▼ 1950年、空中に出現したイエス・キリストの姿


| ▼学研「ムー」1990年8月号 | ||
| 「神の奇跡か!! 空中に浮かぶキリストの巨像」 「1950年、時はまさに朝鮮戦争の真っただ中。半島の北緯38度線をめぐって、北朝鮮・中国軍と韓国・国連軍との間で、連日、激しい戦闘が繰り広げられていた。 韓国・国連軍は、中国から北朝鮮へ送り込まれる援助物資の補給路を断とうと、B-29戦略爆撃機隊を編成し、北朝鮮爆撃作戦に全力を注いだ。 一方、北朝鮮・中国軍側も1950年11月に入って、ソ連のミグ-15ジェット戦闘機を登場させ、補給路の防衛につとめるべく激戦が展開されていたのである。 その日も激しい空中戦を終えたB-29の編隊、夕刻、基地に向けて帰途についていた。パイロットや兵士たちの顔には、疲れと焦燥の色が濃くにじんでいる。 異変は北西の上空で起こった。 突然、指令機のキャプテンのヘッドフォンに叫び声が飛び込んできた。それは、後方に続く僚機のパイロットたちの声だったが、最初は何のことだかわからなかった。 『主だ! 空にイエス・キリストが現れた!』 『奇跡が起こったんだ!』 驚き、興奮した部下たちの声が、次々と耳に入ってくる。 『落ち着け! いったい何を言っているんだ!』 キャプテンは怒鳴りつけた。 だが、部下たちの騒ぐ声はいっこうに止もうとしない。彼は部下たちのあまりの興奮ぶりに舌打ちをしながらも、操縦席の窓越しに北西の空を見てみた。その瞬間、彼は驚愕のあまり体がグラリと揺れるのを覚えた。 雲におおわれた空に、巨大なキリストの顔がはっきりと浮き出ている! パイロットたちは全員、十字を切りながら、感動にうち震えてこの奇跡の光景に見入り、なかには涙を流す者までいた。 やがて、キリストの像は遠ざかりはじめ、雲に同化して薄れていったという。 当初、この現象に対して、全員が幻覚を見たのではないかという意見が出された。激しい戦闘を追えたパイロットたちが、異常な精神状態のもとで、集団ヒステリーを起こしたのだろうというわけだ。 が、後日、この説は完全にくつがえされた。というのは、クルーのひとりがこのとき撮影した写真が現像された結果、そこには、まぎれもなくキリストの像が写っていたからだ。幻影でもトリックでもない。密雲をバックに、飛行するB-29の機影とともにキリストの顔が、確かに焼きつけられているのだ。」(同書P.100)
■フランス「パリ・マッチ」誌(1951.10.20付)フランスの「パリ・マッチ」誌は、この写真を掲載している。「このキリストの写真は、奇跡的ともいうべき偶然によって韓国の空に現れ、2機の爆撃機の後方を飛んでいたアメリカ人パイロットが撮影した。フィルムを現像するため、そのパイロットはシカゴにいる両親のもとに送った。驚いた事にかれの両親は、写真に、雲で形づくられた『人かげ』を見た。背景には2機の爆撃機が見える。この『神の写真』を見たシカゴの新聞はすぐさま、号外を発行したが、その号外は数時間以内に売り切れた」
イエス・キリストはなぜ十字架についたか。直接的にはイエスをメシヤとして証言すべき洗礼ヨハネがイエスを不信してしまったからであるが、その後イエスは12弟子を中心とする新しい教団を形成したものの弟子の一人であるユダが裏切ることによって12弟子の基盤を失い、ゲッセマネという場所で3弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)の基盤を失い、最後は有名なペテロ(1番弟子)の裏切りによって、結局全ての基盤を失って十字架につく運命に至ったのである。
1950年11月というと、文先生が当時キリスト教が盛んな東洋のエルサレム・平壌に戻り、40日間弟子を訪問していた頃です。 30歳の頃にイエス様は荒野でサタンの誘惑に勝利し、ユダヤで公の活動を始めたと言われています。 正に、当時30歳の文鮮明先生をイエス様が守護していた象徴的な歴史的写真であると思います。
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