瞑想猫のブログ(主の遺言を地に落さないために)

2007.5.8 天宙新文明開闢・横浜 祝勝会(お母様と顯進様

天正宮建築現場にて(父母様と顯進様夫妻)

 

BGM

 

「統一原理」と「高額献金」の矛盾

上述のビデオセンターというシステムは、経済と伝道が一体となっており、80年代以降にビデオセンターで伝道された食口は、純粋な原理で伝道されたとは言えないところがある。

原理と先祖の因縁などを結びつけ、節目ごとに高額献金(商品購入)をしながら、伝道されて来たのである。

そのような理由もあって、日本食口にとって、「摂理に貢献する手段といえば献金」という理解で信仰生活を送る食口が多かったのは否めない。それは伝道の入り口がそのようになってしまっていたからである。

 

しかし本来の統一原理の教えの核心(創造目的)は、三大祝福の成就にある。三大祝福とは端的に言えば、①個人としての人格の完成、②理想家庭の完成、③万物主管の完成である。(ちなみにここでいう「万物」の意味は広いもので、自然を愛することや、職業を通して社会に貢献すること、家財を適切に管理することなども含まれ、「献金」に限定される概念ではない。)

霊感商法や過度な献金によってもたらされたのは、ことごとくこれらの目標に反するものであった。

 

一方、90年代の後半になると、統一教会における経済は「霊感商法」から徐々に「既存の食口からの献金」へと割合がシフトしていった。

87年以来、霊感商法が社会問題化し、裁判で教会の責任を認める判決が出て、さらにインターネットが普及したことなどもあり、そうした方法が継続困難になったこともあるだろう。(良心によって改革されるのではなく、社会の風当たりが強くなり「やむなく」という印象で残念である)

 

その結果、現在も日本食口は、御言葉の書籍であったり、先祖解怨・祝福など、「自発的に」高額献金を継続しているのである。ここにおいては、伝道される時点ですでに高額献金が意義付けされているため、特別な教育は必要なかったと思われる。そして、教会内部にすでに「献金しなければ不信仰」という文化が築かれていることが、さらなる献金を後押ししてきた。

 

信徒が自発的に捧げる献金であれば、法律的な観点から見れば、違法とはならない。しかし現在問題となっているのは、決して多くはない日本の食口が、摂理を支えるためだとプッシュを受け、繰り返し高額の献金を捧げ続けることで、自己破産であったり、家庭崩壊が起きていることである。

 

また清平での先祖解怨祝福はその献金額が一般的な先祖供養の範囲を大きく超えているだけでなく、食口の信仰のあり方を、非常にご利益的な低次元のものに留めてしまっている。決められた金額を納めることで霊界の先祖が救われ幸せになれる、などというのは、原理の教えにはない。

 

信教の自由からして、食口たちが清平役事を信じることはある意味で勝手ではあるのだが、清平役事を継続する限り、統一運動はその高い志を遂げることは出来ないし、清平に巨大な白い建物が増えれば増えるほど、世界は家庭連合を自己中心的な団体として理解するだろう。

 

私達が信じるお父様、統一原理、統一運動とは

私たちは今も変わらずお父様をメシヤとして信じており、統一原理の教えを大切にしながら、その残された偉業を成し遂げたいと考えている。

しかしそのことは決して、霊感商法や過度な献金を行うということとは繋がらないばかりか、それとは相反することである。

そうであるから、私たちは過度な高額献金を継続する家庭連合に矛盾を感じたのである。過去に霊感商法を経験し自分が人を傷つけてしまったと心の傷を負っている食口もいる。

 

過去の霊感商法を振り返った時に、当然、私たちはこれを正当化することは全くできない。正しい目的のためには、あくまでも正しい手段を用いなければならない。

お父様が霊感商法についてどこまでご存知であったのかは、今となっては正確に知る由がない。

 

ただ、お父様ご自身は常に通常のビジネスでの資金作りをされていたことや、お父様のすべての教え(統一原理)から考えても、決して霊感商法のような手段を許可するような方ではないと、私たちは信じている。

挫折した改革と、私たちの選択

特に90年代半ば以降、体制としての共産主義の脅威が弱まった後、私たちは健全な家庭を基礎として、健全な国家や世界を実現することを目指す時代へと入った。お父様が世界基督教統一神霊協会(統一教会)の看板をおろし、世界平和統一家庭連合を出発させたのはそのためである。

 

したがって今日においては尚更、霊感商法は言うまでもなく、過度な献金によって家庭が崩壊するようなことがあってはならない。それは私たちの信仰(特に三大祝福の実現)に反する。

 

1998年、顯進様は家庭連合の世界副会長に就任される際、日本の食口たちの惨状に触れ、これを改革しようとされたし、そのような顯進様に対して、お父様はリーダーたちに対する人事権を与えられたのである。

しかし、顯進様は改革を進める過程で、教会内で既得権を持った勢力からの抵抗と攻撃にあい、その改革を進めることができなかった。

 

私たちが顯進様をお父様の正統な後継者として信じているのは、血統を重視する信仰的なロジックからだけでなく、家庭連合の信仰のあり方(献金に関するあり方も含めて)が、顯進様によって根本的に改革されるべきだったと信じているからでもある。

そのような顯進様が、教権指導部の虚偽報告により、高齢になられたお父様からも誤解を受けられたことは、悲劇である。

 

結果として、顯進様は家庭連合を改革できなかったため、2009年以降、お父様の意志を継ぐため、独自で平和プロジェクトを始められた。そしてそれらは現在まで、非常に健全に進められている。その賛同者は信仰を持つ食口よりもむしろ一般の方々が大半(95%以上)である。それはその運動の価値が、食口の信仰的な独りよがりではなく、いかに公益的なものであるかを示している。これこそ、お父様が生前に願われた運動のかたちだと、私たちは信じている。

 

また私たち顯進様を支持する食口においても、他の伝統宗教で推奨されているのと同様に、強制的ではない自主的な十分の一献金を推奨しながら、個々の家庭が子女を健全に教育し、家族の喜びの時間を持ち、我々自体が平和な世界の基礎となれるように歩んでいかなければならない。

 

統一運動は「神を中心とする世界平和理想世界」実現という大きな夢と志から始まりました。その理想は、初期には「地上天国」と呼ばれ、2000年代以降、「天一国」という宗教的呼称が用いられてきましたが、最も明快な表現は、「神のもとの一家族世界」(One Family Under God) であるに違いありません。
それは即ち、人類共通の親である神のもと、人類が人種や国籍、言語や文化、さらには宗教の枠組みさえも越えて、同じ家族として交わる世界を言います。
統一運動において「One Family under God」という言葉を、公式的ビジョンとして掲げたのは三男・顯進様でした。この言葉は、統一運動の目指す世界を、最も的確に言い表していると言えます。

 

「勝共連合」を設立し、共産主義と対峙してきた理由も、「唯物論的無神論」からでは人間の価値や尊厳性、目に見えない倫理・道徳は保障されません。無神論では真の平和世界(=One Family under God)は実現されないのです。

数々のビジネスを興し、信徒が身銭を削って献金してきたのも、教団の私服を肥やし、営利を貪るためなどではなく、信徒が家庭を犠牲し、身を粉にしながら活動してきたのも、決して、経済を中心とした単なる教勢拡大(=教会の数的規模や影響力の拡大)のためではありませんでした。食口が献金をする動機は、ひとえに「神のもとの理想世界を築く」という志に共鳴したことゆえだったのです。

 

統一運動には本来、「他のために生きる」「国と世界のために生きる」という普遍的価値と原理に基づいた高尚な精神と情熱が存在していました。それが数々の公益的活動を生み出してきたと思うのです。

しかし同時に、その一方で、絶えずくすぶり続けていたものが、自分たち教団の権益だけを求めようとする、もう一つの価値基準であって、それが教団の“カルト性”をもたらす歪んだ教えと信仰を生み出していました。
二世たちが反発を覚え、拒んでいたものは、そうした“歪められた信仰”であり、“独善的な教え”だったのです。

 

統一運動には本来、人の本心(良心)が志向する“普遍的”な原則があり、価値基準がありました。それは一般の倫理・道徳に符号するものであり、あらゆる宗教が根底にもつ共通の価値観に通じるものであって、それが統一運動の「他のために生きる」「国と世界のために生きる」「公益的精神」を支え続けてきた源でした。

 

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