第3弾はソフトの高騰化をキーワードにプレイステーションなどといった次世代機が出る前後のスーパーファミコン市場を話しましたが、今回は次世代機が台頭した後について話したいと思います。
スーパーファミコンの周辺機器の一つにサテラビューというものがありました。文字通り、スーパーファミコン向けのBSデータ放送サービスを受信するための機器で、データ放送そのものはSt.GIGAと共同で1995年4月~2000年6月まで提供されました。(ただし、末期は任天堂は関与せず、St.GIGA単独の放送だったけど…)
ちなみに、サービスそのものは音声を連動させたりサウンドリンクゲームや新作のソフトの体験版やサテラビューオリジナルのゲームも配信されていました。ただ、ゲーム市場のほうはプレイステーションなどの次世代機が次々と発売された直後でNINTENDO64(当時はウルトラ64)を含めてそちらの方に関心が移っていた時で本体に加えてBS放送受信機材が必要ということもあってかそれほど普及しませんでした。
その翌年、FFVIIがPSで発売されるというニュースが駆け巡ったこともあり、最終的にはドラクエVI
を持って完全にPSに移ってしまったが、その後も任天堂は「星のカービィスーパーデラックス」
などといった名作も出し続けたんですね。こちらはウルトラスーパーデラックスをきっかけに「カービィ3」を含めてVCで遊んでしまったぐらいです。
その一方、NINTENDO64で次世代機戦争に参入した後もスーパーファミコンは低価格向けのゲーム機として提供し続けられ、1997年にはニンテンドーパワーと呼ばれるSFメモリカセットを使ったゲーム書き換えサービスに踏み切ることになるんですが、この時にはPSの全盛期ということもあり、SFCはすでに過去のゲーム機となりつつありました。そんなこともあり、ニンテンドーパワーもほとんど普及しませんでした。そして、発売から10年経った2000年12月に「メタルスレイダーグローリー ディレクターズカット」(HAL研究所)の発売をもちましてスーパーファミコン向けのソフトの提供は終了し、2003年にファミコンとともに本体の生産を打ちきりました。最終的には国内で約1700万台売れたものの、ファミコンに比べるとちょっと影が薄かったかなと思います。
こうしてみるとスーパーファミコン20周年といっているけど、マリオはファミコンの普及に一役買っただけでなく、その後のゲームに影響を与えたということを考えるとスーパーマリオ25周年をプッシュしているのもうなずけますね。