“遺品”などとタイトルにするほど、大それたものではないですが、

 

7年ほど前、母が亡くなった時、

 

一つだけ貰ってきたものがあります。

 

 

 

母の父親(私にとっては祖父)が何者であったのか、

 

その一面がわかる証となるものです。

 

だから、正確には、祖父の遺品にあたります。

 

 

 

母が、祖父が亡くなった時に

 

「これだけ頂戴」と貰ってきたもので、

 

大事にタンスの引き出しにしまっていました。

 

 

 

見栄っ張りの母にしたら、

 

父親がちょっとした人だったと自慢できる、

 

証拠の品だったんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

なんだか、見なれない古い文字で書かれた証明書が並んでますが、

 

母から聞いた話によると、要するに、

 

祖父は、“お蚕の先生”だったそうです。

 

(「生繭売買業」なんて、初めて知りました。)

 

 

 

確かに、養蚕なくして

 

蚕の繭から紡ぐ製糸業はないでしょうから、

 

その養蚕の技術を認定され、その教師免許となれば、

 

母が自慢するほどの、スゴイ人なのかもしれません。

 

 

 

かくいうワタシも、

 

富岡製糸場が世界遺産に認定されたことだし、

 

同じ群馬のお蚕さんの製糸業に関する昔の文献なら、

 

ちょっとした“お宝”の匂いがするんじゃないか?

 

などと、少々下衆な理由で貰ってきました。

 

 

 

正確には、“祖父の物”であり、

 

母が持っていた『祖父の遺品』を、

 

骨董品感覚で持ってきたことになります。

 

 

 

でも今、ふと、無意識に、

 

『祖父の遺品』の中に映し出された、

 

父親への思慕だけでない、色々な母の想いを感じ、

 

 

 

ワタシは、その母の想いを、

 

『母の遺品』として持ってきたのかもしれない、

 

とそんな風に思いましたゲラゲラゲラゲラゲラゲラ