瞑想猫(にゃんこ先生改め)のブログ-2008.1.1

2008.1.1 真の神の日アトラクション(お父様と三男・顯進様)

天正宮建築現場にて(父母様と顯進様夫妻)

 

BGM

 

位置が与えられると、最初からアベルと思ってしまっています。アベルとして、カインの前に立つためには、条件がいるのです。内的蕩減条件、縦的蕩減条件「アダムの位置の復帰」ともいいます。「神様の愛と一つになった縦的基盤」とも言われています。内的蕩減条件がないと、讒訴条件があるために、アベルはカインを自然屈服できません。長子権復帰をするためには、必ず嘆息圏を勝利して、内的蕩減条件を立てる必要があります。しかし私たちは、往々にしてそのことが理解できないので、ほとんどの人が嘆息圏を嘆息してしまいます。嘆息圏を嘆息しないで神様を求め、カインを愛する闘いができるのは人間しかいません。天使レベルから脱却して人間になっていくための役事とも捉えることができます。嘆息圏が来ると天使レベルの意識では「災いがきた。サタンから守られなくては」とか「環境のせいだ。カインのせいだ。」と嘆息したり、怨讐視して、この世の善悪の価値観で裁いてしまいます。また、神様を求めず、助かりたいために組織内のアベルだけを求める人もいます。対象となるカインのアベルになるためには、必ず「嘆息圏を嘆息しない。怨讐を怨讐視しない。絶望圏を絶望しない」で、絶対的に神様を信じていく闘いが必要です。

 

真の愛の本体である神様は怨讐に敵意を抱かれません。まずは、心を広くして、鈴木エイト氏、有田氏など(カイン圏)に対して敵意を抱かない対象として意識して心がけていくことから始めてはどうでしょうか。

 

文鮮明先生の怨讐(カイン圏)を怨讐視してはならないという御言

怨讐を愛さなければなりません。この世の天地の背後にいたサタンを愛していかなければなりません。神様の息子の聖なることを私がたたえ、驚くべき価値をもっていることを知っているとするならば、その価値の前に悲惨でつらく、恨めしくとも行かねばならない道があり、それが大怨讐を愛するということなのです。(真の神様 4章 1-2)

☆自分の欲心を中心として統一教会を利用しようという人、ありとあらゆることをした人を歴史上見かけても、知っていてもだまされたふりをしてやりました。なぜだまされてやるのでしょうか。神様が今までそのようにしてだまされてきました。裏切り、背を向ける姿を見るたびにあきれ驚いて「あいつ、雷を落として・・・」という憤慨と悔しい思いが爆発するのですが、彼らが帰ってくることを願っている天の心があることを思うと、そうはできないのです。かわいそうな神様にすがって許そうという心をもってきたところ、そのたびに節ができます。分かりますか。統一教会の一つの節ができるのです。竹に節があるように、節ができるのです。そうして家庭的節目、氏族的節目、民族的節目を刻んでいくのです。(真の神様 4章6-2)

先に攻めたロシア(カイン側)は天使長の立場
プーチン大統領に非難が集中していますが、プーチン氏も神様の子なので、父母なる神様は、プーチン氏を愛する対象として見守っていらっしゃると思います。


サタンを自然屈服させるための神様の戦法
 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。でなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。考えてみなければなりません。
 神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。
 それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。

神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。
 神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の体と心を持った子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。
世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。話は、簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。

神様がサタンを敵であり怨讐であるとみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。

 神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとした怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって、死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。(2000.2.10 80歳ご生誕式典)

「御言の中にある天国建設の鍵」 (サタン屈服のための秘法) 天使長(プーチン)
1984年ダンベリーに収監される直前の教会創立記念日に次のような御言を語られました。牢獄に追いやろうとする既成キリスト教会などに対して、アベルとしてどういう心情姿勢を保たなければならないか、極めて解かり易く明快に説かれています。神様と天使長(プーチン)との間で交わされた次の会話は、それぞれアベル圏とカイン圏に置き換えることができます。

あなた方(神様とアベル圏の人々)が善なる正しい立場にいるのならば、私(カイン圏の人々)を愛したという条件を立てなければなりません。そうしなければ私(カイン圏)の前で神様だということはできない」と主張するのです。それが問題なのです。「私(全カイン圏)があなた(神様と神様の体と心をもったアベル圏)と一つ(地獄解放→天一国実現)になることのできる秘訣が一つあるとすれば、それは何か。あなた(神様)が遣わした人(アベル圏の人々・アベル教団)が私(カイン圏)を愛さなければなりません。神様と全アベル圏が一緒に私(全カイン圏)を愛する立場に立ち、愛したという条件を立てなければ、私が占めている長子の権利と嗣業を取り戻すことはできない」とブレーキをかけるのです。ですからイエス様(父母様・三男様)が怨讐を愛せよと言ったのです。 (罪と蕩減復帰 3-4-1 1984.5.1世界宣教本部)

絶対者であられる神様が立てた天使長が悪魔になったとしても、神様は、天使長を本来の堕落していない立場で考えてやることのできる基準をいつももって歩まなければならないのです。ですから天使長(カイン圏)を愛さなければなりません。神様の前に造られたアダムとエバは、神様の体です。ですから神様のみならず、アダムとエバ(祝福家庭)もサタンを愛さなければなりません。(真の神様 4-4-1)

神様と同じ心情姿勢を貫くことによって、初めて正真正銘・名実共に神様の子供であることをサタン(カイン圏)が認定してくれるという天理。(→自然屈服・地獄解放)

今まで宗教人たちは、また、神霊なる宗教指導者たちはみな、どこに集まったのかといえば、天国に入っていく門の前に集まったのです。天国に入ろうとするならば怨讐を愛さなければなりません。アダムとエバ(アベル教団の群れ)が完成して天国に入るときには、天使長(全カイン圏)もアダムとエバについて天国に入るのです。天使長(全カイン圏)が神様の愛を受け、アダムとエバ(アベル教団の群れ)の愛を受けたのちに、共に天国に行くことができるというのが原理であり、創造の原則です。天使長は途中で失敗しましたが、天使長が「私は僕として裏切ってしまったのですが、主人であるあなた(神様)は、天理の道理を定めた上で本質的伝統を立てました。あなた(神様)の立てた原則の上で、完成したアダム(アベル圏)と天使長(カイン圏)を愛してこそ天国に入ることができるというのが原則なのだから、あなた(神様)はその原則を捨てることができないのではないですか」と言うならば、引っ掛かるのです。神様が天使長に「お前の言うことは正しい」と言うのです。(1989.11.15、漢南洞公館)

アベル(神様に近い人々)はカインを愛さなければいけません。愛で自然屈服させなければいけません。血と涙で愛する立場に立たなければいけません。誰よりももっと高い愛を与えなければいけないのです。そうでなければ屈服させることができず、復帰ができないのです。私たちは既成教会のために、大韓民国のために、北韓のためにそのようにしなければいけません。それで先生が今北韓のために祈祷しているのです。(34-283 天聖経P1140 礼節と儀式 3章9-2)

原理的な立場ではアベルが中心です。この中心の中には神様が入っていらっしゃらなければいけません。ところで皆さんはアベルになりましたか。神様に従順に従って一体にならなければいけません。(34-45 天聖経P1141 礼節と儀式 3章9-3)

サタンも、人類を救おうという神様の愛の前には、讒訴出来ないのです。父母の愛を通じては、悔い改める者を許せない法がありません。 それで、その様な心情を通じて、地獄迄も解放しなければなりません。それが真の孝行者として行くべき道ではないでしょうか。それで統一教会では、地獄迄も救おうと言うのです。何故でしょうか。それは、神様がその様なお方だからです!!!

☆人間が死んで地獄に行くのを見る時、神様は永遠に生かしてやりたくて、やきもきするのです。そうすべき父母の立場で責任を果たすのであって、「えい! 皆掃いて捨ててしまおう」と言えば、父母の立場に立てはしないのです。それ故、地獄迄解放しなければならないという論理が成立します。(地上生活と霊界 4-1-5)

神様は怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンに対し、アダムに代わる立場に立った人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗にすべて打ち勝って、耐えに耐えて自然屈服させて、神様の愛を抱いて戻ってきて初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。「あなたはこれから天国へ行くことのできる子女となれる」という公認を受けなければなりません。一番最初に誰がサインしなければならないかというと、サタン(カイン圏)がしなければならないのです!!!(天聖経 p1284 罪と蕩減復帰 3-4-1長子権復帰)

 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村