瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)

2007.5.21天宙新文明開闢ニューヨーク(お母様と三男・顯進様)

2007.12.18 アベルUN・ILC ワシントン(父母様と三男・顯進様)

 

BGM

Mozart - Piano Concerto No. 22 Es-dur KV482(ルドルフ・ブッフビンダー)

 

ミーコ1

三毛猫・ミーコ

 

平安北道定州郡徳達面(徳彦面)徳興洞(上思里)2221番地。

1920年1月6日(陰歴)、いまは北朝鮮になっている、この地で文鮮明(文龍明)先生は誕生されました。

陽暦でいうと、2月25日(水曜日)。1年中で一番寒い季節です。

 

上思里は丘陵と丘陵のはざまにある、ゆるやかに広がる農村です。

日当たりの良い傾斜地に、見渡す限り田畑がつづき、空は高く広い。

定州の中心地から8キロ位離れ、家は全部で約十数棟という小さな村です。

そのうち「文姓」が多かったため、通称「文村」と呼ばれていました。

 

厳寒の凍てつく大地に呱々の声をあげた一人の男児が、長じて世界中の人々の心をとらえる指導者になるとはー-。

当時の誰も知る由もありませんでした。

 

父の文慶裕氏は「南平文氏大同譜」によれば、1893年10月11日(陰暦)の生まれ。

無口で1日に2言、3言しか語らなかったといわれていますが、農場に従事するかたわら漢文などの学問を修めた努力家です。

体格に恵まれ、米俵をかついで階段をらくらくと上がる体力の持ち主でした。

また、自分の手相をして、世界最高の子供が産まれると自慢していたそうです。

 

母の金慶継さんは、1890年2月15日(陰暦)の生まれですから、夫より3歳年上ということになります。

生前の慶継さんを知る親族の方は、「男性的」だとか「虎のようだ」と回想しており、男勝りの性格だったようです。

ですから、機織りを始め、すべてのことに対して、人より早く仕事をすることができたといいます。

 

13人の兄弟姉妹のうち5人は早く亡くなり、8人が無事に育ちました。文先生は5番目の次男として誕生したのです。

名は「龍明」と名付けられました。

文先生の誕生に際しては、さまざまな現象や不思議な出来事があったようです。

 

「文鮮明先生が誕生される直前まで、3年間にわたり、金鳥が家の前にある、ねずの木に飛んできて止まっていた。

この金鳥の出現は吉兆を示すもので、文先生が誕生された後は、その鳥は2度と現れることはなかった」(統一教会史 上巻)

 

定州の寒村で農業を営む文家でしたが、南平文氏の流れを汲む名門家系です。

文慶裕、金慶継さんの結婚した年は明らかでないものの、1910年頃のことではないかと思われます。

ということは、父・慶裕氏が17歳、母・慶継さんは20歳です。今日の感覚でいえば、早婚ですが、当時はごく普通の結婚年齢でした。

 

父も母も善良で情け深いという評判があり、多くの人々が家に訪ねてきました。

また、文家には代々、家を訪ねてくる人には食事を与え、必要なお金をも与えよ。

 

という家訓があり、父・慶裕氏は物乞いにきた人に3回以上物乞いをさせることは絶対にありませんでした。その前に自分の食事をその人に与えてしまうのです。

 

母親の金慶継さんは定州の延安金氏、金伯洪氏の娘。金という姓は韓国でいちばん多い姓ですが、文家は延安金氏と深い関わりがありました。

祖父の文致國氏の母親も延安金氏の人ですし、文慶裕氏のお姉さんも延安金氏の金チンヒさんと結婚しています。

また、文先生の生家の西隣に住んでした親戚の文慶天氏の奥さんも延安金氏の女性でした。

 

延安金氏は秀才の一族でした。

李朝時代、官僚の採用試験である「科挙」において、文官として登用された者の出身地では全国で定州が一番多く、その中の約2割が延安金氏で占められていたのです。

 

母親の実家は、先祖が国に忠誠を尽くし、王から戴いた金の籠手を家宝としていた伝統の家門です。

母・慶継さんは活発な性格で、テキパキと物事をこなしていく性格でした。

 

親族の文昇龍氏は慶継さんについての印象をこう語っています。

「女性としては背が高く、健康で頭の回転が早い。性格は男性的で普通の男性よりも活動的だったといえるでしょう。」

 

慶継さんの実家があった定州郡徳彦面の大山洞は、文先生の生家から南へおよそ数㎞行ったことろにあります。

文先生が定州の学生時代、夏休みに毎日のようにウナギを捕りに行った場所です。

 

父親の故郷である定州の徳興洞(上思里)と、母親の故郷・大山洞とは、距離的にそれほど離れていませんが、上思里が山に近く、水に恵まれていたのに対し、大山洞は海に近く、土地が肥えていました。

 

1950年に勃発した朝鮮動乱以後、文先生は最愛の父母と生き別れとなりました。

父母の死亡年月日は「在以北未詳存没」と『南平文氏大同譜』に書かれています。

 

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