瞑想猫のブログ(主の遺言を地に落さないために)

2007.5.3 天宙新文明開闢 広島大会 訓読会(ダンスをされるお母様と三男・顯進様 クリックで拡大

天正宮建築現場にて(父母様と顯進様夫妻、満面の笑みで腕を組むお父様)

 

BGM

Buchbinder - Beethoven Sonata NO17 op.31  "Tempest"

 

人は有形実体世界の中心 

神様のみ意は、無形の理想世界、即ち本境世界の影として、実体の万物万象の世界を創造し、この二つの世界を一つにして主管することである。このような理想を持って、この天宙を創造されたのには理由がある。それは、神様と天宙を同一形態にするためである。このようにして、相対的関係において成立する原理の形態を表現しようとされたのが万物の創造である。 

 

神様は、無形の存在として天の世界を主管すると同時に、有形の生物に対しては 生命の根本でもあるため、有形実体世界までも主管しなければならない。神様が、ご自身に似せて人を創造され、人に似せて万物を創造されたのは、つまり無形の神様のみ意によって人が動き、人が万物を主管するようにされたということである。

 

この有形実体世界の中心は人であるため、人だけを主管すれば、神様は有形実体世界を主管することができる。このように、神様はご自身の代わりに人を立て、有形実体世界の主管者とされたのである。 人はその格や姿が、神様と同様であるため、有形実体世界の主管者として立つことができる。そのため、人は万物の主人格として、万物が持っている要素の完成格と言うに充分な要素をもって創造された。

 

人は神様と万物の中間媒体 

人は、物質的な肉身のほかに、万物には無い生心を持っている。この生心によって、 良心が作用し、永遠に善に向かおうとするのである。そして、この生心の成長に伴って、霊体が完成し、それが土台となって、生命体と生霊体が完成すれば、直接、神様の指示に従うようになっている。ここでは、霊体、生命体、生霊体を合わせて、霊人体と呼ぶことにする。 また、人の肉身は、肉心と肉体から成っており、肉体は、肉心の目的を果たそうとする。この性質は、動物的な本能である。この本能は、肉身の行動によって、生存の知覚、保護の知覚、繁殖の知覚などに区分される。この本能が、肉身を維持しているのである。 

 

このように、人は神様のような永遠の要素、即ち、霊人を持ち、さらに能力を発揮することのできる知性を持っているが、それとは対照的に、物質的な面では、万物の要素も持ち合わせているため、神様と万物の中間媒体としての役割を果たせるようになっている。それゆえ、人は万物の中心となり得るのである。

 

肉身生活は霊人を成長させるための基礎 

上述の通り、肉身は生心に従うことが原則である。もし、肉心の要求だけに従って行動すれば、生心の成長を妨げると同時に、霊人の成長も妨げることになる。このように、成長を妨げる原因が生じたのは、人が堕落したため(神様から離れたため) である。 従って、肉身生活を通し、霊人を成長させなければならない。肉身が生心の要求通りに行動すれば、霊人は美形となり自由となる。

 

しかし、肉身が生心に反して行動すれば、霊人に傷が付き、不自由な霊人となる。従って、人は肉身を失う前に、霊人に充分な要素を与えなければならない。これが、肉身生活の重要な目的である。人々が、この目的を果たすためには、この堕落した世界に、霊人を成長させることのできる道を開かなければならない。 人にとって肉身生活の期間というのは、野菜畑にいる青虫の時期のようなものである。この青虫の時期に、充分な栄養を摂ることができれば、よく成長し完全な蝶となって、自由に飛び回り、花の香りと甘い蜜を楽しむことができる。

 

しかし、この時期に栄養を充分に摂ることができなければ、完全な蝶とはなれず、本来の目的を果たせなくなる。我々が、肉身生活の期間に、生心の要求通りに活動すれば、青虫の時期に栄養をよく摂った蝶のように、我々の霊人は美形となり、自由となって、無限なる理想世界で活動できるようになるのである。 従って、人は肉身生活の期間に、生心の要求通りに努力しなければならない。

 

このように、生心が肉身を主管するということは、基本的な原理となっているのである。 神様は我々の肉身を霊人の土台として創造し、ご自身の理想通りに繁殖させようとされた。従って、我々は肉身生活の期間に、生心が願う通りの生活をすることによって、神様が人間を創造された本来の目的を果たし、天宙の理想を実現しなければならない。

 

万物は慰労と刺激の対象 

人は、万物の中心として創造され、万物は人を基本として創造された。人はそのような万物から刺激を受けるようになっている。また、万物を見て、慰労され、幸福を感じることもできる。 人と万物は、互いに助け合いながら、共存できるようになっている。例えば、植物は、我々の肉身に必要な酸素を出し、人は、植物に必要な二酸化炭素を出している。 このように、互いに必要な要素を授受しているのである。この合理的な事実から、神様がある存在を創造された時には、その対象となり得る存在が、既に確定されていたということが分かるのである。 また、植物と同様に、動物や昆虫なども、我々人間と共存することのできる理想の形態を持っている。人間は、それらからも、慰労と刺激を受けることができるように創造されているのである。従って、我々人間が堕落しなかったならば、生活の中で万物を見ながら、深い興味を覚え、幸福を実感できるようになっていた。このように 全ての万物は、本来慰労と刺激の対象なのである。

 

しかし、我々人間は堕落したため、万物が人間の対象となっていることをよく理解できず、また、万物の慰労と刺激をよく感じ取ることのできない存在となってしまっ た。そのため、人間は万物に対する本来の役割を果たしていないのである。さらに、万物の価値や保護についても分からず、万物が創造された根本的な意味も分からないため、万物はその本来の役割を果たすことができなくなってしまったのである。

 

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