今から40年前の今頃、母に公衆電話で「留年が決まった、4年間で卒業できない」ことを連絡した。


4月の最初の登校日に教員から成績書を配られ、単位を数えると、4年次卒業研究着手条件に選択必修から2単位不足していた。何回も何回も数えたが、変わらなかった。


今は試験時間が60分もあるようですが、当時は授業時間と同じ90分でほとんどが計算問題であり、最初で計算ミスをすると最終的な答は合わない。毎回胃が痛んだ。  





持込の試験などなかった。あとみんな電卓であったが、試験用紙には計算尺の使用は認められていた。
数式を用いて論述、論理展開していく、歴史を捏造する手法など使えない。定理、数学に立脚した解答をしなければならないのであり、捏造とか使えない。

当時属していた航空系学科で4年で卒業したのは4、5割程。残りは5年以上要した。
東大天下り先生の問題が難しいのか、学生がバカなのか?

母に電話が繋がり、無言のままで言いたくても、言葉を発するこどかできない。約3分後「留年した」ことを絞り出すように話した。母の「しょうがない」が救いであった。