当時マニアックなジャンルであったRPGを一般に広く知らしめられたにも関わらず、ファミコン初のRPGを名乗ることを許されなかった「ドラゴンクエスト」。ただ、ファミコン初のRPGを目指していたのは確かであり発売するまでには幾多のドラマがあったとか。
ちなみに、戦争シミュレーションから派生して考案されたRPGは「ダンジョン&ドラゴンズ」というTRPGのヒットで一般的に知れ渡り、「D&D」をコンピュータで再現しようとするところからコンピュータRPGいうとジャンルが誕生しました。「D&D」を再現して作られたのがRPGの元祖といわれている「ウィザードリィ」と「ウルティマ」だったというわけ。ここまでが前回のおさらいということになります。
アメリカで「ウィザードリィ」や「ウルティマ」がヒットしたころスクウェア・エニックスの前身でもあるエニックスがあるコンテストを開催しました。そのコンテストというのが第1回ゲームホビー・プログラムコンテストで後にドラクエの産み親として名を馳せることになる堀井雄二とプログラマーを担当することになる中村光一さんがこのコンクールに参加し、中村光一さんが「ドアドア」という作品で優秀プログラム賞を受賞することに。その後、エニックスは「ドアドア」でファミコン市場に参入し、その4ヶ月後には堀井雄二が手掛けた「ポートピア連続殺人事件」という作品をファミコンに移植しました。
移植に当たってはファミコンのコントローラでも操作できるように直接コマンドを打ち込む方式からコマンドを選択する方式にし、3Dダンジョンを取り入れるなどファミコン向けにカスタマイズしました。ただ、3Dダンジョンはどう考えても「ウイザードリィ」を意識しており、その中には「もんすたあ さぷらいずど ゆう」という落書きもあるとか。アドベンチャーゲームでもあるこの作品をファミコンに移植したのは何らかの意図があり、「ドラクエ」を出す準備としてファミコンユーザーにただ文字が出るゲームを慣れさせようとしたに他なりませんでした。
というのも、堀井さんと中村さんはPCで「ウルティマ」や「ウィザードリィ」といったアメリカ産のRPGをプレイしファミコンならRPGが作れると確信し、それを実現しようとエニックスの千田信行さんに提案を持ちかけました。ただ、この当時のファミコン市場はというと「スーパーマリオ」などといったアクションゲームや「ゼビウス」
(ナムコ)を代表するシューティングゲームが主流であり、RPGにいたっては未開のジャンルといっても過言ではありませんでした。しかし、RPGに魅せられた堀井さんらの意思は固く千田さんはゴーサインを出しここにファミコン初のRPGの開発に乗り出すことになったのです。
なお、堀井さんはファミコン初のRPGを開発するにあたって「ウィザードリィ」などを参考にしつつRPGに馴染みのない子どもたちにも楽しめるRPGをコンセプトにしました。「ウィザードリィ」の場合はパーティを組んで3Dダンジョンを探索し、最終的には最深部にいる邪悪な魔術師を倒すことが目的だが、「ドラクエ」を作るにあたっては迷いやすい3Dダンジョンではなく「ウルティマ」で採用している2Dフィールドとし、初めてRPGに触れる人を配慮するため終始1人で冒険を行い、戦闘も1対1にするというシンプルなものにしました。
その反面、容量不足と戦ったことも。というのも、そもそもファミコンのメモリ空間はというと64kバイトしかないうえにドラクエで採用したカートリッジの容量は512kbitしかありませんでした。オーバーしないためにもテキストで使う文字の種類を限定したうえでモンスター名や地名に使っていたというわけ。そればかりでなく、ひらがなと形が似ている「ヘ」や「リ」に関してはひらがなで代用したり、「こうげき力」といった漢字も似たカタカナで代用したりと徹底的にスリム化を図っているし、グラフィックに関しては横や後ろのパターンを用意しなかったりと容量を削減する工夫を図りました。そのため、主人公の動きがカニ歩きと揶揄されることに。
このように初心者に分かりやすいRPGを目指すために様々な工夫をこなした「ドラクエ」だが、実はスライムのように親しみやすいキャラクターと今でも耳に残る音楽もドラクエの魅力でもあるんです。これらについては次回話したいと思います。
(2011-05-18 修正)