2007.5.21天宙新文明開闢ニューヨーク(お母様と三男・顯進様)
実家からクルマで3分 フラワービレッジ花夢の里
(スマホを片手に、19日(土)に久々に行ってみました。
駐車場はほぼ満車w 大勢の家族連れで賑わっていました)
芝桜(花夢の里)写真クリックで拡大されます
花夢の里のネモフィラの群生写真です
桜と同じ時期に咲いた綺麗な花(背後は私の生まれた実家)
BGM
Yulianna Avdeeva – Chopin: Andante spianato & Grande Polonaise Brillante E flat major Op. 22
全ては一つの存在(神様)から始まった
全ての根本は神様、太初は一つである。この一つが、太初の根本である。この根本が、即ち、神様である。
この一つの存在こそ、無限小から無限大までの全ての存在の根本である。つまり、 この一つの根本が、全体の根本であり、全体の中心であり、また全ての作用力に対する平衡の基本支点となっている。
神様は自由軌道の中心
神様を信じなかった人々が、神様を信じるようになれば、神様はそのような人々を、ご自身を中心とする自由軌道に移動させようとされる。つまり、神様は自由軌道の中心であり、単位的な存在であり、また全てに影響を与える存在である。
自由軌道に移動した人々は、神様から離れることのない存在になろうとする。こうして、神様を中心とする人々が広がっていくのである。この自由軌道において、単位となった一人一人の位置を表すものが公式である。従って、単位となった立場を離 れ、公式となっている原理を離れるならば、その存在を保証することはできない。
良心の本体は神様
そもそも我々は、人生において天宙(無形世界の天+実体世界の宇宙)と如何なる関係にあるのか。その問題を解決すべきであるが、その課題のために一大苦心することになるのである。 科学では単位が実体的であり、公式によって対象を把握できるため、問題はそれ ほど難しくはありません。しかし、我々には無形の良心があり、その作用を無視することが できないのであります。そのため、良心が無形だとしても、我々はその存在を認めざるを得ないのです。 さらに、私の中には公式のような原理があり、それを自分に追求させている神様を認識せざるを得ないのである。その認識によって、既に自分が神様の対象的存在になっているということが分かる。つまり、自分には神様による良心があり、その良心が自分の中で作用しているのである。この事実を誰も否定することはできない。
その良心が願っていることは、自分自身と異性存在との間にある絶対的な単位(夫婦)が、平衡をとるべき軌道を通って、共通の理想体(父母)に向かっていくことである。また、この使命に対して、責任を感じさせる大きな力が働いていることは事実である。この力の本体が神様である。
この細密で高尚な存在を、良心の本体、或いは絶対善と呼ぶこともできるが、このような呼び方が重要なのではなく、確かに存在しているという事実が重要なのだ。
自分の良心は、ある理想を実現するために、絶対的な共通単位を持つ公式のような 原理に、自分を向かわせている。つまり、良心の力によって、理想の実現に向かって進んでいるのである。その力は、神様によるものであり、人の個性が神様の絶対単位 として完成する時まで作用するのである。 また、良心の作用している無形実体(霊人)が、有形実体(肉身)の思いとは異なる路程を要求していることは我々の感覚によっても理解することができる。この要求通りに実行すれば、自己を完成させることができると同時に、自分と他者との関係を完全なものにすることができる。これは、前述したことからも、よく理解できるであろう。そして、良心が導くその路程は、科学世界の公式と同様の原理原則によるも のであり、その原理原則によって、秩序の整然とした天宙の形態を知ることができるのである。
文鮮明先生が説かれた「良心宣言」
☆良心は両親に勝る、
☆良心は先生に勝る、
☆良心は神様に勝る・・・
☆皆さんの良心は先生よりも優っているという事実を知らなければなりません。ここには著名な方々と、教授たちが来ていらっしゃると思いますが、皆さんが良心以上のことを教えてあげる内容をもてないでいるのです。皆さんの良心は、船におけるコンパスと同様の役割をしているのです。(1995.5.7 真の家庭と私)
正に、至言です。





