2007.5.9天宙平和新文明開闢 千葉大会・祝勝会(お母様と三男様)

2007.11.12 米12都市講演ツアー サンフランシスコ(お母様と顯進様)
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1980年の大統領選挙において、アメリカの政治専門家の中で、レーガン勝利を予測した者はI人もいなかったと言って過言ではない。レーガン勝利を予測することは、一種の自殺行為と見なされたからである。不利な状況が続く中で、いよいよ選挙の日が近付いてきた。
レーガンの選挙はきわめて苦しいものであった。71歳という高齢での候補であったこと、一般に「極右」として知られていたこと、既に1976年の選挙で敗北していること、俳優出身であり政治家としての実績がないこと、現職のカーター大統領には根強い人気があること、実に多くの点でレーガンが不利であることは明らかで、ほとんど全ての新聞は「カーター優勢」との論調であった。
投票日は1980年11月4日である。
その前日の11月3日、私(朴普煕)は文鮮明先生に呼ばれてイーストガーデン(文師公邸)に行った。
「レーガンの地滑り的大勝利の予言を新聞に出すように」
と指示されたのである。「どうしても『地滑り的大勝利』としなければいけませんか?」私はこう申し上げてみた。当時の状況からすれば、この予言はあまりにも常識はずれであったからだ。
ところが文先生は言われた。「そうだ!『地滑り的大勝利』と言うんだ! 地軸を揺るがす勝利だ。明日の朝、アメリカの全国民があっと驚くようにしなさい!」
これは私にとって救世主からのみ言葉であった。
私は目を閉じて、これを信仰で受け止めた。
ニューヨークにあるニューズーワールド新聞社に戻った私は、編集会議を開いてこの意志を伝えた。
そして、早く記事の草案を書いて持って来るように言った。ニューズーワールドの編集局は非常な難色を示した。
「レーガン地滑り的大勝利」とは戯言のようではないか。冗談にもほどがあるだろう。そんなことをしたら、明日からニューズーワールドは世の中の笑い物になる。
これが編集局の一致した意見であった。私には編集局の意思を文先生に伝達する義務があった。
彼らが書いて持って来た草案を見ると、それは無難な予言とでも言えようか。
「レーガン候補、勝利の可能性」-‐‐-‐すなわち、彼がもしかしたら勝利するかもしれないという趣旨であった。
そこで、編集局の案をそのまま先生にお見せした。すると、先生は急に、「普煕、あのくず入れをちょっと持ってこい!」と言われ、「これはごみ箱行きだね」とおっしゃりながら、くず入れにその記事の草稿を捨てられた。
「普煕。もし第三次世界大戦が起こったら、おまえは新聞にどんなヘッドライン(見出し)を書くのか?」
と質問される。私は文先生がなぜこの質問をされるのか分からなかった。
「はあ? 第三次世界大戦ですか? それこそ地軸を揺るがす大事件ではありませんか。
もちろんバーナー・ヘッドライン (新聞全面におよぶ号外のような大見出し)で、こぶし大の活字を使わなければならないでしょう」と何気なく答えた。先生の真意もよく知らずに。
それを聞いた先生は、雷のような大声で号令された。
「まさにそれだ! それで行くんだ! これが私の第三次世界大戦だ!」
私は先生の鉄石のごとき決意に接して、再び全身に鳥肌が立った。「はい、分かりました!」
その言葉はすなわち、レーガンの当選がこの第三次世界大戦を防ぐということではないか。
よし! み心のままに成し遂げて差し上げよう私は心中深く決心して新聞社に戻って来た。
編集局の雰囲気は非常に否定的であった。私は全社員を講堂に集めた。
そこで私は渾身の力を傾けて叫んだ。おそらくここでの叫びは、私の人生において最も重要な演説であっただろう。
世界の命運がかかっている演説であった。

「ニュ―ズワールドの社員、兄弟姉妹の皆さん!
われわれの人生には、時として真の勇気を持だなければならない時があります。
今がまさにその時です。皆さん。ニューズーワールドは文鮮明先生が創立された新聞です。
文鮮明先生は我々の救世主であり、我々の真の父母ではありませんか。
われわれは今日、救世主が望まれる願いを一つ果たして、明日は潔く『殉教新聞』になりましょう。
このような心を抱けば、何を恐れるものがありましょうか。最後の新聞です。勇敢に明日の新聞を作ってください。
救世主が語られた予言は的中します。第三次世界大戦の勃発と思い、世界が驚く歴史的新聞を作りましょう。
『死なんとする者は生きる』と言うではありませんか。この瞬間、われわれは死ぬことを覚悟しましょう。それがまさしくわれわれが生きる道なのです」
この言葉に皆万感動して決心した。やはり私の愛する兄弟姉妹たちであった。
そして社長が陣頭指揮を執り、徹夜で作り上げた新聞が、
「News World Prediction Reagan Landslid」という破天荒な”予言新聞”である。
「ニューズーワールド紙予測。レーガン地滑り的大勝利」
たとえ第三次世界大戦が起こっても、これより大きな活字は使うことができないであろう。
私は文先生の意志を成し遂げたことが何よりも満足であった。

投票日の朝、ニュース・ワールドの予言として、『ロナルド・レーガン 地すべり的勝利(Reagan landslide)』この記事を持って、レーガンのもとに行った。『あー、レーガンが勝つのだな』という世論を創出した。
それは、文先生の奇抜な大統領選挙の戦略でした。そして、保守派の共和党 ロナルド・レーガン大統領が誕生した。それにより、共産主義が弱体化するという文先生の戦略は正しかったのである。
レーガン大統領は「ワシントン・タイムズ」の徹底した愛読者となり、同紙はレーガンが寝室まで持ち込む唯一の新聞として有名になった。実際、レーガンの政策はワシントン・タイムズの論調から強烈に影響を受けていた。
レーガンは8年間の大統領任期を終えてホワイトハウスを立つ時、特別に朴普煕社長をホワイトハウスに招き、こう言った。「私はワシントン・タイムズに最大の恩を受けました。私の任期8年間、ワシントン・タイムズなくしては、私は絶対にレーガン・ドクトリンを推進することは不可能だったでしょう。ワシントン・タイムズの創設者レバレンド・ムーン(文師)に深く感謝の意を伝えてください」
レーガン(第40代)大統領は、『ワシントン・タイムズは、いつも人気がある記事を書いたわけではありません。しかし、本当に力のある声でした。私は一番大切な数十年をワシントン・タイムズと共にしました。そして、我々は冷戦に勝ったのです!』
文師の予言は現実のものとなった。レーガンが奇跡的に圧勝したのである。驚いた米国の記者数百名がニューズワールド社に押し寄せ、いかにしてレーガンの勝利を予測したのかを朴社長から聞き出そうとした。その時、朴社長はレーガン勝利について文師から聞いたこと、文師自身は神から知らされたということを述べた。

