どうも、ハテニャです。(今日は!つけるの控えときますね)
余部鉄橋列車転落事故から28日で36年です。転落した車両は「お座敷列車みやび」です。では事故の解説をどうぞ
参考資料
http://kokutetu.seesaa.net/article/443744678.html
みやび正面画像
みやび事故画像
1.お座敷列車みやび
お座敷列車みやびは14系客車を鷹取工場で改造したもの。高砂工場で改造したサロンカーなにわを手掛けたスタッフが施工した。
車内はこれまでの正座やあぐらではなく、堀り炬燵を取り入れた。これにより通常の椅子と同じようにくつろげるようにした。
2.事故発生まで
1986.12/28にみやびは国鉄福知山鉄道管理局の職員を香住駅で下ろした後、浜坂駅へ回送するルートで運転されていた。職員たちが列車に乗っているこの時、福知山鉄道管理局と香住駅ではこのようなやり取りが行われていた。(会話は想像ですがやり取りは本当です。)
ー風速25m/s以上を示す警報が作動ー
福知山鉄道管理局(以下、福知山)
「香住駅さん、警報なったけど風どう?」
香住駅
「いや~、風速20m/sくらいで大丈夫っす!」
福知山
「この時間帯は列車通らないから、様子見ましょう!」
みやびが香住駅で職員を下ろした後…
ー2回目の警報作動ー
福知山
「香住駅さん、2回目よ!それにみやびが橋の近くじゃん!」
香住駅
「もう間に合わないかも…」
福知山
「もう仕方がない。特殊信号機の作動はやめとこう。」
この時、みやびは既に橋に差し掛かっていた。
3.事故発生
13:45、みやびは真ん中の車両が日本海の突風にあおられ転落、続くように機関車を除く7両が鉄橋の下へ落ちていった…。落下した車両は蟹加工工場と民家に直撃。蟹加工工場の従業員5人と車掌1人が亡くなり、車内販売員3人と蟹加工工場の従業員3人が重傷を負った。牽引したDD51 1187は橋梁上に残った。
民家については住人が留守だったことは不幸中の幸いだったといえる。
4.事故の原因
まず原因として挙げられるのは
1.風速計の故障
2.警報が出たときに人間の判断を介して列車停止指示をだしていた
3.橋の欠陥
【解説】
1については2つある風速計のうち、1つは故障、2つも精度が落ちていることが判明。
続いては2で、警報が出たときに人間を介して列車を停止させるといった方法を用いていたのだが、信号無視ができる人間の判断より自動的に列車を停止させる仕組みが必要であるとした。
最後、橋の欠陥については当時吹いていた風速33m/sでは計算上、客車が転覆することはほぼなく、橋のレールが風が吹く方向とは反対の海側に曲がっていたことを余部事故技術調査委員会は指摘。そのため、フラッター現象を起こしやすくなっていたと考えられる。
この事故で考えられるのはフラッター現象を起こしたDD51が蛇行動を起こしてレールの歪みを生じ、中央の客車が脱線して、両端の客車を引きずるように転落した…
でも、上の考え方は事故の報告書でも一切触れられていない。
5.みやびの代替車両【あすか】
みやびの代替車両として急遽鷹取工場で改造されたお座敷列車あすかだ。種車は12系客車と14系客車。こちらも同様に堀り炬燵となった。
6.まとめ
余部鉄橋列車転落事故は様々な不運が重なり、発生した事故だと考える。また、特殊信号機の作動をしなかった福知山鉄道管理局の指令長、指令員計3人が禁固2年~2年6ヶ月の執行猶予つき有罪判決が出された。
また、この事故で有罪判決が出されてない機関車の運転士の上司が自殺してしまった。
最後にハテニャから。
この事故のことを未来へ伝えていかなければならない。二度と同じことを起こさぬように…