひどくないか?」
すげー心配したのに、と呟くPete。気持ち悪いくらいニヤニヤしているAnongが怖い。
「やだ~、ごめんね~。覗き見するつもりなんか無かったのよぉ?たまたまお見舞いに駆け付けたらさぁ?ねえ?お取込み中だったみたいでさぁ」
さぁーと血の気が引いていく。ど、どこまでご覧になったんですか?言葉にならない問いが白い空気となって消えていく。
「お気遣いありがとうございました。お陰様で丸く収まりました」
「Ram、お、おま、な、」
何を言う気だ!?
「えー?何の話?」
さらにPeteが混ぜっ返す。
お願いだから止めてください!
「な、何でもないです!」
「だから、この二人がね」
「わ~~!!」
「だから何の話?二人がどうしたって?」
「俺とP’Kingが」
「Ai’Ning!!」
Kingはもうパニックだ。
「もー、あんた達仕事中よ!おしゃべり止めてよね」
えっ、と思って振り向くと、いつの間にか何食わぬ顔で仕事を始めていたAnongがパソコンに向かっていた。あっ気にとられた3人の男達は一斉に、どの口が言う!?と、突っ込んだ。もちろん心の中で。
「今日は残業はしないで帰りましょう」
「うん、さすに疲れたかな」
昼間のお姫様抱っこのくだりはあまりに衝撃的で疲労困憊だ。おまけにAnongに見られたなんて。
「昨日の今日で仕事だなんて、無茶しすぎです。ほんとにあなたは言い出したら聞かないので困ります」
しかめっ面で言うRamに苦笑いする。
「大丈夫だよ。それにAi’Ningが美味しいごはん作ってくれるんでしょ?」
「・・・はい」
ふわりと微笑まれては反論出来ない。ホテルをキャンセルして出向期間はKingのコンドで暮らすことにしたのだ。また二人で暮らせる日が来るなんて夢のようだとRamは思った。
「さあ、行きましょう」
差し伸べられた手をしばらく見つめてからKingは、おずおずと手を伸ばしたかけた。
「あら、お二人さん。帰るところ?」
Anongの声にびくっと手を引っ込める。Kingの手を掴み損なって宙に浮いたRamの手にハイ、と書類が乗せられた。
「これにサインもらえるかな。帰り際で悪いけど」
「ハイ・・・」
楽しみを取り上げられて仏頂面のRamに、ペンを渡しながらAnongはぼそりと囁いた。
「あいつを幸せにしなかったら承知しないからね」
「・・・もちろんです。言われなくてもそうします」
「そう、ありがと。確かにサインもらったわ。ああ、そうだKing、ちょっと」
「あ、はい?」
呼ばれて立ち上ろうとしたKingは、つかつかと向かってきたAnongにパチンと両手で頬を挟まれた。
え?彼女の綺麗な顔が近づいたと思った瞬間、キスをされていた。
「!?◎※△×◎☆~~!??」
「じゃあね、バイバイ。King」
「え?ええっ!?ちょ、今のって!?P’Anong!?」
口元を押えて呆然としているKingにRamは苦笑して言った。
「俺に対する嫌がらせですよ。さあ、ほんとに帰りましょう」
「え、そ、そうなのか。びっくりしたぁ」
だからって何でキスなの、とぶつぶつ言いながら赤くなっているKingを横目で見ながら、Ramはこの人が鈍感で良かった、とこの時だけは思った。
最後くらい許してよね、と寂しそうに微笑んで立ち去った綺麗な後姿に感謝する。ありがとう、この人を困らせないでくれて。そしてごめんなさい。どうしてもこの人だけは譲る訳にはいかないんです。誰にも渡せないんです。
帰りますよ、ともう一度差し出された手を今度こそ握り締めてKingはゆっくり立ち上がる。
「うん、うちに帰ろう」
「で?どうなったの?」
コーヒーを買いに行こうかと思っていたところに後ろのデスクからふいに声を掛けられた。
「どうなった?とは?何のことですか?P’Anong?」
質問の意味は分かってはいたがKingは敢えてすっとぼけてみる。
「またまたぁ。出向期間を終えて帰ったイケメン君とのその後の話に決まってるじゃない。彼はもう帰ったんでしょ?」
「そうですね。また試作の時とかに来るそうですよ。ご存じかと思いますけど」
だからそういう事で無くてさ、とお菓子を手渡される。
あっ、これ好きなやつだ。
「まあ、週末には会ってますよ」
すぐ冷やかしの返事が返ってくると思ったが、なかなか返って来ないのを不思議に思って振り返った。
「P’Anong?」
「そう、良かったね、幸せそうで」
想像していた返事と違っていて少し拍子抜けしたが、すぐに思い過ごしだったと分かる。彼女は口角を限界まで上げて、にっこり笑ってこう言った。
「なになに、通い婚?じゃあ週末は〇〇〇しまくりなわけね。良いわねぇ。独り身にはこたえる話だわ~」
真昼間のオフィスで何てことを言い出すんだ、この人は!周りに誰もいなくて良かった!
「何言ってるんですか!そ、そんなことしてるわけないじゃないですか!」
「え~~?恋人同士なのに〇〇〇しないなんてありえないでしょう。不感症なの?」
「ふ!?だ、だから手首が治るまで待ってくれるって・・・」
言ってしまってから墓穴を掘ったことにKingは気が付く。思いのほか重症だったねん挫は先日やっとリハビリを終えて完治したところだ。Anongのにやにや顔が止まらない。
「あらぁ、可哀そうな彼氏ねぇ。手首が完治するまで何か月もさせてもらえなかったんだ?それは酷い、生殺しだわ。まあ、手首も治ったんだったら彼の欲求不満もやっと解消ねぇ」
「やあ!何の話してるの?誰が欲求不満だって?」
もう、この先輩はなんでいつも絶妙なタイミングでやってくるんだよ!
「だからぁ、Kingの彼がお預けを」
「わあわあ!」
「ええ?King、彼氏がいたの!誰だよ~」
「はぁぁ?あんた今更何言ってるの?あんたのおバカも国宝級だわ」
「何だって!?」
喧嘩を始めた二人にKingは脱力する。
もうヤダ。この人達。
ブブ、とスマホが鳴った。Ramからラインだ。いつも簡素なRamのラインだったが今日のそれは少し長文だ。
「え・・・」
「何?彼から?」
後ろからスマホを取り上げられる。
「ちょ、P’!」
画面を見ていたAnongははい、とスマホを突き返して来た。
「電話、鳴ってるよ。出たら?」
「え?ああ、はい」
ありがとうございます、と部屋から急いで出ていくKingを見送ってAnongは大きく伸びをした。
入社した時もあんな風に瞳をキラキラさせていたっけ。一目惚れだったな。4つも年下なのに。好奇心旺盛で聡明で謙虚で優しくて・・・。時折見せる寂しそうな顔も何もかも好きだったよ。幸せにね・・・。
「ねえ、Pete、今日飲みに行くの付き合いなさいよ」
「え~、何でよ?俺はKingと行きたい」
「何、私の言うことが聞けないって?また蹴られたいの?」
あの時の痛みを思い出して、Peteは縮み上がった。
「いえ、とんでもございません・・・女王様の仰せの通りに・・・」
今日は振られたことにも気付いていない能天気な男を酒の肴にして思い切り飲もう、とAnongは思った。
「P’King、今大丈夫ですか?やっぱり直接あなたに伝えたくて」
「うん、大丈夫だよ。ライン読んだよ。こっちに支社が出来るんだって?」
「はい、まだ半年は先になりそうですが。そこに異動を願い出るつもりです」
「・・・うん」
非常階段に出るドアにもたれてKingは恋人の言葉を聞いている。こんなに幸せで良いのだろうか。
「ところで、P’King」
「・・・うん?」
少し間が開いてRamが聞いてきた。
「手首は良くなりましたか?」
「うん?うん」
何で今それを聞いてくるのかな?と思ってすぐ気が付いた。
・・・手首が完治するまでさせてもらえなかったんだ・・・
Anongが言った言葉を思い出して頭に血が上る。耳まで熱い。Ramはどんな顔で返事を聞いたのだろう。
「週末そちらに行っていいですか?」
ドアを背中にずるずるとしゃがみ込む。どうしよう、どうしたらいい?どうしたらいいかって・・・そんなの・・・決まってる・・・。
「P’King?」
「・・・うん、待ってるよ・・・Ram・・好きだよ・・・だから・・・」
ずっとそばにいて・・・続けようとした言葉は幸せすぎて零れ落ちた涙と一緒に消えてしまう。
「俺も愛しています」
愛しい恋人の消え落ちた言葉をRamは掬い取る。
「ずっとあなたのそばにいます」
・・・1分でも、1秒でも長く、あなたのそばに・・・
後から読み返すとまあ誤字の多い事。恥ずかしい・・・。何回も見直してたのになぁ。長文だったため1回で収まらなかった・・・。相変わらずKingがグダグダ悩んどりますwww