「見ろよ、King。Ramの奴、また女の子に告白されてる」
Bossの声に読んでいた本から顔を上げる。Ramと彼の友人達が、Kingが座っているベンチから少し離れた所で課題に苦闘している。彼らがいるのは知っていたが、敢えて見ないようにしていた。女の子達がRamの周りをうろうろしながら、告白のタイミングを窺っていたのに気が付いていたからだ。
「そうみたいだね」
「何だよ、気の無い返事だな。近頃何であいつばっかもてるようになったんだ?」
「そんなこと俺に聞かれても知らないよ」
読書の続きに専念しようとしたが、そうはさせてくれないようで、Kingは小さくため息をついて本を閉じた。ざわつく方を見ると、告白を受けたRamをDuenやThingThingが冷やかしているのが見える。
最近Ramはもてる。
いや以前から女子からの人気は高かったが、喋りかけても無視されることが多く、その取っ付きにくさから告白する女の子はあまりいなかった。だが近頃の彼は少し変わった。表情も柔和になり、問いかけにも無視することは無くなり、言葉は少なめだが会話に応じている。それ故告白にチャレンジする女子生徒が後を絶たない。
Ramに何か言われて、告白した女子生徒とその友人達は残念そうに帰って行く。
「あ~、あいつまた断ったな!何でだよ!めっちゃ可愛い子なのに!俺だったら絶対・・・」
「絶対OKしてたって?」
「そりゃあ男だったらそうするに決まって・・・」
言いかけて、はっと振り返ったBossは、冷ややかな表情で立っている長身の男に気が付いて、みるみる青ざめた。
「・・・る訳無いじゃないか・・・、なあ?Mek?」
あは、あは笑いながら焦りまくっているBossを無視して、長身の男、MekはBossを押しのけKingの隣に腰を下ろした。
「確かに最近のRamは随分親しみ易くなったよな。会話も誰とでもするようになったし。それもお前の影響だろ?」
「?何で俺?」
頬杖をついて、隣に座った爽やかなイケメンの横顔を見やる。Mekの隣ではBossがオロオロしているのが見えて少し笑ってしまった。
「Ramと仲が良かっただろ。キャンプの時もずっと一緒にいたし」
「まあ、そうだけど・・・」
Ramと同居していることは誰にも言っていない。彼の父親の不倫が原因で家出をしている最中だなんて、友人達にも知られたくはないだろう、と思ったからだ。だが何となくMekには一緒に住んでいることがバレている感じだ。
「俺のおしゃべりがうつったって?」
「はは、お前といる時のRamは空気が優しいよ。良い傾向じゃない?」
そうかな。Ramは愛想は無いが元々友達思いの良い奴だ。それにようやく皆が気付き始めただけだろう。
Ram達の方に視線を向けると、また別の女子生徒が彼に寄ってくるところだった。ロングヘアの綺麗な子。Kingはガタンとベンチを蹴って立ち上がる。
「King?どうした?」
「悪い、俺図書室行ってくるわ。ちょっと調べもの」
本を脇に抱えて鞄を肩に掛ける。ベンチをまたいで図書室へ向かおうとしたKingは、急に腕を引っ張られて、再びストンとベンチに座ってしまった。
「な、何!?Mek!?びっくりした!」
MekはじっとKingを見つめて心配そうに言った。
「お前、大丈夫?」
「?何が?どこも悪くないけど?」
「・・・・・・そうか」
「変なの。俺の心配よりBossをかまってやれよ。落ち込んでるぞ」
笑いながらBossを指さして、じゃあな、と言って今度こそひらりとベンチをまたいだ。
MekはKingの細い後ろ姿を見送りながら、そっとため息をついた。
あの様子じゃ、自分の気持ちにも、Ramがこっちをじっと見ていたことにも気が付いてないか。
Ramが女の子達の対応をおざなりにして、Kingが立ち去るのをずっと視線で追っていた。
「・・・拗らせなければいいけど」
二人とも不器用だから、と考えていると、つんつんと袖を遠慮がちに引かれた。
「なあなあ、旦那さまぁ。ごめんよ、ただの出来心だよぉ。無視しないでくれよぉ」
自惚れでなくBossが自分に一途なのは分かってはいるのだが、時折綺麗な女の子に鼻の下を伸ばすのが腹立たしい。
今日は絶対許さん!と思っていたMekだったが、泣きそうな顔ですり寄ってくるBossに心が揺れる。
こちらも拗らせないうちに仲直りしておくか。そう思ってBossの耳元でこっそり囁く。
「今夜はお仕置きだからな」
図書室へ向かう道を歩きながら、Kingはさっき見た告白のシーンを思い出していた。
綺麗な子だったな。大人しそうで告白に勇気を振り絞った感じがいじらしかった。Ramはどうしたんだろう。あんな子にあんな風に思いを伝えられたら、Bossじゃないけど、男だったら誰でもOKするんじゃないだろうか。
キャンプの夜、もて余した自分の感情に任せてRamにキスをした。かなり酔っていたとはいえ、後輩相手に何をしてしまったんだろうと後悔した。だからRamが覚えていなかったことをいいことに、自分の愚行を無かったことにした。ずるいと思ったけど、元の関係に戻りたかった。優しくて楽しい心地いい関係を壊したく無かったのだ。
ただKingを悩ませているのは、Ramから送られて来た”酔っていません”というメッセージだった。
Ramはあれから何も言ってこないし、彼の本意は未だによく分からない。分かるのはRamもキスの事は覚えているということ。知っていてなお一緒に暮らしている意味って何だろう。
お互いにキャンプの夜の事は触れないでいる。そして以前と同じように一緒にいる。何事も無かったように一緒にいる。自分はそれで十分だったけど・・・。でもそれじゃあ良くないって分かってる。自分の思いとRamの思いが同じでないならなおさら。
Ramにもいつか恋人が出来る。あの子と付き合う事になったら、ちゃんと祝福してやらないといけない。いつか手放してあげないといけない。だけど、頭ではちゃんと理解しているのに、何でこんなにモヤモヤするんだろう。
そんなことを考えて歩いているうちに、図書室のある校舎を通り越してキャンパスの端まで来てしまっていた。
「ああ、もう、何やってるんだろう・・・」
やれやれと、もと来た道を戻ろうとした時、木々の間から煙が見えた。
火事!?
Kingは急いで煙の立つ方へ走り出した。水なんて近くに無いぞ!スマホを取り出そうとしたところで人影があるのに気が付いた。金髪の長めの髪とたくさんのピアスの派手な外見。懐かしい顔がそこにあった。
「P’Aat!?」
「Kingじゃないか。久しぶりだな。こんな所で何してるんだ?」
「それはこっちのセリフですよ。こんな所でタバコなんて吸わないでくださいよ。火事かと思いましたよ。紛らわしい」
呆れ顔のKingに壁にもたれてタバコをふかしていた人物は、固いこと言うなよ、とにやりと笑ってウインクした。そんな気障な仕草も妙に似合っているAatは、Kingの指導担当だった先輩の友人だった人で、背が高く、髪は金色に染め、鋭い目つきに高い鼻梁のワイルドなイケメンだ。すごくもてる人で、会うたびに違うガールフレンドが隣にいた。遊び人風で派手な見かけとは裏腹に、話してみるとすごく気さくでいい人で、何より頭脳明晰なことがKingを引き付けた。先輩達に混ざって、他愛のない話から宇宙工学に至るまで、いろんな話を彼としていた。Aatに会うのは随分久しぶりだった。
「先輩、キャンパス内は禁煙ですよ」
「知ってるよ。決められた場所まで行くのは面倒くさいし、バレなきゃいいだろ。お前も吸う?」
差し出された吸いかけのタバコを苦笑しながら押し返す。
「嫌ですよ。共犯にしないで下さい」
片手に携帯灰皿を隠し持っているあたり、やんちゃなんだか、真面目なんだか分からない。
「ちぇっ、相変わらず真面目で面白くないね」
「面白味の無い真面目な学生は図書室でお勉強です」
「図書室は反対の方だろ。何でこんな所にいるんだ?」
後輩の事を考えてボーッとしてました、なんて言えない。返答に戸惑っているとAatがニヤニヤしながら言った。
「何、恋の悩み?聞くよ?君と違って経験豊富だから、俺」
「!ち、違いますよ!」
「ふふん、まあお子ちゃまのお前の事だから、腹減らしてぼんやりしてたんだろう」
「それはそれで、失礼だと思う・・・」
拗ねてふくれっ面のKingをAatが笑う。こういう軽口が言えるこの先輩がKingは好きだった。彼と会わなくなったのはいつからだったろう。
「前から聞こうと思ってたんですけど、何で先輩は集まりに」
来なくなったんですか?と聞こうとした時、スマホが着信を知らせた。
Bossからだ、何だろう。写真?
「・・・・・・・」
「King?どうした」
スマホに視線を落として動かなくなったKingの顔を、Aatが心配そうに見つめている。
「あ・・・、いえ・・・何でもありませんよ。俺、やっぱり共犯者になろうかな」
「え?あ、おい」
スマホをジーンズのポケットに押し込んで、Aatの指からタバコを取り上げて口に咥えた。そして思い切り吸い込んだ。
「あっ!バカ!吸わない奴がそんな吸い方したら」
タバコ初心者が肺まで吸い込んだ結果、当然のことながら盛大にむせ返った。
「ゲホッ、ゲホッ」
「バカだなあ、何やってるんだ」
AatはKingの背中をさすってやりながらタバコを取り上げる。
「ああ、ほんと何やってるんだろう。・・・バカみたい。めっちゃ涙出た」
むせながら下を向いて涙を拭う。黙って背中をさすっていたAatは、しゃがみ込んでいたKingを立たせて唐突に言った。
「飲みに行こうぜ。いい所知ってるからさ」
「ええ?今から?あ、いや、でも俺は図書室へ・・・」
「先輩の命令は絶対でしょ?さあ、行こうぜ」
腕を取られて引っ張られながら、以前と変わらず自由な人だな、と苦笑する。
だが、今のKingにはこの強引さが少し有難かった。
「Ramとあの子のツーショット写真をKingに送った!?」
「う、うん。いけなかったか?だって告白の後、Ramとあの子どっかへ消えたじゃん。他の子にはその場で断ってバイバイしてたのに、それって交際OKしたってことだろ?」
「そうとは限らないだろう!違ってたらどうするんだ!」
「え~~、でもSNSでも拡散されてるぜ。鋼鉄の男Ram、ついに陥落か!?ってさ。KingだってRamの恋路は知りたいだろう?」
ああ、もう・・・。悪気が無いのは分かるし、Kingの気持ちに気付いてないんだろうことも分かるが・・・。だからって今このタイミングで・・・。
Mekは天を仰ぐ。
「それにあんな綺麗な子の申し出を断るなんて男じゃ無いじゃん」
ヘラヘラ嬉しそうなBossにMekの眉間に深い皺が寄る。胸も大きかったし、とぼそっと呟いたのをMekは聞き逃さなかった。
「お前、今日はお仕置き無し!!」
え~~!?何で!?と叫ぶBossを今度こそ完全に無視して、MekはRamを探しに歩き出した。
KingはAatに付いて来たことを激しく後悔し始めていた。
連れて来られたバーはきらびやかな装飾と激しい音楽が鳴り響いて、Kingには馴染み難い店だった。トイレに立ったAatを一人待っていると、いきなり派手な美女達に囲まれてしまった。
「君、Aatの後輩なんだって?可愛い!!何て名前?」
メイクは派手だがベビーフェイスのショートボブの美女が左に。
「髪サラサラ!お肌も綺麗!お姉さんと遊ばない?」
カラフルなネイルを施したミニスカートのスタイルの良い美女が右に。
食べちゃいた~い、などとAatのご友人らしき女性陣に捕まって逃げるに逃げられない。しかも彼女達は布地少なめの衣装で、目のやり場に困ってしまう。ネイルの女性のすらりとした足がKingの膝に乗せられて、からかわれているのは分かってはいるが思わず赤面してしまう。
「赤くなって可愛い!」
「おい、あんまり俺の後輩をからかうなよ。まったく俺がトイレに行ってる隙に何してるんだ」
AatはKingの頬に触れていたボブの女性の手を取って引き剥がす。Aatが帰って来たことにほっとして、ネイルの美女が手渡してくれたカクテルに口をつけた。Ramとのキャンプのキス以降、酒の失態を恐れてあまり飲まないようにしていたが、このカクテルは甘くて口当たりがいい。生クリームが浮いていてカフェオレのような味わいだ。
「どうだ?気に入った子いたか?お持ち帰りもOKだぜ?」
Kingはカクテルを吹き出しそうになった。
「何言ってるんですか!もう!とにかく俺を一人にしないでください!」
「真面目だねぇ。彼女達可愛いだろう?しっかり慰めてくれるぜ?」
「・・・・・・」
落ち込んでいる内心を読まれたような気がして、Kingは黙り込んだ。空になったグラスを手の中で転がしていると、ボブの美女が新しいグラスに交換してくれた。今度はピンク色の綺麗な液体を少しやけ気味にKingは流し込んだ。
「先輩と会うのは、ほんとに久しぶりですね。何をしていたんですか?」
琥珀色の液体の入ったグラスをあおるAatの仕草は、様になってかっこいいな、と思う。一つ上とは思えない大人っぽさに、いつも憧れていたっけ。
「何って、学生なんだからお勉強していたに決まってるだろうが」
「本当ですか?会ったばかりの頃は、学校来るのも嫌だって言ってたじゃないですか」
「まあねぇ、俺頭良すぎて講義がつまらなかったからさ」
高飛車にも聞こえるが、あながち嘘ではないのだろう。それくらいAatから聞いた色々な話はどれも専門的で教授レベルだったから。それ故KingはAatをかなり尊敬していた。
「ちょっと上を目指そうと思ってさ」
カッコつけすぎたか、とKingを振り返る。Kingは少し驚いた顔をして、それから嬉しそうにぱあっと微笑んだ。
「先輩が院に行くなら、俺も行こうかな」
「・・・・・。バッカ、そんな理由で決めんなよ・・・」
そう言ってKingの頭を小突く。それでも嬉しそうに笑っている後輩をAatは眩しそうに見つめていた。
「ねえAat、彼どういう関係?いつも遊んでる子達と毛色がずいぶん違うじゃない。可愛い子ね。真面目で頭が良さそう」
酒を取りに来たAatに胸元が開いた黒いドレスの妖艶な美女が、新しいグラスをカウンター越しに手渡しながらこっそり話しかける。
「・・・連れの後輩だよ。落ち込んでたから慰めてるだけ」
グラスを受け取りながら、Kingの俯き加減の綺麗な横顔を横目で盗み見る。
「それだけ?」
小首を傾げて問いかける美女に、Aatは笑って答える。
「それだけ」
「じゃあ私が貰ってもいい?」
「・・・好きにしろよ」
不機嫌混じりの声にドレスの美女はふふん、と笑った。
三杯目のカクテルを手渡されて、Kingはソファに沈み込んだ。三層に分かれていてこれもまた美しいカクテルだ。
・・・お似合いだったな。
送られて来た写真を思い出してKingは深くため息をついて目を閉じた。
思ったよりダメージを受けた自分がいた。祝福なんて出来なかった。胸が握りつぶされたみたいにキリキリ痛んだ。苦しくて息が出来なくて、その場を誤魔化すためにタバコなんか吸った。店の騒々しさも年上の女性達にからかわれるのも、今の自分には気が紛れて良かったかもしれない。
スマホを何とはなしに手に取った。大きな音で気が付かなかったが、Mekからも何度か着信があったようだ。折り返そうと思った時スマホが鳴った。心臓がズキンと跳ねる。
Ramから!?
交際の報告?聞きたくない、けど、いつかは聞かなきゃいけない。意を決して震える指で電話に出る。
「・・・もしもし?」
『P'King?今どこですか?・・・随分騒がしいようですが』
「ああ、先輩に誘われて飲みに来てて。どうかした?」
『あの、P’Mekにあなたが写真を見て誤解したかもしれないから、フォローするようにと言われて』
「え~?何?周りがうるさくて聞こえない!何て!?」
『あ~~、もう迎えに行きますから、場所を教えてください!』
「何?場所?えっと、ここは・・・」
場所を言おうとしたところで、カラフルなネイルの手が後ろから伸びてスマホを取り上げられた。
「ちょっと、ここで電話なんて無粋よ~。なによぉ、恋人からぁ?」
「ち、違いますよ!返してください!」
「キスしてくれたら返すぅ」
ネイルの彼女はスマホを指でつまんで、ぶらぶらさせながら顔を近づけて来る。
うわっ!くそ、ふざけないでくれよ!あれ?あんまり飲んで無いのにふらつくな。
避けようとした拍子に、クラっとしてソファに手をついてしまった。
「まったく、からかうなって言っただろうが。ほれ受け取れ」
スマホをネイルの美女から取り返して、AatはKingに投げて寄こした。慌てて受け取ろうとしたが、反応しきれずに足元にコトリと落ちてしまった。床に落ちたスマホを拾おうとしたが視界がぶれる。
「King?大丈夫か?あっ!お前ら何飲ませたんだ!?」
Kingが飲んでいたグラスを確認してAatは顔をしかめた。
「これ口当たりはいいがすごい強い酒だぞ!知っててやったな!?酔わせてどうするつもりだったんだ」
「ばれたぁ?だってぇ、可愛いからつい」
えへへ、と舌を出すボブの美女の声がやけに遠くで聞こえる。
「Aat、本命じゃないなら私が持ち帰っていい?」
セクシーな黒いドレスがゆらゆら揺れている。
「ダメに決まってるでしょ」
黒いドレスの美女から引き剥がされて、Aatに抱え上げられた頃には、Kingは意識を手放していた。
「だってこれは俺のだから」
・・・喉が渇いた。
ふと目を開けると薄暗い部屋の天井が見えた。静かな空間に、階下からだろうか、わずかに音楽が聞こえている。
あれ?ここどこだ?ベッドの上?さっきまで騒がしいバーにいなかったけ?綺麗な女の人にからかわれて、お酒飲んで・・・それからどうしたっけ?ああ、そう言えばRamから電話があって・・・ん?スマホは?
枕元に置いてあったスマホに安心して再び目を瞑った。だが、はっとして再び目を開けた。
いやいや、待て待て、ここは何処だ!?
ガバッと起き上がるとくらくらした。気持ちが悪い・・・。
「お、起きたか?まだ寝てろ」
声のした方を頭を抱えて見やると、Aatが窓の外を眺めながら煙草をふかしていた。金色の髪が外からの明かりに照らされて、キラキラと光って透けているように見えた。
「・・・先輩?俺どうしたんですか?」
「お前が飲まされた酒は、女を酔わせていいことをするための酒さ。それを飲まされてぶっ倒れちまったの。見た目の綺麗さと飲み易さにまんまと騙されやがって。まあ、寝てたのは20分くらいだけどな」
Aatはパイプ椅子から立ち上がって、ペットボトルの水をKingに差し出した。
「ここはバーの上。従業員用の部屋をオーナーに頼んで借りてる」
「うわ・・・まじか・・・。迷惑かけてすみません・・・」
また酒でやってしまったと後悔する。胸のむかつきを抑えながら、ペットボトルの水を受け取って勢いよく流し込んだ。ベットの端に腰を下ろして、Kingが口元を拭う様子をAatは黙って見つめる。視線に気が付いたKingが、振り向いて申し訳なさそうな顔を向けた。Aatはしばらくの間Kingを見つめていたが、ふいと顔を背けて煙草を灰皿に押し付けた。
「何か嫌なことでもあった?」
「え?」
「いや、吸ったことも無いのにタバコなんか無理に吸ってたみたいだからさ。何かあったのかと思って」
泣いてたし、と言われて驚いて見上げると、二本目の煙草に火を点けるAatの手慣れた仕草が見えた。
「ふふっ」
「何だよ、何がおかしい」
「いや、先輩ってほんと見かけに寄らず、よく人を見てるなって思って」
「見かけに寄らず、は余計だ」
窓のカーテン越しに淡く光るネオンをしばらくの間、ぼんやり二人で眺めていた。沈黙の後、Kingがゆっくり口を開く。
「・・・好きな人に・・・恋人が出来たらしいって・・・分かって・・・」
AatがKingに視線を向ける。
「いつかそんな時が来ることは・・・覚悟していて・・・していたはずなのに・・・」
薄暗い部屋に光る赤い光が灰皿に落ちるのが目に入った。
「・・・でも・・・祝福できない自分がいて・・・」
・・・なんでこんな事、先輩に話しているんだろう。
「そんな自分が情けなくて・・・嫌で・・・」
言葉の途中でAatはKingをそっと抱き寄せた。
「もういいよ。人間なんてそんなもんだろうが。綺麗な感情だけじゃ生きていけねえだろ」
「・・・先輩がそんなこと言うと、似合わな過ぎて笑う」
バカ野郎、と言いながら背中をさすられて、Kingは泣きそうになるのを堪えるのに精一杯だった。
「わざとこんな賑やかな所に連れて来てくれたんですよね。俺の気を紛らせようとして・・・。ほんと見かけに寄らず先輩は優しいから・・・」
「・・・だから見かけに寄らず、は余計だって。・・・そんな風に優しいとか俺の事言うのはお前くらいだわ」
「そうですか?先輩は一見取っ付きにくいけど優しくて、いい人ですよ。見かけに寄らず博識だし、話してて楽しくって、いつも先輩達の集まりに顔を出してた」
「三度も見かけに寄らず、って言いやがったな」
あはは、と笑い合った後、Kingが少し寂しそうに言った。
「しばらくしたら先輩が来なくなって、つまらなくて俺も行かなくなった・・・」
涙の混じる吐息がAatの胸元に熱く落ちる。
「先輩の宇宙工学の話、すごく楽しかった・・・」
「・・・・」
「俺もっと先輩といっぱい話をしたかったのに・・・」
背中に回されていたAatの手が頬に触れて来て、Kingは顔を上げた。Aatの指から微かに煙草の香りがした。
「先輩?」
「お前さあ、俺がせっかく諦めたのに何でそういうことを言うかなぁ」
「・・・・?」
「よく人を見てるって言ったけど、俺が見てるのはお前だけだった・・・」
酒のせいで上手く働かない頭で言われた意味を考えていると、ふいに首を引き寄せられた。
・・・え?
あと少しで唇が触れようとした時、ドアの外で何かを叫ぶ声が聞こえた。はっとしてKingはAatから体を離した。Aatの手がKingからするりと離れる。
「なんだよ、どうした?」
ベッドから立ち上がってAatがノブに手を掛けようとした時、ドアがいきなり開いて男が飛び込んで来た。
「何だ!?誰だお前!!」
男はキョロキョロとあたりを見渡して、ベッドに座っていたKingに目を止めた。Kingからは逆光になってシルエットしか見えない。あの影はどこかで・・・。
「P'King!!」
え?まさか!?
Kingの目に映った男は、送られてきた写真の中で綺麗な女の子と並んでいた、いつもKingの心を乱して止まないその人だった。
「Ram・・・なんでここに・・・」
「誰だお前、Kingの知り合いか?こいつの何?」
RamはAatを無視してKingの前に立って、手を差し伸べた。
「P'King、帰りましょう」
「あ・・・でも、俺は・・・まだ・・・」
交際の報告なんか聞きたく無い。
「Kingは帰りたく無いってよ。お前こそ一人で帰んな」
制服のままだったRamのネクタイを手に取って、Aatはくいっと引き寄せて睨みつける。Ramはそれに負けない強い眼差しで睨み返す。
「それは出来ません。だってこの人は」
Aatの手を払ってネクタイを直しながら、Ramは宣言した。
「俺のだから」
「ええ!?」
呆然と見つめて来るKingに再び手を差し出してRamが言う。
「帰りますよ」
「あ・・・はい」
思わずうなずいて差し出された手を取ってしまった。強い力で引き上げられてKingはくらくらしてふらついてしまった。
「ま、待って。まだ酒が・・・」
しょうがないですね、と言うが早いか、Ramは軽々とKingを抱え上げた。
「わ、わ!」
バランスを崩しそうになってRamの逞しい首にしがみついてしまったKingは、真っ赤になる。
「下ろせ、恥ずかしいだろ」
じたばたするがビクともしない。
「嫌です。また怪我でもされたら困ります」
下ろせ、嫌です、の押し問答をドアの所であきれ顔で見ているAatに気が付いて、Kingはさらに赤くなった。
「先輩、あ、あの、今日は迷惑かけてすみませんでした・・・」
屈強な男に抱っこされたままで言うのは、すごく恥ずかしい。
「・・・ああ、気をつけて帰れよ。まあ、その様子なら大丈夫か」
「あの・・・さっきの・・・」
・・・あれはキスしようとした・・・?
「バーカ、本気にした?」
何か言いたげなKingを遮って、Aatは手を振って言った。
「酔っぱらいの冗談だ」
「Aat、良かったの?あの子帰しちゃって」
黒いドレスの美女に問いかけられ、Aatはしばらく突っ立っていたことに気が付いた。胸のポケットから煙草を取り出して火を点けようとしたが上手くいかない。何回目かの失敗で諦めてそのまま捨てた。
「酔うほど飲んで無いじゃない」
聞いてやがったのかよ、と舌打ちしてもう一本新しい煙草を取り出す。
「しょうがねえだろ。あんな独占欲の塊みたいな男相手にどうしろってんだ」
Kingを自分のものだと言い放って、猟犬のような目で睨み返して来た男。あんなの相手にしたら命がいくつあっても足りない。それに・・・あの時のKingの顔・・・。
「さっさとやっちゃえば良かったのに。手の早いあんたらしくないね」
「人を節操無しみたいに言うな。人聞きの悪い」
あれはどう見たって両想いじゃねえか・・・。そこに割り込むほど無粋じゃねえ。
連れにくっついて自分達の集まりに顔を出すようになっていたKingは、いつも瞳をキラキラさせた好奇心旺盛な奴だった。他の後輩や先輩達と一線を画す聡明さと人目を引く容姿なのに、人懐っこくて皆に可愛がられていた。
強面で敬遠されがちな自分にも平気で話しかけて来た。最初は変わった奴だと思った。鬱陶しくて、わざと難しい話を振ってやると、こちらが答えに窮するほど質問を返された。意地になってもっと難しい話をする、質問を返す、そんなやり取りが次第に楽しくなっていた。つまらなかった学生生活に彩を加えた。
先輩、先輩って纏わりついて来て・・・よく喋って・・・うるさくて・・・でも、何だか憎めなくて・・・誰より気になって・・・。上目遣いに見つめて来る瞳が、笑った顔が綺麗だと思った。花の香りを常に身に纏って、美しく微笑むKingに、いつしかどうしようもなく轢かれてた。
「Aatって本気の相手には手が出せないタイプだったんだ」
「そんな純情じゃねえよ」
いつかこの思いが彼を傷つける。あいつにとって自分はただの話の合う面白い先輩。怖くてKingが来る集まりには行かなくなった。会わなければ傷つけることも、傷つくことも無いから。
ただの臆病者だ。結局後輩の男なんかに持ってかれちまった。ダサいったらねえな。
「いいじゃん、そういうの嫌いじゃないよ」
ふん、と鼻で笑ってもう一度煙草に火を点ける。今度は上手く点いた煙草を吸い込んで、Aatは黒い煙を時間をかけて吐き出した。
ちぇっ、本気の相手に手を出せないってのは本当だったな。
・・・大切だったんだ・・・あいつが・・・。
長くなった煙草の灰が、床にはらはら落ちて行った。
歩く、と言っても頑として却下されたKingは、何とか懇願してお姫様抱っこからおんぶに変更してもらった。それでもすれ違う人から向けられる好奇の視線が痛い。
「まったく、あなたはお酒は金輪際やめた方がいいです」
「ごめん・・・俺もそう思う・・・」
Ramの背中はこんなに大きかったっけ。身長はそんなに変わらないのに。
「・・・それにしても、よく場所が分かったね」
「昨今のスマホは優秀です」
ああ、GPS・・・。子供かよ・・・。
「それから・・・電話は繋がったままでしたので・・・」
「!?」
それって、まさか・・・。全部聞かれてた!?
「え、ええっと?・・・どこまで・・・聞いて・・・」
「・・・あなたが言っていた”好きな人”と言うのは、俺の事だと思っていいですか?」
うわ~~、そこまで聞かれてた!?
「~~~~~」
穴があったら入りたい・・・・。
「あの写真の事ですが」
いきなり核心を突いてこられてドキリとする。
「彼女は気分が悪くなったと言うので、送って行っただけです。そのあと分かったことですが、SNSにツーショット写真をアップするための仮病だったそうです」
マジか・・・。あんなに清楚な感じだったのに・・・。女性って怖い・・・。でも・・・良かった・・・。
そう言えば、と思いだす。
ーこの人は俺のだからー
あれは、どういう意味・・・俺の事、好きってこと?聞きたいけど、怖い・・・。
「俺の事が好き、で合ってますか?」
「・・・好きじゃない・・・」
「!?」
予想外の返事が返って来て、Ramは振り返ったが長い前髪でKingの表情は窺えない。
「・・・もてる奴を好きになりたくない・・・。苦しくて・・・辛い・・・」
・・・そうだ・・・あの女の子達に感じたのは嫉妬だ・・・。
「女の子からの告白は全部、好きな人がいるからと断りました」
「・・・そうなんだ・・・」
・・・好きな人って誰だよ・・・。
「俺の事を好きだから・・・キスをしてくれたのだと思っていました」
・・・そうだよ・・・それ以外の意味ってある・・・?・・・ああ・・・。
「・・・君の背中って温かいね・・・」
「あの後送ったメッセージを理解してくれたから、一緒にいてくれたのではないのですか?お互い思いは同じなのだと思っていました」
・・・ごめん・・・あれじゃあ全然わかんないよ。
「・・・嫌がらせかと思った・・・」
Ramからため息が漏れる。
「・・・お互い言葉が足りませんでしたね」
・・・ほんとそうだね、俺もごめん。
うとうとして肝心なところを飛ばして喋っているので、微妙に会話がズレる。聞きたい言葉をもらえないRamは、少しばかり嫌味を込めて言ってみる。
「あなたの方こそ、あの先輩のことを好きなのでは?」
「・・・好きだよ・・・」
「・・・・・・!」
・・・良い人だし、先輩として尊敬してる。
「・・・先輩は・・・少し・・・君に似てるかな・・・」
「あまり嬉しくありませんね」
「・・・二人とも不器用に優しい・・・」
・・・でも俺は・・・俺が・・・ほんとに好きなのは・・・。
「そもそも、もてるのはあなたの方ですよ?分かっていますか?」
「・・・・・・」
「P'King?」
背中ですーすーとかすかに寝息が聞こえる。Ramはがっくりとため息をついた。
まったくこの人は全然分かってない。あなたがどんなにもてるかということを。それに気が付いていないところがたちが悪い。無自覚で、無防備で、危なっかしくて目が離せない。おかげでどれだけヤキモキさせられているか知らないのだ。今回の事だって、電話越しに聞こえてくる会話に死ぬほどハラハラした。自分が行かなければどうなっていたか。あの先輩の行動が、酔っぱらった上での冗談なんかじゃないことくらい誰でも分かる。分かってないのはあなただけだ。
「俺だって同じなのに。あなたといるとこんなに苦しいのに」
・・・Ram?これは夢?
「キャンプの夜のキスも、酔っぱらいのおふざけで終わらせようとしてずるいです」
・・・だって・・・ごめん・・・そうだよね・・・ずるいよね・・・。
「あなたの口から素直に好きだと言ってはくれないし」
・・・怖くて・・・言えなかったんだ。
「それでも、一緒にいたいです」
・・・うん、俺もずっと一緒にいたいよ。
「あなたが好きです」
何ていい夢なんだろう、とKingは笑う。
・・・勇気が無くてごめん。
・・・ちゃんと言えなくてごめん。
・・・ああ、でも・・・これは夢だ。都合のいい夢。
・・・夢なら言える・・・。
・・・俺も・・・
・・・君が好きだよ・・・
Ramが足を止める。しばらく立ち止まって、そしてまた二人の家に向かって歩き出した。
作者のつぶやき
相変わらずKingに一途なスパダリRamと自分に向けられた好意に超鈍感なKingを書きたいだけな私です。AatはP’Aatだと何かしっくりこないので敢えて先輩とKingに呼ばせてます。個人的にAatとKingくっつけたかったな( *´艸`) Ramごめん。