Rafał Blechacz - Second round (15th Chopin Competition, Warsaw)
説教集 真の神様 第4章より
☆神様にとって悔しいことは何でしょうか。偽りの血筋を受け継ぐことです。偽りの血統を皆さんは受け継ぎました。起源はサタンです。サタンという存在は被造物をすべて滅ぼすことを願っています。そのような宇宙、そのような所有権、そのような血筋が皆さんにつながっているのです。
見て、考えて、においをかいで、話し、触る、五感のすべての根がサタン側にあります。皆さんの先祖はとても悪い父母の実です。そのようなものを神様が救おうというのですから、神様は本当にかわいそうです。
(堕落した)アダムとエバを片づけてしまって、アダムとエバを再び造ることができないのはなぜでしょうか。
造ることはできても、本来、永遠の真の愛を中心として永遠の因縁で造ったがゆえに、そうできないのです。
☆純粋な本質的愛をもった神様の前に、理想的対象として描いていたアダムとエバが堕落して落ちたとき、神様の心はどれほど悲しかったことでしょうか。
どんな人間よりも極めて悲しかったことでしょう。極めて、極めて悲痛だったことでしょう。その内容が深く価値的な内容であればあるほど、悲惨中の悲惨だというのです。
そのような父なる神様が失った子を再び探し出すために復帰の道をたどっていかれたのです。
☆息子が犠牲になったとすれば、その父親は息子が死ぬようにほおっておくでしょうか?
そのような観点から考えると、愛の神様は愛の対象である私たちを死の場に立たせることができないのです。全知全能の神様であるならば、理想的な世界を造って復活させなければならないのです。
父母の愛というものを考えれば、それは十二分に可能です。神様がおられるとすれば、神様は必ずそうすることのできる立場におられるでしょうから、私たちをそのような理想的な復活圏へと移してくださらなければならないという結論になるのです。
神様は、私たち人間に住まわせようとして、死ぬようなところ、悲惨なところに置いたのではなく、私たち人間を高次元的な世界に連れていくための一つの関門(5%の責任分担)として、そのようなところに置いたとするならば、それは素晴らしいことではないかというのです。
☆皆さんは神様のためにどれほど涙を流したでしょうか。神様の御苦労の前に、神様に代わって苦労するために、四肢が裂けるような道でも行こうともがいたことがあるでしょうか。ないのです。
皆さんが「子女」というその立場を追求するためには、公的な涙を流さなければなりません。そうして父なる神様にまみえ、「父よ、あなたの息子である私を、そして私たちの先祖を失ったとき、あなたの心はどれほど悲しみに痛んだことでしょうか。その子孫を通じて今まで歴史過程において受けた屈辱と苦痛と苦難が、どれほど大きかったことでしょうか」と慰労してさしあげながら、限りなく涙を流すことができなければなりません。
☆神様がどれほど悔しいかというと、王の座を怨讐(天使長)に奪われたのです。神様が極光の神様となることができず、悲しみの歴史をもっていらっしゃるという事実を知らなければなりません。御自身の国の王として、宇宙の王としていらっしゃるにもかかわらず、王が生きているのに王は死んだとさげすまれているのです。御自身の理想を奪い取られ、御自身の愛する息子、娘を奪われ、完全に怨讐の籠絡の場としての地球となってしまいました。
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☆「先生も初めは牧師の言うように、栄光の神だと思っていました。しかし、実際の神様に出会って見ると、これほどまでにかわいそうで悲惨な神様であることを知りました。
そして、この孤独な神を抱きかかえて痛哭しました」「何日も何週間も涙を流しつつ、このかわいそうな神様を解放しよう、神様を幸せな神にしよう、それが先生の人生の目標になりました」
「皆様はつらくなれば去ることができる。しかし、先生はどんなにつらくても神様の悲しみを知ったので、神様を捨てることができない。神様を誰が愛し面倒見るのか」
「私は、ただ悲しい神様の友達になりたかったのです」
「先生は80歳になっても先頭を切るだろう」
「たった一人の罪人でも地獄でもだえていれば神は幸せでない」
文先生は、「100年に1度は、私以上に神を愛する人をこの地上に送って下さい」と祈っている。
堕落 ⇒ サタン(天使長)がその神の住家を奪った
神様は追い出された・・・ホームレス
神様の仮の住まい:幕屋、神殿、教会
上記映像の1時間39分頃、文鮮明先生の神様に対する熱い決意の御言
『神様が変わらない限り、私も変わらない。いつ、どのような状況が展開されても、私は行く。たとえ、神様が変わったとしても、私が神様を振り向かせて、共にこの道を行くだろう。神様が絶対的でなければ、私が、神様を絶対的な神様に変えてでも、私は行くだろう。このような覚悟で、この後天時代を走らなければなりません。生きなければなりません。』
「真のお父様、あなたは『いつどのような状況が展開しても神様のために私は行く』と言われましたね。たとえ神様が変わったとしても、『私が神様を振り向かせてでも、この道を行く』と言われました。文先生の息子(顯進様)が今、その道を行っておられます。神様と文先生のお心が慰められますように」
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☆サタンが王になっていた旧約時代は、メシヤが現れるまで悪魔が権勢を握る時代なのです。モーセにとって主なる神は恐ろしい恐怖の神、復讐の神、嫉妬の神として現れ、僕の僕となった人間を律法でむち打ち、法度に反すれば容赦なく刑罰を加えた時代が旧約時代です。旧約の主なる神の属性を見ると、嫉妬心の強い神として「私」以外の他の神に仕えるならば恐ろしく嫉妬される神様であり、イスラエル民族にカナン七族を残らず滅ぼせと命じた残忍な神様であり、律法と法度に反したイスラエルの民を目の前で倒した無慈悲な神様です。宇宙を創造された愛の神様であるのに、このように嫉妬と復讐と恐怖心とカナン七族を無慈悲にも滅ぼすという、こんな性稟があっていいのでしょうか。旧約時代は天使が仲保となって神様に代わった時代だからです。(真の神様 3-1-2)
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神様が自分の子供の中の一部の反抗勢力に嫉妬して、旧約聖書の申命記7章にあるように、『カナン七族を残らず滅ぼせ!』と、命じたような憎悪や怒りをむき出しにして無慈悲に殺すことまでも容認するような愛情の乏しい神であったならば、ここまで我慢強く復帰のために耐え忍ぶことができるでしょうか?
耐え忍ぶ前に、邪魔者は消せとばかりに復讐に訴えたり審判する神でもある旧約の神(天使)。
これが旧約時代の神(天使)が本当の神であるとすれば、堕落しても一回リセットして人類始祖を再び新しく創造し、再び戒めを与えて成功するまで繰り返す復帰に係わる苦痛を避ける神であっただろうと想像できます。
不本意な堕落に心を痛められながらも、神様御自身の性稟が神の子として創造された人間の良心に残っており、理論的にも説明できる蕩減復帰の青写真も描けることから、障害児を育てあげるように、神様御自身がいばらの道を行くとしても、創造した我が子を救うためにはどんなことも耐え忍ぼうと決心された神様であられます。
これは愛の神様である証明です。ここまで復帰が難航するのも、神の子としての価値を高めるためにある人間側に与えた愛の鍵(5%の責任分担)があるためです。愛の被造世界を望まれているゆえに、神御自身が苦痛を耐え忍ばれる裏事情を忘れてはなりません。(真の神様 第4章 主が出会った神様 参照)責任分担のない 操りロボットは子供とは言えないのです。
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