こまちしっぽフリフリが死んで、その半年後に勤め辞めて、

 

なんだか魂が死んだようになってからずっと、

 

 

 

今までの人生で、

 

親だったり、友達だったり、先生だったり、、、

 

他人からされた酷いこと、受けた心の傷、

 

 

 

小さい頃のことから、つい2,3年前のことまで、

 

 

 

――何かと、いろいろと、

 

ふと思い出されたり、思い出したりした。

 

 

 

そのうち、

 

 

 

今度は反対に、今までの人生で、

 

他人にしてしまった酷いことや、傷つけてしまったこと、

 

 

 

――何かと、いろいろと、思い出すようになった。

 

 

 

思い出されたすべてのことに、その度に心を揺さぶられ、

 

怒り、悲しみ、悔しさ、腹立ち、不満、、、

 

後悔、自責、自己嫌悪、、、

 

 

 

そのとき気持ちに折り合いをつけたことなのに、

 

思い出すと、必死に耐えても涙が出た。

 

 

 

そんな自分に嫌気がさし、

 

 

 

忘れたらいい、思い出さなければいい、

 

よくないことをしたから、されたのだ、正負の法則だ、

 

あの時のあれがなかったら、今の自分はなかったのだから、結局こうなる運命だったのだ、

 

 

 

そんな風に思っていたが、どれもこれも、

 

何か違う。

 

 

 

ある程度までは、そうなのかも知れない、

 

でも、そうじゃない。

 

何か違う。

 

 

 

それではまた、

 

自分で自分を説得し、折り合いを付けているだけだ。

 

 

 

自分の中に、

 

折り合いを付けられない、付けてはいけないほんとうの自分がいて、

 

その自分が、違う、と思っているような気がした。

 

 

 

すべての事象、そのこと自体に善の意味も悪の意味もない。

 

後から人が勝手に思いを載せているだけだ。

 

 

 

思いだしたことを、ただ感じることにした。

 

 

 

悔しい、悲しい、申し訳ない、謝罪、、、

 

湧いてくる思いを、ただ感じるだけにして、それについて考えたりしない。

 

 

 

理由をつけたり、人の思惑を推しはかったり、

 

自分を卑下したり、、、

 

 

 

一切考えないで、

 

ただ湧いてくる自分の気持ちを感じる。

 

感じたらそれでおしまい、考察はしない。

 

 

 

人生が、少し立ち止まったように思うけれど、

 

仕方がない。

 

 

 

多分、今は、そうやって、

 

折り合いをつけてどこかに追いやってしまった

 

自分の内なるココロを、

 

 

 

ゆっくりと呼び覚ます、そういう時間なのかもしれない。