今の顯進様を見ているかのような若き日のお父様
2008.9.2『勇敢に前進すべき時』(千葉中央修練所)
BGM
Yundi Li - 14th International Chopin Competition 2000(HQ)
三毛猫・ミーコ ヒマラヤンのライオンと黒猫のクロ(写真のクリックで拡大されます)
統一原理の礎とされている『原理講論』(1966 年発刊)の総序を見ると、その最後 に「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるい は聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。・・・(中略)・・・一層深い 真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである」とあ ります。 では、その「一層深い真理」とは、どのような真理でしょうか。
総序には、また、 「この真理は、あくまでも神の啓示をもって、我々の前に現れなければならないのである」とあります。 文鮮明 (ムン・ソンミョン)師が直接書かれた『原理原本』には、「人が、夢の中で真理を知り、また、未来のことが分かるのは、感覚が敏感になる就寝中に、神様からの波動を感じることができるようになるからである。このように、夢によって知らされるのである」とあり ます。
このことから、『原理原本』は、同師が夢を通して与えられた、神の啓示を記録された、 所謂、「啓示の書」であると言うことができると思います。
『原理原本』は、同師が 1951 年 5 月 11 日から 1952 年 5 月 10 日にかけて直接執筆されたものですが、70数 年間その内容が明らかにされませんでした。それは、速記の メモのようなもので、走り書きのままであり、校正されたものではありません。そのため、誤字脱字、主語や目的語などの脱落、意味不明な表現などが数多くあります。 恐らく、夢で与えられた啓示を忘れないうちに記録しようとされ、そうなったのだと思われます。
文鮮明先生は、1951年5月11日に『原理原本』の執筆に入られ、翌年の5月10日に完了されました。
原理講論を書いた、劉孝元氏は「原理原本」を読みながら、感動で胸が震え、感嘆の声を連発したといいます。
文鮮明先生が自筆で作成されたという点、そして現存する最初の原理記録であるという点で、『原理原本』は天宙的な価値をもっていると言うことができます。『原理原本』は、「記録第1巻」から「記録第5巻」に分けて記述され、合計690ページ以上に達します。
文鮮明先生は『原理原本』について、真理の真髄を圧縮して記録したものであるため、事実的表現よりは詩的表現を用いて記述せざるを得なかったと語られています。
以下に、文鮮明先生が『原理原本』について語られた主なみ言をご紹介します。
原理原本に関する、文鮮明師の御言
☆皆さんが原理の本を外に持ち歩くときには、度が過ぎるほど大切に思って行かなければなりません。仮にこの本が一冊しかないと考えてみてください。ですから、先生がこの本の原稿を草案するとき、その原稿の管理をどれほど深刻にしたかを考えてみなさいというのです。
もしそれがなくなり、私が死んでしまったらどうなるでしょうか? 世界が行ったり来たりするのです。皆さん、そのようなことを考えてみましたか?
この原理の本一冊で一族が栄えたり滅んだり、一国が栄えたり滅んだり、この世界が栄えたり滅んだり、天地が栄えたり滅んだり、永遠の命が行ったり来たりすることを、考えてみたことがあるのかというのです。
そのようなことを考えることもできなかった人たちが、心情世界の様々な人たちと連結しようとすれば、どれほど尊いかを考えてみなさいというのです。 (『文鮮明先生御言選集』73-65 1974.7.29)
☆原理を中心として、原理とともに今このくらいまできました。苦労で築かれた基盤です。原理の本には、血と汗と涙が入り混じっています。それを知らなければなりません。
ページごとの内容に入り混じっている先生の血の涙が、皆さんたちのような若者に訴えかけていることを知らなければなりません。先生が若い青春を犠牲にして投入したのです。
血と涙が皆さんに訴えかけているというのです。そこに引っ掛かってはいけません。無価値な原理ではありません。神様が粛然として頭を下げるのです。仰ぎ見る原理です。 (『文鮮明先生御言選集』199-54 1990.2.15)
☆先生のみ言を聞くのが訓読会ですが、これは先生のみ言ですか、天の国のみ言ですか。天の国のみ言です。私の言葉ではありません。(『文鮮明先生御言選集』336-57 2000.10.8)
☆皆さんが訓読会をして先生のみ言をすべて知っているようですが、検証してまた検証してみなければなりません。語ったことは宇宙的な宣布なので、それをどのくらい成し遂げたのかを鑑定しなければならないのです。検証して精誠を尽くすのです。それは先生の言葉ではありません。人類に対する宣言文です。神様がこの地に対して語った宣言文なのです。(『文鮮明先生御言選集』360-39 2001.11.9)
☆先生が『原理原本』を書くとき、詩的に書いたので、一枚に数十枚の内容を編成しておきました。一般の人たちには理解できません。 (『文鮮明先生御言選集』415-182 2003.8.14)
☆『原理原本』は詩文です。圧縮して書いたというのです。それを(劉孝元に)1ページ翻訳しなさいというと、21ページに増えたのです。そのように圧縮したものです。
それを私が3ページ以内にさっと結論づけると、「ああ、先生!お仕えします」と言ったというのです。先生のみ言には含蓄性が多いのです。(『文鮮明先生御言選集』510-256 2005.10.9)
☆先生の原理の本は一つしかありません。『原理原本』として書いたものが5巻で700ページ近いものですが、銀行に置いておいたものを昨日もってきました。ここ博物館に保管しなければなりません。
先生が残した貴いみ言は、これと共に連結し、関係しているので、一ヶ所に集めて世界最高の学者たちが集中的に研究しなければならないというのです。(『文鮮明先生御言選集』590-247 2008.5.22)
新約聖書・黙示録五章1節以下のみ言を見ると、神の右の手に、その内側にも外側にも文字が書かれてあり、七つの封印で封じられた巻物があるのであるが、しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見るにふさわしい者が、一人もいなかったので、ヨハネは激しく泣いたとある。
そのときに小羊(文鮮明先生)が現れて、み座におられる方の右の手から巻物を受けとって(黙五・7)、その封印を一つずつ解きはじめられたのである(黙六・1)。(『原理講論』p585)




