2007.5.3 天宙新文明開闢 広島大会 訓読会(お母様と顯進様)
2006.6.13 天正宮博物館奉献式(父母様と顯進様)
家庭連合を統一教に戻した事件
2009年10月に7男・亨進様は、家庭連合の名称を「統一教(Unificationism)」に代えよと正式に指示しました。
お父様の摂理的方向を逆戻りさせた衝撃的かつ反摂理的な事件でした。
「統一教会(Unification Association または Unification Church) - 家庭連合(Family Federation) - 統一教(Unificationism) と展開され、完成段階の宗教」という主張は、実にナンセンスでした。こうしたことをお父様が許諾されたというのでしょうか。お母様の後ろ盾なくして、こんな大胆なことを企てることはできなかったでしょう。しかし、このような反摂理的決定に対して、家庭連合側では誰一人として異議を唱える人はいませんでした。お父様を訪ねて確認する指導者もいませんでした。そうすれば、亨進様によって首になるのは明らかだったからです。生活がかかっているという問題の方が、彼らにはより重要だったのでしょう。
問題の深刻さに対して勇気をもって指摘してきた人たちは、専ら顯進様に従う指導者および祝福家庭たちだけでした。当時、顯進様側が公開した文書には、亨進様の問題点が鋭く指摘されています。
「文亨進会長は『蘇生期は統一教会、長成期は家庭連合、完成期は統一教』とまで言った。長成期の摂理機関である世界平和統一家庭連合が完成期の統一教に発展したというのは、文鮮明先生の御言に反する摂理史的に重大な事件であり、大転換に他ならない。だとすれば、これと関連した真の父母様のみ言葉と摂理的な行事と記録が、無数に残っていなければならない。しかし悲しくも残念なことに、真の父母様のみ言葉と摂理行事に関する記録を隅々まで検索してみたが、これに関する如何なるみ言葉や行事も見つからなかった」
☆これからは、宗教が必要ありません。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の時代は過ぎ去ったというのです。それで、「世界平和統一家庭連合」を宣布したのです。エデンにおいて堕落していない本然的家庭、アダムとエバの絶対信仰、絶対心情園、絶対、永遠に分かれることができない父子関係の一体圏を成さなければなりません。(第四次アダム圏時代)アダムとエバが堕落する時、神様が家庭に干渉できなかったので、終わりの日に来て収拾しなければならないのです。(283-11、1997・4・8 南北統一と世界平和 第五章-2)
「文亨進会長の統一教は最近の摂理、そして原理的なプログラムによって進められている未来摂理のどこにも立つ位置がなく、原理的にも全く成立しない。文亨進会長の統一教(Unificationism)は、統一教会(UnificationChurch)と家庭連合によって続けられてきた摂理史を破綻させて出現した、ルーツが分からない私生児のようなものだ」
この文書は最後に「摂理の時計を逆戻りさせた文亨進会長の統一教は、神様と真の父母様の摂理の前に異端者・破壊者なのか、相続者・代身者なのか」という質問で締めくくられています。
お父様の聖和以後の2013年1月に、お母様は「亨進が教会を台無しにしてしまった」と叱責しながら、組織の名称を再び家庭連合に戻しました。
亨進様の背後にお母様がおられたということは誰もが知っている事実であり、お父様の家庭連合を統一教に替えたのがお母様と亨進様の合作であることは、お父様の寝室で作成された文書(2010年6月5日)に明らかに現れている内容です。それにも関わらず、事態の責任を息子に被せるなど、私の信仰的基準では理解できないことでした。
約3年間、お母様の実質的な支配下において、全世界の統一家は「統一教」として存在してきましたが、お母様はこの事実に対して、今まで何の説明もなしに沈黙しておられます。
2009年10月21日に、統一教世界本部が亨進様の名義で一つの公文を発送しました。
「UPF(天宙平和連合)の世界会長を、10月20日付で郭錠煥会長から黄善祚会長に交代する」
最小限の形式手順も経ていない公文です。
そして、黄善祚会長が、韓国でUPF世界会長就任式を行いました。
その数日後の11月4日、統一教世界本部は亨進様の名前でもう一つの公文を発表しました。
「UPF世界会長である黄善祚会長は首席副会長に下り、また、文顯進UPF共同議長は更迭され、その位置は文亨進会長が担当する。11月18日に離就任式を行い、UPF理事会が参加しなければならない」
世の中に果たして、こうした人事があるでしょうか。
お父様が最上位の摂理組織として創設され、UNにも登録されている公信力のある国際組織の世界会長の人事が、これほど短期間に繰り返し変更されたのです。こうした前例は、今までありませんでした。「人事に慎重なお父様とは全く合わないこと」という言葉も出ました。法的には互いに別組織である統一教本部が、最上位機構・UPF世界会長の人事異動の公文を出すことも理にかなっていません。
UPF世界会長の人事が統一教によって牛耳られ、UPFが統一教の下部組織に転落している状況で、顯進様は米国の日付で11月4日に、全世界のUPF指導者と平和大使の前で声明書を発表しました。
「統一教が発表したUPF世界会長の人事は、UPFの理事陣や事務局職員の誰とも論議されないまま成されました。法的にも政策的にも、現統一教およびUPFと関係のないGPF財団を別途に設立し、お父様の遺志を続けて尊重していきます」
同日、顯進様は、自分の心境を率直に打ち明けた書信を、真のお父様に伝達しました。この書信で、顯進様は自分の凄絶な心情を次のように訴えました。
「お父様、統一教会にはもはや真実と正義が死んでいます。偽りが正統になり、非原理的な方式が摂理を決定する手段となっています。真実をご存知ないまま、誤った報告のみを信じて、この息子をかえって道に背く者として追いやり、分かれざるを得ない窮地に追い立てています。
40年間見続けてこられたこの子の生き方と行動、幾多の公的壇上でお父様を証しながら叫んできたこの息子の訴えと叫びはお父様の記憶から消え、今や残っているのは、私がお父様の地位と権限、はなはだしくは財物を濫用し、第2の真の父母となってお父様と分かれようとしているという偽りの証言しかありません。
どこまでもお父様に近づき、40年間変わらず、お父様と共に駆け抜けてきた息子がここにいることを知らせようとしましたが、お父様はもはやどんな声も、私の欲心と執着としてしか受け取ってくださいませんでした。
神様の摂理史において重大な峠を迎えたこの時に、苦痛と試練が繰り返されるほど、私の役割と使命はより明らかになっています。端的に申し上げるなら、私は神様の摂理的方向とお父様の永遠の業績を守るために、どんな闘争や困難をも甘受する覚悟ができています。これは決して妥協できないことだからです。
このような決断と共に、私はお父様を保護し、UCI財団を守るために必要な措置を信念に従って取っていきます。最近の多くの措置とこれからの歩みに関して、お父様は理解しがたいかもしれませんが、いつかは全ての真実が現われるものと信じています。
断じてこれは、お父様の権威を見下げることでもなく、個人的な地位と権力に執着した紛争でもありません。ひたすら神様のみ旨と摂理のために、一生涯、基準を守ってこられたお父様の崇高な名誉と権威を守って差し上げ、窮極的にそのみ旨を果たすためです。どうかこの息子の偽りのない心を信じてくださるようにお願いします」
家庭連合側の実力阻止にも屈せず、お父様と世界のUPF関係者たちに自分の立場を伝達した後、顯進様は本格的に独自路線を歩み始めました。
12月にフィリピンのマニラで、GPC(Global Peace Convention)の開催を決めると、家庭連合側ではお父様の指示を前面に押し立てて、フィリピンGPCに反対する動きを起こしました。それに対して顯進様は11月20日にもう一通の手紙をお父様に伝達しました。
「人々は、私をお父様と敵対する者として追い立てています。これは言うまでもなく偽りです。『神様の摂理』と真の父母様の『生涯の業績』を守るために、GPCを中断したり延期する計画はありません。お母様と兄弟たちは、原理的ではない方式で、神様の摂理を左右しようとしています。私は絶対にこれに従わないでしょう。誤った報告で私をののしり続けるなら、これ以上、沈黙し続けることはできません」12月10日にフィリピンGPCが予定通り開催されました。
亨進様が主導する統一教は、龍鄭植(ヨン・ジョンシク)アジア責任者を押し立てて、実力阻止に出ました。しかし、フィリピン、ネパール、マレーシア、モンゴルなど、アジアの若い指導者たちはこれに屈せず、顯進様の意思に同参してくれました。フィリピンの中心的な平和大使たちも、全員が顯進様を支持しました。マレーシアのタンスリ・ザレアUPF会長、セーシェル共和国のジェームズ・マンチャム建国大統領など、世界的にUPF運動の求心点の役割を果たした中心的なVIPも、顯進様を信じてこの行事に同参しました。
彼らは、顯進様が世界的な運動をグローバル・ピース・フェスティバル運動を起こし、UPFを成功に導いてきたことを知っていました。一方で、その顯進様を引きずり下ろした勢力によって、亨進様がUPF世界会長に就任し、UPFを統一教の下部組織に転落させた時、とても大きな失望を覚えたです。そのため、顯進様が不義に屈せず、GPFを独立させ出発させたとき、喜んで力を貸してくれたのです。
家庭連合側は、「お父様の協助がなければ顯進様は何もできない」と考えました。しかし、現実は違いました。フィリピンGPCは家庭連合の激しい反対にも関わらず大成功を収め、2010年にGPF活動を再開できる足場を築きました。ケニアで東アフリカ最高の経済人として活動するマヌ・チャンダリア・コムクラフトグループ会長、ケニアのエリウッド・ワブカラ聖公会大主教、インドネシアで広い基盤を持つチャンドラ博士がGPCを契機に顯進様と初めての縁を結び、彼らは2010年にインドネシアとケニアでグローバル・ピース・フェスティバルとGPCを成功させるのに、決定的な寄与をしてくれたのです。

