小学校低学年の時、

 

1円玉やら5円玉やら、たまに大物(と自分で呼んでいた)の50円玉やらの小銭の入っている

 

錆びた小さめの粉ミルクのカンカン(空缶)の置き場所(母が隠していたわけではなかったと思う)を知っていて、

 

そこから何度か、いくらか盗って駄菓子屋(『シミズ』)で菓子を買って食べた。

 

(蓋をそ~っと開け、分からない程度に少~しだけ頂戴して、

バレないように、缶の向き蓋の閉まり具合、寸分違わずきっちり元通りに置いておく。)

 

 

 

Meijiだったかも⁇

(画像はお借りしました)

 

 

 

買った菓子を家に持って帰り、母に見つかって聞かれると、

 

「お金を拾った。交番に届けたらくれた。」

 

と答えた。

 

 

 

一度、友達と遊んでいる時に、ほんとうにそういったことがあり、

 

(その時は、自分が拾ったか友達だったか忘れたが、実際に交番に友達と行った記憶がある)

 

小銭程度なら届けても、お巡りさんが持っている小銭と取り換えてくれるのを知っていたので、

 

信憑性の高い噓をついた、母はすっかり信じていた。

 

 

 

そんな悪行を何度か重ねてたある時、

 

母が誰かに、

 

「この子よくお金拾うのよ」

 

と、まるで“持って生まれた金運のある子”のように自分のことを自慢げに話しているのを聞いて、

 

 

 

これはヤバい、もう潮時だ・・・

 

と思って、その時、あのカンカンに触るのはもうやめよう(盗るのはやめよう)と決めた。

 

 

 

ヤバいと思ったのは、

 

“よくお金拾う”なんて、疑いの種が芽生える手前まできている、と肌で感じたことと、

 

 

 

自分を信じた母が、噓をつくことになってしまったこと、

 

しかも、自分の噓が、神がかり的な嘘に挿げ替えられてしまったこと。

 

 

 

子供ながらに畏れを感じ、この悪行に終止符を打ったのだったゲラゲラゲラゲラゲラゲラ