スーパーマリオが誕生して25周年。これまでマリコレやスーパーファミコン20周年を通じてマリオの歴史を綴ってみましたが、スーパーマリオが登場する前はどんなゲームがあったのか気になるところ。ということで、ファミコン
いや、コンピュータゲームが登場する前にさかのぼりたいと思います。
機械にゲームを行わせるという発想は19世紀からありました。ちなみに、そんな発想をしたのはイギリスの数学者のチャールズ・バベッジで機械にゲームを行わせることに興味を持ち、コンピュータを考えたとか。ただ、チェスの場合は膨大すぎて現実的でないことに気づき、結局のところ考案だけで終わってしまいました。
チャールズ・バベッジがコンピュータゲームを考案してから1世紀が経った1952年、イギリスのケンブリッジ大学の大学院生が三目並べの「○×○」をEDSACで作ったんです。その前にはアメリカのラルフ・ベアがオシロスコープでピンポンゲームのようなものを遊んだという話もあるけど、記録が残っている中では「○×○」こそがゲームの始まりといっても過言ではありませんね。
日本が高度成長を謳歌していた1962年にアメリカのMIT(マサチューセッツ工科大学)で専用のコントロールボックスを搭載した初のゲームである「スペースウォー!」を開発しました。そのころ、ラルフ・ベアがテレビゲームのアイデアを思いつき、ブラウンボックスを作るものの製品化には至りませんでした。
ただ、MITが開発した「スペースウォー!」は次第に全米に広がり、その魅力に取りつかれた一人の男が「スペースウォー!」を改良して初のアーケードゲームである「コンピュータスペース」を1971年に作りました。また、ラルフ・ベアも1972年に初めての家庭用ゲーム機である「オデッセイ」を発売したものの、テレビゲーム機について知らなかったこともあってかヒットまでには至りませんでした。ただ、オデッセイに感銘を受けたノーラン・ブッシュネルがアタリ社を設立。オデッセイのテーブルテニスを元に「PONG」を開発・発売し、商業的に成功すると日本のセガやタイトーがこぞって「PONG」のコピーゲームを開発。日本国内にもコンピュータゲームが登場することになるんですね。ちなみに、国内初のコンピュータゲームはというとタイトーの「エレポン」だとか。
家庭用ゲーム機が登場したのもこの頃で1975年にエポック社が日本で初めてのゲーム機である「テレビテニス」を発売、ただこの当時のゲーム機はゲームソフトと一体化していて取り替えることはできませんでした。一方、任天堂も負けじとテレビゲーム6・15を1977年に発売、こちらもファミコンと違ってソフトを入れ替えることができなかったものの、種類が少ないが値段の安い6と値段が高い(といっても、他の競合機に比べると安いが…)がたくさん遊べる15の2種類をラインナップすることで他社を圧倒し、ヒットすることになるんです。
この頃、マリオを産むことになる宮本茂さんが任天堂に入社し3年後の1980年に横井軍平さんから一緒にポパイ
を題材にしたゲームを作ろうと呼びかけるが、ポパイを作るための版権が下りないことから宮本さんがオリジナルキャラに差し替えて「ドンキーコング」
を作ることに。ポパイと差し替えたオリジナルキャラこそがマリオ
(当時は工事現場のおじさん)だったというわけ。そして1981年、マリオのデビュー作である「ドンキーコング」がアーケードで稼働することになったんですね。という具合にゲームが誕生してからマリオが誕生するまでの流れを書いてみたけど、初めてのゲーム機であるオデッセイの影響を受けて任天堂がゲームビジネスに舵を切りだしたが、その同時に宮本さんが入社したことが後のファミコンブームを作ったという点では大きな転機だったかなと思います。