2008.1.1 真の神の日アトラクション(お父様と三男・顯進様)

2007.5.4 天宙新文明開闢 大阪大会当日(お母様と顯進様)
6月1日 「そらの花畑 世羅高原 花の森」にて
BGM
Rafał Blechacz - Second round (15th Chopin Competition, Warsaw 2005)
文鮮明師は文武両道の名門家系出身
韓国の人々はすべて、どこそこのだれだれの系譜に属するということになっています。
この祖先の出身地を「本貫」といい、祖先の出生伝説から始まって、一族一門全部の系図を書き連ねたものが「族譜」です。
韓国社会では、今なお、「本貫」意識が厳然として生きています。
本貫が同じなら同姓であり、同じ一族ですから、結婚は許されません。
「同姓めとらず」というのが儒教の基本的なタブーだからです。
ですから、同姓で恋愛関係になった場合、まず本貫を確かめ合います。
たとえば、同じ金氏でも金海金氏と慶州金氏と本貫が違うことが分かって、初めて結婚を前提とした付き合いができるということです。
たんなる、「家柄の証明書」というのではなく、日本人が想像できないほど、「血統」に対する意識が強い、ということでしょう。
日本が行った植民地支配のなかで、「創氏改名」が最大の愚挙と批判されるのは、その意味で当然なのです。
日本人の場合、系図を遡って、5代前の先祖を知るのは容易ではありませんが、韓国人の族譜を見ると、千数百年前から連綿とつづく系図が一目瞭然にわかります。(清平先祖解怨・祝福式が韓国で行われている理由)
文鮮明先生の家系は、約50代、千三百四十余年の歴史をもつ由緒正しい名門です。
日本でゆうと、聖徳太子(574年~622年)のころから系図がはっきりしているのです。
始祖、文多省(おくり名は武成)の生誕地が南平(半島南西部の光州直轄市の南)だったことから、一般的に「南平文氏」と呼ばれます。
ちなみに、記録によると、文氏の本貫は132ほどあるそうですが、同姓異族の甘泉文氏とチョン善文氏を除いて、今日ではすべてが「南平」に統一されました。
百済蓋ロ王十八年、新羅慈悲王五五年に誕生した始祖の武成公・文多省には、次のような出生伝説が残っています。
文多省が生まれる1年前、新羅の慈悲王が臣下たちと宮廷の庭にいたところ、突然、紫気(幸福の兆しを感じさせるある自然現象)が西方から中天に伸びてきたのです。
臣下たちは驚きましたが、王だけはそれを見て喜び、
「これは賢人が出生する兆候だ」
と言われ、気象学者(雲気で吉兆を判断する人)に命じて全国を巡察させました。
しかし、1年過ぎてもその所在を発見することができなかったのに、翌年2月、百済にある南平の懸主(官史のめかけから生まれた娘の称号)が長者池のほとりにいたところ、忽然と紫雲が池の近くにある大きな岩(キリストの象徴)を覆い、そこから赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのでした。
懸主が高さ5,6メートルの岩の上に登ってみると、石の箱(キリストの入った箱)があり、箱の表には紅色で「文」の字が書いてあり、中には男の子がいました。
懸主は大変喜び、精誠を尽くして育てますが、それが隣国新羅の慈悲王の知るところとなり、幼子は新羅の宮中で育てられることになったのです。
文多省は幼いときから聡明で、5歳ですでに国家や政治、経済に関する問答を王と交わしていたと伝えられています。
武成公のおくり名が示すように、文多省はいわゆる文武両道に秀でた人物でした。
1975年に南平文氏・始祖降誕地記念閣として、文鮮明先生は全羅南道羅州郡南平面楓林里に武成公を追慕して文巌閣を建立しています。
毎年、陰暦の9月、南平文氏の関係者が出席して、文巌閣の近くにある長淵院といところで祭祀が行われています。


