兄がいる。
一緒に住んでいた母が亡くなってから、そのままアパートで独りで暮らしている。
母が亡くなって、6年が経つ。
母が亡くなってすぐ、その一年後、そのまた一年後と、毎年一度、去年は二度ほど、
兄から連絡があった。すべて、
「お金がないので、助けてくれないか。」
ということだった。
毎年、その時々で事情があったようだけど、結局のところ、職を失くして収入が無く、食べれずに餓死しそうだ、というのが理由だった。
その都度、いろいろ悩みつつも、今どきの高校生の小遣いにもならないほどの、返してもらわなくていい額、数日のその場しのぎにしか使えない額を口座に振り込んだ。
毎回、返さなくていいよ、と言って、「返すから教えてくれ」と言う口座番号も教えなかった。毛頭、返してもらおうと思ってないので気にもしてないが、貸した後に、口座番号を聞かれたことはない。返してもらったこともない。
兄は、頭が弱い子だった。情報が進んだ今だったら、発達障害、学習障害(LD)と言われたと思う。昔はそういう障害があるなんて、言葉すら知らず、“できない子”あるいは“落ちこぼれ”として、扱われてきた。時として、他人から疎まれたと思う。
母は、愛情をかけながらも、兄を“できない子”として育ててしまった。兄には“できない”からと、何一つ、お使い一つも頼まなかった。
学校生活、就職、社会人になってからも、兄が生きていく中で、困難なことに局面し、辛く苦しい時、いつも、母がそばにいて、手を出し奔走して代わりに解決してくれた。この子には“できない”から。
兄は、仕事はするのだけれど、いろんな事情が起きて、辞めさせられてしまう。貯金などないから、職を失うと、即、食べれなくなる。
ほんの2,3日は振り込んだお金で何とかなっただろう。でも、その後、食べていくためには、どうしたらいいのか、どうしたら生きていけるのか、自分で考えるしかない。どうにかしてくれた母は、もういない。
自分の人生は、自分で生きるしかない。
“できない”では、生きられない。人生を肩代わりすることは、誰にも、母親にもできないのだから。
そんな兄から、8ヵ月ぶりに、電話がかかってきた。
