瞑想猫のブログ(主の遺言を地に落さないために)

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      One Family Under God

 

BGM

Beethoven: Piano sonata no. 17 in D minor Tempest | Rudolf Buchbinder

 

文鮮明先生が生まれる10か月前の1919年3月1日。

この日、知識人や学生がソウルで「独立宣言」を発表、これに端を発した民族独立運動が全国に波及していきました。

いわゆる、「3.1独立万歳運動」です。

参加者は200万人にのぼったといいます。当時、総人口が1700万人でしたから、国民の8.9人に一人が立ち上がったわけです。

いかに人々の民族独立への思いが強かったかを示しています。

 

日本政府はこれに対して、軍隊をおくって鎮圧し、その後1年間、独立運動の中核となったキリスト教会を中心に武力鎮圧を行いました。

ソウル市内だけでも、多くの死者が出、各地の教会は焼き払われたのです。

独立運動に参加した農民たちは自分たちの土地を取り上げられた上に、日本の憲兵に監視されるようになりました。

 

 

「韓国のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる、柳寛順(1904~1920)も、郷里の天安郡の並川で独立運動の先頭に立ち、禁止されていた大極旗を振って、官憲に捕らえられ、獄死しています。わずか16歳でした。

 

柳寛順が故郷で独立運動をした十ヵ月後、文鮮明先生は誕生されたわけです。

定州においても、3月1日に五山学校を中心として独立万歳運動が計画されたものの、日本警察の事前の妨害で実現しませんでした。

しかし、3月7日に定州の古巴で、8日には定州巴内で、11日には、定州郡の東州面へと独立運動は波及していきました。

 

定州の独立万歳運動がピークに達したのは、3月31日から4月10日にかけてです。

3月31日の示威闘争で中心となったのは、キリスト教徒ではなく、天道教徒でした。

天道教は韓国では知らない人がいないほど、有名な予言書である、「鄭艦録」を根拠に教えを説いた新興宗教です。

 

 

旧王朝(李朝)の運が尽きた後、天命を受けた鄭氏が現れて王となり、新国都を鶏龍山に建設する。

そのとき、世界は大混乱になり、天変地異が続発して人類は滅亡の危機に直面するが、真人(再臨のキリスト)が現れて世の立て直しをする。

植民地下におかれていた民族を解放してくれる「義の王」を待望する熱き祈りは、キリスト教徒の再臨主を待ち焦がれるそれと変わらないものでした。

 

キリスト教と並ぶ独立運動の担い手であった天道教でしたが、昭和期(1925年~)に入って、総督府の徹底的な弾圧により衰退し、1938年にはすべてとりつぶされています。

当時、天道教会の重鎮であり、定州の教区長であった金鎮八という人物がいました。

3.1独立運動に関する密令を受け、ソウルから定州に戻ってきた金鎮八は、すぐに同志を呼び集め、定州で独立運動に着手します。

 

同志の顔ぶれは崔哲一、徐仁和、白重彬、朴ユン吉、金キョン威らで、金鎮八は彼らにソウルでの準備状況などを説明したあと、定州郡内で3月31日の市日を利用して決起することを決め、大衆動員の準備に入ったのです。

とはいえ、3月1日以来、各地に於いて独立運動の日が燃え上がっていましたから、警察は定州でも警戒を強めており、31日の決行はまさに命がけでした。

 

そこで、信仰の篤い信者のなかから、約100名を選んで決死隊を組織。

彼らは31日の朝、ひそかに定州巴(定州郡の中心地)内に入り、あえて天道教堂を避けて、酒場や信者たちの家に分散して待機しました。

当日、各方面の「万歳軍」が定州巴に進軍してきたとき、潜んでいた決死隊たちがいっせいに呼応して、内と外から運動を盛り上げる計画でした。

 

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