アニメーション映画『借り暮らしのアリエッティ』(企画・脚本:宮崎駿/監督:米林宏昌)のレビューです。
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あらすじです(ねたばれがあります)。
小人のアリエッティ一の一家は人間の家の地下に住み、生活するのに必要なものをそのつど人間から見つからないように「借りてきて」暮らしています。
14歳になった女の子のアリエッティは父親と一緒にはじめて人間の生活する空間に「狩り」に行きます。「狩り」に行くというのは、人間の食べ物とか生活必需品を盗んでくることです。
アリエッティはまだ「狩り」に行ったことがないので、「狩り」に行くことをとても楽しみにしていますが、人間の様子を偵察してきた父親が「また一人人間が増えた。」という情報を持ってきます。人間が増えるということはそれだけ自分たちのことを発見される危険性が増えるということです。
しかもその人間は子供のようです。
アリエッティの母親は
「子供のほうが多くの場合凶
「子供のほうが多くの場合凶
と言って、アリエッティが狩りに行くことを心配しますが、アリエッティははじめての狩りをとても楽しみにしています。
父親は、
「その人間の子供は病気のようだから」用心すれば大丈夫だろう、ということでアリエッティを狩りに連れて行きます。
父親は、
「その人間の子供は病気のようだから」用心すれば大丈夫だろう、ということでアリエッティを狩りに連れて行きます。
けれど、父親の情報不足のせいもあるのですが、「狩り」をしている最中に、アリエッティは人間の子供のシュウに見つかってしまいます。
シュウはアリエッティに
「今日君を庭で見たよ。」
などと優しく話しかけます。
シュウはアリエッティに
「今日君を庭で見たよ。」
などと優しく話しかけます。
アリエッティは父親とその場から静かに逃げますが、その途中に「狩り」の獲物である角砂糖を落として行きます。
家に帰ってから、父親はアリエッティが人間に見つかったという話を妻に秘密にします。妻が心配性だからです。
けれど、次の日、アリエッティがいつも外の世界との連絡通路として使っている通風口にアリエッティが落として行った角砂糖が置かれています。角砂糖の下には置き手紙まで置かれています。置き手紙には「忘れもの」と書かれています。
アリエッティは家に帰って親にその話をします。
父親は「その角砂糖には絶対に手を出してはいけないよ。」と言います。
さらに人間に見つかったからには「この家から引っ越した方がいいかもしれない。」と言います。
アリエッティは家に帰って親にその話をします。
父親は「その角砂糖には絶対に手を出してはいけないよ。」と言います。
さらに人間に見つかったからには「この家から引っ越した方がいいかもしれない。」と言います。
母親は角砂糖で人間が自分たちをおびき出そうとしているのだと思って怒ります。
角砂糖はハーブティーを作る時に加えればおいしいので、母親が欲しがっていたものでした。
角砂糖はハーブティーを作る時に加えればおいしいので、母親が欲しがっていたものでした。
アリエッティは親の目を盗んで、通風口に置かれた角砂糖をシュウの部屋に返しに行きます。
アリエッティはシュウに「私たちにかまわないで。」と言います。
自分たちは人間に見つかったせいで住まいを引っ越さないといけなくなるかもしれない、というような話をします。
自分たちは人間に見つかったせいで住まいを引っ越さないといけなくなるかもしれない、というような話をします。
そんな話をしているうちに、カラスがアリエッティを狙って飛んできて、誤って網戸に頭が引っかかってしまい、カラスが暴れます。
騒ぎを聞きつけたお手伝いさんのハルという50歳くらいの女性がカラスを追い払いますが、そこでどうやら小人のアリエッティを見つけてしまいます。
その場からこっそり家に帰ったアリエッティは、父親に外の世界に行っていたことを見つかり叱られます。父は妻にもうこの家から引っ越したほうが良さそうだと言います。
一方シュウは小人が現れた時にプレゼントするために先祖が作らせたドールハウスの存在を知ります。
ドールハウスは小人が住むための家で、細部に至るまで緻密に職人に作らせた豪華な家です。
キッチンのオーブンまできちんと熱が入るように作られています。
ドールハウスは小人が住むための家で、細部に至るまで緻密に職人に作らせた豪華な家です。
キッチンのオーブンまできちんと熱が入るように作られています。
シュウは床下にある小人の家を見つけ、小人の家から元あったキッチンを取り払い、素敵なドールハウスのキッチンをプレゼントします。
小人のアリエッティたちはついに自分たちの家が人間に見つかってしまったので、家財道具を整理してすぐにも引っ越そうとします。
父親が外の世界を偵察に行ったすきに、アリエッティはシュウにお別れを言いに行きます。
シュウはアリエッティが会いに来たので、キッチンは気に入ったかどうか聞きますが、アリエッティは、そのシュウの行為のせいで今日の夜、自分たちは引っ越しをしなければいけなくなったと言います。
シュウは
「僕のせいで、ごめんね。」
と謝ります。
さらに、
「この家には小人が三人しかいないんだね。人間は地球上に67億もいる。今までも地球上で滅びた種族はたくさんいる。君たちも滅びゆく種族なんだね。」
というようなことを言います。
アリエッティは
「私たちは滅びゆく種族なんかじゃない。私たちにも仲間がたくさんいる。」
と言います。
さらに、
「この家には小人が三人しかいないんだね。人間は地球上に67億もいる。今までも地球上で滅びた種族はたくさんいる。君たちも滅びゆく種族なんだね。」
というようなことを言います。
アリエッティは
「私たちは滅びゆく種族なんかじゃない。私たちにも仲間がたくさんいる。」
と言います。
またシュウはごめんと謝ります。
シュウは二、三日後に自分は心臓の手術をする。とても難しい手術なので多分失敗するだろう。死ぬのは自分の方だ、と言います。
シュウは二、三日後に自分は心臓の手術をする。とても難しい手術なので多分失敗するだろう。死ぬのは自分の方だ、と言います。
話をしている最中、アリエッティは母親の悲鳴が聞こえた気がしたので帰ります。
実は、シュウが床下の小人の家にキッチンをプレゼントしたときにしまい忘れていた道具にハルが気づき、ハルが小人の家を見つけ、アリエッティの母親を捕まえたのでした。
家に戻ったアリエッティはポットが床に転がり、ハーブティーがこぼれている状態を見て、母親がいなくなっていることに気付きます。
アリエッティは再びシュウの部屋に行き、母親がいなくなっていることを告げ、2人は一緒に母親を探します。
ハルはアリエッティの母親を瓶に閉じ込め、ネズミ駆除業者に電話をし、他の小人の捕獲を依頼します。
一方でシュウの部屋にカギをかけ、シュウを部屋から出られなくします。
一方でシュウの部屋にカギをかけ、シュウを部屋から出られなくします。
ここでストーリーの要約から脱線しますが、普通、部屋のカギは内からかけるものだから、外からカギをかけて部屋の中にいる人が外に出られなくなるというのは変で、そんなのはあり得ない構造です。
これは、その後に続く2人が協力しての部屋からの脱出という行動を描きたかったためだと思われます。
シュウはアリエッティと共に母親を探しに行こうとしますが、部屋にカギをかけられていて外に出られません。
そこで窓から屋根づたいに隣室に入ろうとしますが、窓にカギがかかっていて中に入れない。
するとアリエッティが窓に小さな隙間があることを見つけ、そこから中に入りカギを開け、シュウが窓を開け部屋の中に入ります。
2人は母親を探すが何処にいるのか分からない。
一階で鉢合わせをしたハルとシュウたちですが、シュウはハルの視線からアリエッティの母親が何処に閉じ込められているのか気付きます。
シュウはアリエッティに母親の居場所を知らせて、シュウがハルの気をひいている間にアリエッティは母親を救出します。
ハルは到着したネズミ駆除業者に小人の捕獲を指示します。
ちょうど帰宅したシュウの叔母が何の騒ぎなのか聞くと、ハルはついに泥棒の小人を見つけましたと言う。
ハルは床下の小人の家を叔母に見せるが、床下はシュウが片付けていたため、ただのガラクタ置き場にしか見えない。
こんなはずはないと、ドールハウスを開けると、シュウが小人の家にプレゼントした豪華なキッチンが元通りに収まっている。
こんなはずはないとハルは捕まえた小人を見に行くが小人はいなくなっている。
シュウの叔母はドールハウスからハーブの良い匂いがしていることに気付き、キッチンのポットの中を開けてみるとそこには小さなハーブが入っている。
それを見て叔母は「ハルさんが小人を見たと言っているのは本当かもしれない。」と言います。
シュウの叔母はドールハウスからハーブの良い匂いがしていることに気付き、キッチンのポットの中を開けてみるとそこには小さなハーブが入っている。
それを見て叔母は「ハルさんが小人を見たと言っているのは本当かもしれない。」と言います。
一方、アリエッティたちは、引っ越しのために家を出ます。
シュウの飼い猫がそれに気づき、シュウにアリエッティたちの居場所を教え、シュウはアリエッティに会いに行き、別れの挨拶をするところで映画はおわっています。
シュウの飼い猫がそれに気づき、シュウにアリエッティたちの居場所を教え、シュウはアリエッティに会いに行き、別れの挨拶をするところで映画はおわっています。
*
かなり良い映画だったと思います。
笑いもありますし。
お手伝いさんのハルさんが面白かったです。
NHKで創作秘話みたいなのやってました。
ジブリで、「芝居をする」っていう表現があるらしいですね。
例えば、アリエッティがシュウに見つかるシーン。
人間に見つかってはならないアリエッティは早くその場から立ち去ろうとします。普通だったら、そのまま立ち去るのですが、シュウが話しかけている。
アリエッティはもう少しシュウと話していたい気持ちもある。その気持ちを表現するために、「芝居」をします。
つまり、すぐに立ち去らずに、「うつむき加減になり」、シュウへの未練の気持ちを表してから立ち去る。
一見、何気ないと思われるシーンに、実に色々な工夫がこらされている。
こんな話もありました。
宮崎監督は、アリエッティをシュウが手に乗せると、「愛玩物になってしまう。」、と。
確かに、言われてみれば一理ありますよね。
映画では、手に乗せてますけど。
そういう細かい部分にこだわってるのがいいです。
昔から、ジブリの映画は迫力があると思うんです。
それは、「芝居」をしたり、細部をかなり追求していたり、大袈裟すぎるほどの表現をしていたりっていうのがあると思います。