「ねぇ、鳴さん。これって、どう思います?なんか納得いかないんですよね」

喫茶『欅の葉っぱ』のテーブル席で、スマートフォンの画面に釘付けになっていた尾関梨香が、ひょいとその画面を向かいに座っていた鳴滝慎吾の目の前へと突き出した。

「アイドルへの殺害予告で無職男性逮捕……ああ、例のあれか。それがどうした」

画面の文字を読み上げた後、鳴滝は興味無さ気に目の前のピラフをスプーンで口に詰め込んだ。

「殺害予告だけでも逮捕されるのに、あの襲撃事件の犯人は何で裁かれないんですか!」

さほど関心を示さない鳴滝に、尾関梨香は語尾を荒げて喰らい付いつく。その彼女に、鳴滝は口に含んだピラフをのほほんと咀嚼する。
尾関梨香の言う『あの襲撃事件』とは、とある地方都市で活動しているアイドルグループの事件である事は鳴滝も理解はしている。

帰宅時に自宅マンションの玄関でファンを名乗る男二人組みに襲撃され、その事実を被害者であるアイドル本人が自らネット上で告発した事で話題になった事件だ。
毎日のように報道されていたので、流石に芸能界に疎い鳴滝でも知っていた。

「ちゃんと逮捕はされただろう?そっちの犯人も」

面倒臭そうに、鳴滝は次のスプーンを口へと運びなが般若と化した尾関梨香を見た。

「逮捕されても釈放されてるじゃないですか!どう考えたって、実際に襲撃した方が悪いのに何で釈放されちゃうんですか!警察は何をやってるんですか?」

「捜査して逮捕するのは警察官。裁判にかけるかどうか判断するのは検察官。警察はちゃんと自分の仕事をしてるよ」

ピラフの皿を綺麗に攫った鳴滝は、脇に置かれた冷めたコーヒーを口にした。彼は猫舌なのだ。

「なんか納得行かない!」

一人気を吐く尾関梨香を尻目に、鳴滝は喉を流れるコーヒーの余韻に浸っている。

「そこまで言うのなら思い出せ。あの県警副署長とマスコミのやり取りを」

「副署長とマスコミのやり取り?」

目を閉じたままの鳴滝の口から漏れ出たその言葉に、尾関梨香は首を傾げた。

「簡単な事さ。記事の『どうして不起訴なんですか?』の問いに、副署長はこう答えた。

『地検が判断する事ですから。私からはお答え出来ません』

それが全てさ」

「それで良いんですか?鳴さんはどちらを信じるんですか?」

尚も関心無さ気に語る鳴滝に対して、向かいに座る尾関梨香の言葉は反比例してヒートアップして行く。

「どちらを信じるも何も、それが国家権力の判断なんだ。俺達が噛み付いたって変わりはしないよ」

「鳴さんなら分かってくれると思ってたのに……もう聞きません!」

ヘソを曲げてプイと鳴滝に背を向けた尾関梨香へと、閉じた瞼の左だけを開いた鳴滝が語り出した。

「この二つの事件に共通するのは監視カメラだ」

いつになく低い声で語られた彼の『監視カメラ』と言うワードに、背を向けていた尾関梨香も思わず振り返っていた。

「殺害予告をした容疑者は、コンビニから報道機関へと向けてファックスを送信した。それ自体は何も不思議じゃない。固定電話を契約している世帯が少ないこの御時世だ。しかし、だからこそ腑に落ちない」

驚きに目を見開いている尾関梨香に構わず、鳴滝は尚も言葉を続けた。

「どうして、わざわざ監視カメラのあるコンビニから送信したのか。そして、何故に送信先が報道機関だったのか。ただの目立ちたがり屋の犯行と呼ぶには、余りにも陳腐だと思わないか?」

「それって……その容疑者が熱烈なファンだったからじゃ?」

不意に差し向けられた自らへの問いに、尾関梨香はしどろもどろだ。

「熱烈なファン?では、彼は本当は『誰』のファンだったんだよ?この行為で一番に徳をするのは誰だなんだ?」

再びの鳴滝の問いに、尾関梨香は押し黙る。その彼女を見つめつつも鳴滝は更に言葉を重ねて行く。

「俺には、アイドルファンの気持ちなんて分からない。ただ、彼等のひたむきな応援したいと言う気持ちは分からなくもない。誰かの為に、例えそれが幻想としてのアイドルであったとしても、その為になら自分の人生を捧げると言う奴が出て来てもね」

「自分の人生を犠牲にしても……って事ですか?」

そこでやっと尾関梨香が口を開いた。

「そうだ。それが彼等にとっての生きる意味なんだよ」

「そんなの……悲し過ぎます……」

「何が本人にとっての幸せか?それはそれぞれの人間の価値感が決める事さ。それを理解しようなんて無理がある」

「だからって!」

それだけを声高に叫んだ尾関梨香は沈黙した。その彼女の沈黙を待っていたかの様に、コーヒーカップを片手にした鳴滝が語り出した。

「そう。この事件は、様々な意味で悲し過ぎる。利用する者と利用される者。それを、あからさまに浮き彫りにした事件だからな」

「利用する者と……される者?」

「芸能界ってのは、目立ってナンボの世界さ。時には狡猾に立ち回らなければならない」

尾関梨香の疑問を他所に、鳴滝は尚も語り続ける。しかし、それは彼女にとっての計算の内だった。ここまでしなければ、彼の探偵としての自尊心に火を点けれないと知っての演技だったのだ。その意味では、最も狡猾なのは尾関梨香なのだが。

「人は学習する生き物だ。それだけに、幼少期に置かれた環境は、その後の人格形成を大きく左右する」

彼が深く思考する際に現れる右目を手で覆う仕草に、尾関梨香はしてやったりの眼光と共に彼を見つめた。

「インタグラムで誤爆した事で、降格されたアイドルグループのキャプテンが居たよな?」

求める核心について語り出した鳴滝に対し、尾関梨香は敢えて彼の問いに答えず沈黙を守った。

「よく考えろ。この事件の『善』と『悪』は、ひとつの場所に存在しているんだ。それを隔てるものは何か?それこそが君が求める結果の近道なんだよ」

そこまで語った鳴滝は、手にしていたコーヒーカップをテーブルの上に置かれたソーサーに互いが割れんばかりの勢いで叩きつけていた。