瞑想猫(にゃんこ先生改め)のブログ-2007.9.23.1

2007.9.23 UPFがアベルUNとして本格出発した式典(父母様と三男・顯進様)

瞑想猫のブログ

2007.12.14 GPFフィリピン勝利報告 (イーストガーデン)

 

BGM

Mozart - Sonata No. 8 in a minor, K. 310 (Rafał Blechacz)

 

本来、真の家庭が摂理の中心機関なのに関わらず、家庭連合は、真の家庭の長子・顯進様を迫害している。真の家庭を摂理の中心機関として尊重すべきなのに、真の家庭を破壊している。家庭連合の中では、真の父母様のみを絶対信仰し、神様の血統の結晶である真の家庭のご子女様(アベル・顯進様)を打っている。家庭連合は神様の血統を忘れ、摂理の中心機関は真の家庭に関わらず、教会組織に取り替わってしまっている。真の父母様を絶対信仰せよと言っておきながら、そのお子様(三男・顯進様)を迫害しているという矛盾。

 

【独善性】ビジョンの喪失と変質 ー 平和世界建設か? 経済中心の教勢拡大か?
統一運動は「神を中心とする世界平和理想世界」実現という大きな夢と志から始まりました。その理想は、初期には「地上天国」と呼ばれ、2000年代以降、「天一国」という宗教的呼称が用いられてきましたが、最も明快な表現は、「神のもとの一家族世界」(One Family Under God) であるに違いありません。
それは即ち、人類共通の親である神のもと、人類が人種や国籍、言語や文化、さらには宗教の枠組みさえも越えて、同じ家族として交わる世界を言います。
統一運動において「One Family under God」という言葉を、公式的ビジョンとして掲げたのは三男・顯進様でした。この言葉は、統一運動の目指す世界を、最も的確に言い表していると言えます。

「勝共連合」を設立し、共産主義と対峙してきた理由も、「唯物論的無神論」からでは人間の価値や尊厳性、目に見えない倫理・道徳は保障されません。無神論では真の平和世界(=One Family under God)は実現されないのです。

数々のビジネスを興し、信徒が身銭を削って献金してきたのも、教団の私服を肥やし、営利を貪るためなどではなく、信徒が家庭を犠牲し、身を粉にしながら活動してきたのも、決して、経済を中心とした単なる教勢拡大(=教会の数的規模や影響力の拡大)のためではありませんでした。食口が献金をする動機は、ひとえに「神のもとの理想世界を築く」という志に共鳴したことゆえだったのです。

カルトと、健全な団体を分かつ違いは、第一に、それらが目指すビジョンとゴール(目的)にある、と思います。三男・顯進様が目指している、一集団の利益を越え、広く世界のために貢献、寄与する人類一家族世界の建設を志向するなら、それは「公益的団体」と称されるべきでしょう。
しかし、残念ながら、韓鶴子総裁率いる、現在の家庭連合における「理想世界」「平和世界」という言葉は、表向きのスローガンに変わり、教会組織の中での献金活動や布教活動を進めることこそが“主目的”となっていきました。神様の血統「真の家庭理想」を現家庭連合は忘れてしまい、統一家は分裂してしまっています。

全国各地、或いは世界の宣教地において、純真な志を持ち続けている信徒がいることを否定するつもりはありません。しかし、現家庭連合本体、教団指導部の関心は、あくまで「経済を中心とした教勢拡大」にあり、平和世界建設よりも「教団の組織​目的の達成」にあることは、内部でも挙がっていた指摘であり、良心的な人々が抱いていた危惧でもありました。​​​​​​

統一運動本来の教え、「原理」の骨子を記した書籍、原理講論の中に、「統一教会」という言葉は一言たりとも出てきません。そうした特定の教団を拡大することが神の目的であるとか、教団の豪華施設を建立することが神の摂理だ、などという理論的根拠は、ひとかけらも見出せないでしょう。教会は、神を中心とした理想世界実現のための「手段」であって、「目的」ではないのです。組織内の権益ばかりを求める勢力が広がり、権威主義的体制を築き、本来の理想から離れて、己の組織目的ばかりを追求する。それはもはや、宗教や信仰という名を語った「集団利己主義」に他なりません。

本来、国益や民族感情を越え、神のもとの恒久平和といった「超越的・普遍的ビジョン」を追求すべき宗教が、その本来の理想やビジョンを失い、自らの「組織」が第一の目的となる時、そこに「独善性」が生まれるのでしょう。
家庭連合内で、数々の信仰や教えが、そうした「組織」の目的と権威を正当化するために“歪曲”されてきた例を見てきました。

天心苑徹夜祈祷精誠などに象徴されるように、信仰に燃え、既成概念や常識を越えていく力は、ポジティブな社会変革の原動力にもなり得るでしょう。問題はその目的が「世界平和を目指す普遍的な理想」にあるのか、それとも「一組織の独善的な目的」にあるのか、そのどちらかなのであり、前者を志向しているか否かということです。
本来の理想を見失い、自分たちの組織維持や権益拡張が「目的」となるとき、宗教は「世界平和を目指す普遍的ビジョン」を追いかける篤い集団から「独善的なカルト」に変わってしまうのだと思うのです。

家庭連合で言うなら、「復帰原理」(信仰論)の前に「創造原理」(普遍的原則)がありました。人は「罪人」である前に「神の子女」であって、信仰の有無にかかわらず、共通の親(=神)をもつ「家族の一員」に他なりません。
相手の「罪」を裁く前に、相手の「本心」を信じるべきであって、「信仰」を求める前に「愛」(神の愛)を先立たせるべきでしょう。「愛なき信仰」ほど“非原理的なもの”はないと思うのです。

 

しかし、教団はこれまで「復帰原理」ばかりを強調し、乱用してきました。それは復帰原理の“歪曲”に他なりません。
創造原理が教える理想世界の実現方法は、ひとえに「人格の成熟」「家庭の幸福」「社会への貢献」(平和世界の実現)です。仮に信徒を統制し、家庭生活を破綻させ、社会に被害を与えることを“独自の信仰論”から正当化し、その在り方を続けてしまうなら、それは至極、“閉鎖的団体”(カルト)とならざるを得ないでしょう。

 

「One Family Under God」人類一家族の神のみ旨を大きく掲げる統一運動を率いておられた顯進様。それが、2009年頃から、 お母様が率いる家庭連合が顯進様潰しに躍起になってきた。集団利己主義に加えて、『赦せ、愛せ、団結せよ』に反して、真の家庭を破壊する憎悪を伴った集団に家庭連合は転落してしまいました。

顯進様は多くの宗教指導者・大統領・国会議員をなどを長子権復帰されています。顯進様を排除することは、統一運動が大損失を被ってしまいます。

真のお母様! どうか初心に立ち返り、お父様の対象位、定位置に戻られることをお祈り申し上げます。

 

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