前回は「ドラクエI」
ができるまでを話しましたが、今回はその続編である「ドラクエII」について触れてみたいと思います。
しかし、光があれば闇があるように多くのユーザを悩ませることに。その筆頭といえるものは前作にもあった復活の呪文ではないだろうか。というのも、前作では20文字だったが今作ではなんと最大52文字に。しかも、間違えると再開すらできなかったことから数多くのプレイヤーを苦しめたのは確かです。
ペルポイにいるラゴスの件もそうだけど、ロンダルキアへの洞窟の難しさやロンダルキアで遭遇する敵の強さも数々のプレイヤーを葬ったのではないかなと思います。ロンダルキアへの洞窟は落とし穴地獄のフロアや正解の道を通らなければ進めないというドラクエ史上極悪のダンジョンである上に、それを通り抜けると今度はキガンデス
の痛恨の一撃やブリザードの「ザラキ」、デビルロードの「メガンテ」といった猛攻が…。途中のほこらで復活の呪文を聞くことができるが、その前に全滅してしむと極悪のダンジョンを抜けなければならないことから目も当てられません。とりわけ、デビルロードの「メガンテ」を食らうと最高レベルまで育てても即全滅というからたまったもんではありません。また、主人公たちに目を向けると最初の仲間になるサマルトリアの王子が
(ry 最初は「ホイミ」や「ギラ」が覚えられたりと頼れる奴と思いきや最強装備が序盤で手に入る鉄の槍だったりと、「ベギラマ」がムーンブルクの王女
が覚えられる「バギ」とほとんど変わらなかったりと後になって器用貧乏が目立つように。しかも、「ザオリク」を覚えられるのは彼だけなのに戦闘中は「ザオリク」はもちろん、世界中の葉も使えなかったりと厳しいものでした。そんなこともあってはドラクエシリーズの中では「II」が一番難しいという人も少なくないかなと思います。ちなみに、自分もその一人だったりします。
なお、1993年に「I」とカップリングでSFC版が発売されるが、冒険の書になったうえにFC版のようないやらしい敵については弱体化したりと調整がなされているのでFC版のような苦労はなくなったといってもいいぐらいです。
余談ではあるが、この当時はというとインターネットという便利なものはなかった時代で、おもな情報源はゲーム雑誌や口コミが頼りでした。そんなこともあり、発売後は各ゲーム雑誌がこそって「ドラクエII」のマップなどといった攻略情報を出していったが、中には攻略情報が原因でエニックスから訴えられてしまった出版社も。ちなみに、その事件を起こしたのはハイスコアというゲーム雑誌でダンジョンの宝箱や階段の位置といったメーカー側が指定した掲載範囲を逸脱してしまったために裁判沙汰となってしまったんですね。
ということで、プレイヤー側からみたドラクエIIを述べてみましたが、制作サイド側も容量不足という敵に悩ますことに。これについては次回お話したいと思います。

制作スタッフに堀井雄二や鳥山明、すぎやまこういちといった各界を代表する第一人者を連ねて25年前に発売した「ドラクエI」だけど、いざ蓋を開けてみるとしばらくは爆発的には売れませんでした。この当時はというとアクションやシューティングが主流であり、RPGに至ってはパソコンマニアがやるジャンルにしか認識されませんでした。そんなこともあってか制作スタッフの一部が携わっていた週刊少年ジャンプ
には随時このゲームを取り上げられていたものの、コロコロコミックに至ってはハドソンが主催した全国キャラバン大会で採用されたソフト(「ドラクエI」が発売した当時は「スターソルジャー」だったけど…)などをタイアップしていたこともあり、「ドラクエ」に至ってはジャンプほど取り上げることはありませんでした。
しかし、ゲームに詳しい人たちがその面白さを伝えようと普及活動を開始したり、週刊少年ジャンプの読者を中心に子供たちの間に浸透していった結果、じわじわと人気が出始め最終的には150万本を達成するに至りました。
そして、ドラクエの続編が発表されるや否や前作からプッシュしていた週刊少年ジャンプだけでなく、「ファミコン通信」(現、ファミ通)や「ファミリーコンピュータマガジン」といったゲーム雑誌がこぞって紹介するなどその期待は大きなものとなっていき、「I」の発売から約8カ月の1987年1月26日、その続編である「ドラゴンクエストII 悪霊の神々」
が発売されました。いざ発売してみると前作で高まった人気を受けるかのように発売直後から品切れが続出し、中にはドラクエII欲しさに事件を起こしてしまう人も。そんなこともあってか瞬く間にブームを作ってしまいました。
しかし、光があれば闇があるように多くのユーザを悩ませることに。その筆頭といえるものは前作にもあった復活の呪文ではないだろうか。というのも、前作では20文字だったが今作ではなんと最大52文字に。しかも、間違えると再開すらできなかったことから数多くのプレイヤーを苦しめたのは確かです。
ペルポイにいるラゴスの件もそうだけど、ロンダルキアへの洞窟の難しさやロンダルキアで遭遇する敵の強さも数々のプレイヤーを葬ったのではないかなと思います。ロンダルキアへの洞窟は落とし穴地獄のフロアや正解の道を通らなければ進めないというドラクエ史上極悪のダンジョンである上に、それを通り抜けると今度はキガンデス



なお、1993年に「I」とカップリングでSFC版が発売されるが、冒険の書になったうえにFC版のようないやらしい敵については弱体化したりと調整がなされているのでFC版のような苦労はなくなったといってもいいぐらいです。
余談ではあるが、この当時はというとインターネットという便利なものはなかった時代で、おもな情報源はゲーム雑誌や口コミが頼りでした。そんなこともあり、発売後は各ゲーム雑誌がこそって「ドラクエII」のマップなどといった攻略情報を出していったが、中には攻略情報が原因でエニックスから訴えられてしまった出版社も。ちなみに、その事件を起こしたのはハイスコアというゲーム雑誌でダンジョンの宝箱や階段の位置といったメーカー側が指定した掲載範囲を逸脱してしまったために裁判沙汰となってしまったんですね。
ということで、プレイヤー側からみたドラクエIIを述べてみましたが、制作サイド側も容量不足という敵に悩ますことに。これについては次回お話したいと思います。