今の顯進様を見ているかのような若き日のお父様
2008.9.2『勇敢に前進すべき時』(千葉中央修練所)
BGM
Buchbinder - Beethoven Sonata NO17 op.31 "Tempest"
北朝鮮・定州の文先生の生家から数キロほど離れたところに「猫頭山」があります。
標高310mの小さな山で、山頂にある大きな岩が、猫の頭に似ているところから猫頭山(別名・舞鶴山)という名称がが付けられました。
小ぶりとはいえ、猫頭山は奇石、怪石(石・岩はキリストの象徴)の山で、樹木がうっそうと生い茂っていました。当時は登山の習慣もなかったので、この山に登る人は少なかったようです。
文少年が、キリスト教にふれるようになって、心の中に芽生えてきた社会や人生に対する疑問を解決してくれる真理を知るためには、神様に直接問うしかなかったのでした。
1935年4月17日、猫頭山で祈っていた文少年の霊眼が突然開けて、イエス・キリストが現れたのです。
そのときの驚きを文先生はこう述べています。
「イエス様は深遠な、また驚くべきことを沢山語られ、苦しんでいる人類をご覧になり、神様が悲しんでおられると言われました。そして、イエス様が果たせなかった地上での神様からの使命を成就してほしいと諄々と話されたのです」
数え年で16歳の少年に対する願いとしてはあまりにも重大かつ深刻なものというほかありません。
事実、文少年は何度も辞退しました。しかし、イエス様は「この使命を達成できるのはあなた以外にない」と、告げられたのでした。
その使命を果たすために、人間として考えられる最も悲惨で困難な道を、誰かが背負わなければならないことを悟った文少年は、その天命を受ける覚悟をしたのでした。
「わたしの前に現れた神様は、栄光に満ちた喜びの神様ではなく、恨と悲しみの心情を持たれた方でした。神様と出会うことによって、私は自分の置かれた悲劇的な環境が、神様と哀れな心情に比べてあまりにも些細なことであると悟りました。」
文先生はこの日から今日にいたるまで、ひとときも「神と人類の解放」という天命を忘れられたことはありません。
文先生は6回にわたり、獄中生活を体験されていますが、これも個人的に避けようと思えば、ほとんどが避けられたものでしたが、天命を成就するために甘受してゆかれたのです。
文先生の生活は、このイエス様との出会いの日から大きく変わりました。
神様のみ旨を成就するために、絶対的真理「原理」を解明する苦しい生涯が始まるのです。
人類救済の方案を模索する道は、瞑想と苦悩と探究の壮絶な精神的戦いの道です。
誰にも語ることのできない大志を密かに抱いて、天のみ旨に対する準備にいそしむ期間は、真剣で深刻な日々となりました。
定州の学校からソウルでの学生時代を通じて、文少年と寝食を共にした文昇龍氏は一度も文少年から4月17日のことは聞かなかったといいます。
ところで、1935年の既成キリスト教会での復活祭は4月21日の日曜日でした。
4月17日(水曜日)がイエス様の復活日であると文先生が語られたのは、4月17日にイエス様が霊的に現れ、この日(4月17日)が復活の日であることを文先生に告げられていたからです。
ちなみに、一般のキリスト教会で行われる復活祭は、西暦325年のニカイア総会議で、イエス様の復活日が春分後の満月直後の日曜日に定められたことからきています。
1935年4月17日以降、文少年は一変しましたが、表面的には普通の少年と変わりありません。
しかし、考えることはまったく違いました。考え方が違えば、行動もおのずと他の少年と異なってきます。


