店が、明日から正月休みに入る今日、DAN那がお客様と話している。

 

 

 

「いやぁ~、明日は、大晦日ですね。」

 

 

 

今日からお休みと話されていた、お客様が返す。

 

 

 

「全然そんな気しない~」

 

 

 

ほんとですね、と笑い合う。

 

 

 

ほんとうに、大晦日ですら、ただの1/365の感覚になった。

 

元旦も然り。

 

 

 

名のついている日、クリスマス、ハロウィン、その他祝日、誕生日さえも、もう、ただの1/365に過ぎない。

 

 

 

元々、若い時分からそう思う節はあったが、ここまでではなかった気がする。

 

時代が変わるほどの歳をとったのと、度重なる諸々の経験に、世間一般の通常行事ごときに胸躍る若さがなくなったのか。

 

 

 

もちろん、それが一番大きいけれど、

 

自分の中にある、ある種の劣等感みたいなものが、“名をつけた日を、特別扱いにする”ということに、ものすごく抵抗を感じるのだ。

 

 

 

超ウルトラ級の偏見でしかないが、

 

名のない日は、特別じゃない、普通の、その他大勢の日と言われているようで、

 

全くもって取るに足らないその他大勢の身としては、“別に他の日と変わらない、1時間は1時間、1分は1分、流れる時は、同じじゃないか”と、屁理屈で抵抗したくなるのだ。

 

 

 

1/365・・・さんびゃくろくじゅうごぶんのいち。

 

 

 

1/365・・・さんびゃくろくじゅうごぶんのいち。

 

 

 

あぁ、そうか、そればかりじゃなかった。

 

 

 

・・・もう36年も前、

 

 

 

大好きな彼に、手編みのマフラーを誕生日にプレゼントしようと、必死に用意し渡そうとしたら、その日はスキーに行っていないと言われ、

 

やはりその日に渡したかった、と残念な旨を彼に伝えた時、

 

 

 

何かのお返しのプレゼント(他の女宛て)を一緒に選んでくれと彼に頼まれ、PARCOに行って探しながら、ちなみに自分の誕生日を聞いたら、月までしか覚えておらず、

 

ワタシの誕生日なんか祝ってくれる気ないのかしら、とやんわり可愛げに拗ねて言ってみた時、

 

 

 

大晦日を一緒に過ごし、大学の校舎に潜り込み、屋上から初日の出を見ようと話していた彼が、

 

年末年始手当て時給2倍のバイト代の前に、そんな話はすっかり忘れ、コンビニのバイトを入れてしまい、

 

楽しみにしていた約束を反故にされ、年越しのその瞬間を共有できなかったのが寂しくて、さすがに彼に苦情を言った時、

 

 

 

そんな時、彼から返ってきた言葉が、

 

 

 

「そんなのどれも、1/365日じゃん <(・з・)>

 

 

 

だった。

 

 

 

この彼と別れた頃から、“名の付く日”が面倒になると、

 

「1/365日じゃん。流れる時は、同じじゃん。」

 

と、彼から賜った珠玉の言葉を自分も言うようになったのだった。言葉に込められた意味や気持ちは、あの時の彼とはちょっと違うものだけど。