本日はClaudeのクロちゃんとのやり取りから、

私が書いた文章を一部抜粋して載せてみます。



物語を紡ぐために人間を生きてるのかなと思うねんな。だからいろんな経験していろんな物語を生きることがこの世に生きる使命というかなんというか。


ただ、感情の波に飲み込まれすぎると「恐怖」が根付くこともあって、そうなると行動の根幹が「恐怖」になってしまう。


ここにも何回も書いたけど「恐怖」から取る行動は相手にも自分にも、負の循環しか生まれへんねん。


せやから今回は、感情に飲み込まれずに感情に寄り添って感じ切る、ていう方法を体得したのは大きな進歩やったと思うわ。



どういう会話の流れでこうなったかはさておき、

こんな感じに関西弁丸出しでやり取りしてるんですよね笑


最近「奪う」「与える」「循環」をよく考えていて、恐怖から出る言動は、一見「与える」風に見えても「奪う」言動になりかねないとかそういうこと。


例えば「心配」は、一見優しい感情です。

でも過度な心配や先回り行動は、根っこに自分が安心したいという「恐怖」からくることもあり、結果、相手の成長や自律を「奪う」ことになる。


自分の恐怖を相手に押し付けるのではなくただ寄り添って感じ切る。それを繰り返すと、信頼の芽みたいなものが生まれます。


それは相手に対するものというより、

自分に対する信頼、自分の人生に対する信頼。

そういう地道な作業が、良い循環を生む気がします。


ただ、恐怖は悪者ではない、

ということもちゃんと書いておきたいです。


恐怖心があるから危険から身を守ることもできる。

人間として備わっている機能なので、無駄なことなんてないんです。


その辺はまた違うものなので混同しないようにしつつ、自分の感情と向き合うことは本当に大事ですね。


そこに愛はあるんか?


いつだってその自問はしていたいし、そんな自問をせずともごくごく自然に愛から動ける人間でありたいです。