今年の12月で25周年を迎えるファイナルファンタジーシリーズチョコボ。今回からはFF25周年の軌跡を書きたいと思います。ちなみに、今年の9月20日にはPSP版のFF3ルーネスが発売されるなどドラクエスライムやポケモンプラスルと並んで国内を代表するRPGのシリーズ作品の一つとなっているファイナルファンタジーチョコボだが、その始まりはというとこのソフトに社運をかけたりとあまりにも壮絶なものだったんです。


徳島県の電気工事会社である電友社のソフトウェア開発部門として1983年の秋に設立されたスクウェア(現、スクウェア・エニックス)だけど、初めは人材確保を目的として横浜の日吉に最新パソコンを自由に使える会員制のサロンを開設してました。この周辺にいる大学生がこのサロンに出入りしていたが、その中には後にFFを開発する坂口博信さんや彼の同級生でもある田中弘道さんがいて、彼らはその後アルバイトを経て入社することになるけど…。
設立から半年後の1984年春、サロンの会員の中から選ばれたメンバーと公募で集められたものでパソコン向けのゲームソフトを開発しだしました。さらに翌年には任天堂とライセンス契約を結びファミコン用ファミコンのソフトを提供しだすものの、前述のパソコン用のソフトとともどもなかなかヒット作が出ませんでした。そこに目を付けたのが1986年に発売し、ヒットしたドラクエスライムだったというわけ。この頃のファミコンは「スーパーマリオ」(任天堂)などのアクションゲームが主流でRPGなどといった思考系のゲームはヒットしないと思われたが、「ドラクエ」は見事にそのジンクスを覆し、100万本以上売り上げたました。その影響を受けて坂口と田中さんはファミコンでRPGを作ろうと決意しました。在学8年目(彼はスクウェアに入社しているものの、横浜国大を休学していた)だし、天才プログラマーであるナーシャ・ジベリと一緒にファミコンの3Dゲームを開発したがうまくいかなかったこともあり、次のゲームがダメなら大学へ戻ろうという思いでこのRPGに夢を託しました。ちなみに、スクウェアもソフトの不振が続き、このゲームがダメだったらゲーム業界からの撤退も考えていたぐらいです。


坂口とナーシャらを中心としたスクウェアAチームが最後の望みを託しこのゲームを開発したわけだが、後にサガシリーズを輩出する河津秋敏さんや聖剣シリーズを出すことになる石井一浩さんや音楽を担当する植松信夫さんがこのメンバーに加わるなど総力戦でした。こうして出来上がったのが「ファイナルファンタジー」クリスタルだったというわけ。FFという名前にはこのゲームがヒットしなかったらゲーム開発をやめるという彼だけでなく、この会社にとっても最後の夢が込められているんですね。


そして、1987年12月18日にファイナルファンタジー(FF1)が発売されました。その後については次回ということにします。