瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)

2005.12.21UPF創設100都市巡回講演 メキシコ

瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)

2007.5.21天宙新文明開闢ニューヨーク(お母様と三男様)

BGM 2005年ショパンコンクール本選の模様

 

お盆前になりました。

文鮮明師の語られた御言です。

 

人間の生と霊魂の世界

二 死に対する正しい理解 6.祝福によって永生の道が開かれる 

① 最も重要なことは永生問題

神様は人をどのような存在として造ったのでしょうか。神様の絶対唯一の価値をもつことができる愛の対象者として造ったというのです。これは驚くべき事実です神様の前では宇宙を与えても取り替えることができない高貴な価値、愛の相対圏を備えて男性を造り女性を造ったという驚くべき事実、それは素敵でしょう。
             
 私たち人間は、神様が造られた創造的な傑作品として神様に似て生まれたというのです。神様が永遠であられるので、私たちも永遠な性稟をもたなければならないために、私たちの心は老いないというのです。それゆえに、人は永生しなければならない、永生してこそ、その傑作品の存在的価値をもつことができるというのです。

 

 人々は誰彼を問わず最高を願っています。人間が最高の位置に行くようになれば、神様は私のものであり、また私は神様のものなのです。

 

そして、そのようになれば私は神様の息子になって、神様御自身にもなるので、宇宙は誰のものになるのですか。神様が最も愛して、最も貴く思う物があるならば、それを一日、あるいは十年や百年ぐらい共に過ごしたのちにほうり投げるようにつくったのでしょうか。永遠に共にいるようにつくられたのです。人も同じです。人は永生しなければならないのです。なぜでしょうか。絶対者、神様が絶対的な愛を中心として喜ぶことができる対象であるためです。
             
 神様が永生なさる絶対者ならば、その方が愛することのできる対象も永生しなければなりません。それで、人々は古くから永生することを願うのです。これをはっきり知らなければなりません。それゆえに、絶対者である神様は永生する価値をもった愛する息子、娘を求めざるを得ないというのです。

 

 人は愛で生まれ、愛で大きくなり、愛で生きて、愛で死にます。ところが、そのままなくなるのではないのです。神様、主体であられるその方が永遠、不変、唯一なので、その前に対象的愛の位置に立つようになる時は永生するのです。永生という理論がここから生じるのです。生命から始まるのではないのです。
             

 神様が愛のゆえに人間を造ったとするならば、永遠であられる神様、絶対的な神様、永生する神様であるために、愛に一致した人間自体は永生を備えている、ということは自然的な論理です。それゆえに永生しようとするなら、その真の愛圏内に生きなければなりません。

 

 「私たちは、永遠であり得る! 永生を願う!」。永生を願う時に変わらないのは何ですか。愛です! このようになるのです。ほかのものはみな変わります。環境的に変わるのです。それでは、愛はなぜ変わらないのでしょうか。愛は、すべての生命力の中心であるがゆえに変わらないのです。愛がなぜ変わらないのでしょうか。愛は理想的な要件の中心の位置を占めるからです。中心は、その周囲がすべてなくなる前には、なくならないというのです。愛は宇宙の中心になっているために愛と一つになることによって、その愛は神様を中心とした愛と一致しているために、神様がいらっしゃる限り残っているというのです。

 

 自分の体と心の完成とは、真の愛に属することにより根本的に可能になっています。無限の根本、原因から過程、それから理想の結実を結ぶのは愛しかありません。真の愛しかないのです。真の愛によって、真の愛を中心として神様も永存しています神様が永存するのは何を中心として永存しますか。永生は愛によって連結されるのです。それで、永生の環境をなすには愛の環境を中心として生活しなければならないのです。愛の実体圏をもつには、愛を中心として実体的な体恤をしなければならないのです。
             

 「どのように永生するか」と尋ねれば、皆さんはどのように答えますか。
愛によってのみ救いを受けるのです。
神様の創造原則の本質的原則から見るときに、真の人だけが神様の愛の同伴者であるので、真の愛をもてば永遠に生きるようになっていますその愛の圏内に入っていれば、霊界や地上で生きるときに、自分がどこに行って生きるべきか、すべて見ながら生きるのです。

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☆義でなければ、善悪を分別できません。その善の中心点とは何でしょうか? 神様です。いつも神様が中心にならなければなりません。なぜでしょうか? サタンは神様のような義なる者に対しては、讒訴できないというのです。神様が信じ、神様が行い、神様が生活する、神様に侍る環境に処していれば、サタンが干渉できません(礼節と儀式1-2-1神様に侍ることによって生活の天国化を成す)

天国とは「為」に生きる人の行く所です。自分を世界に投入しつつ、世界と連絡し、世界を抱いて、世界以上の位置を、神様に侍る為の愛を求めてさまよう人が、天国の主人となるのです。自分から自分の母親を誇り、自分の妻や夫を誇り、息子、娘を誇り、兄弟を誇り、皆さんのお兄さんを誇るには、そのような伝統を中心としてこれを国へと拡大して適用し、その公式を世界に適用し、天宙に適用しなければならないのです。それ故、神様が私のものとなるのです。神様の愛が私のものになるというのです。神様の行く所はどこでも同位、同参する事のできる権限があるという事を知らなければなりません。(真の神様の祖国光復 5-2 真の御父母様の伝統相続の姿勢)

☆本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできないものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔にやったのです。その時から人間の体は悪魔の僕になりました。人間の良心は神様を代表する心です良心は私のために存在しません。天の義のために存在します。良心は常に善に向かって走ろうとします。これに体は反抗をします。体は自分だけ安らかであろうとするし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲を行おうとします。良心はこの体を叱責し、心に順応するようにします。


☆言葉で結ばれる親子の関係とは、予約だけで結ばれる親子関係は必要ありません。心を尽くし、精誠を尽くして父の御旨のために生き、苦痛の中でも耐えて勝利するとき、私たちは、本当の意味で神様と親子の関係を回復できます。(礼節と儀式1-1-1神様と人間は親子の関係)

絶対者であられる神様が立てた天使長が悪魔になったとしても、神様は、天使長を本来の堕落していない立場で考えてやることのできる基準をいつももって歩まなければならないのです。ですから、神様とアダムとエバ(本然の位置のアベル圏)は、天使長(カイン圏)を愛さなければなりません。神様の前に造られたアダムとエバは、神様の体です。ですから神様のみならず、アダムとエバも神様と心情一致してサタンを愛さなければなりません(真の神様 4-4-1)

私たちの良心は常に心の中の師として、父母として、人類の究極的な父母である神様と完全に一つとなるように導いてくれなければなりません。この時、良心は私たちの中にある神様の代身者となるのです。さらには良心を「第二の神様」とも呼ぶことができるのです(1990.4.9 モスクワ)

無形の神様は私たちの真の愛の理想の主体であり、私たちはその絶対的対象の立場にいるので、第二類型の神様の立場にいることを確信し、無形の神様と真の愛によって心身一体を成し、私たちの心を絶対に神様のように侍るところでのみ、堕落した体からサタン世界を追放することができるのです。
良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自己」を取り戻すことができるのです。(1994.3.27)

ただ愛のみがすべての障壁を超越します。私たちが真の愛の中で神様と一つになる時、神様の肉的、霊的被造物に対する私たちの支配が可能になります。徹底して他のために生きる時、私たちは初めて神様の本質に到達することができます。そうすれば、神様の思いが人間の思いとなり、神様が感じられることが自然に人間に伝達されるのですこのように生きていく時、人間は神様の心情と愛に共鳴する器となるのです。二つの音叉が共鳴するがごとくに、人間と神様も常に共に共鳴するようになるのです。それが正に究極的な人間の原状なのです。この原状に到達する時、神様の愛は私たちの愛となり、神様の生命が私たちの生命となり、神様の血統がまさしく私たちの血統となるのです。神様の創造された世界が私たちの世界となるのです。私たちは地上と天上のすべての存在と神様の愛を分かち合うようになります。私たちは父母の心情で天国の民となるのです。(1990.4.9、モスクワ)

良心を解放させ、神様の真の愛と一つとなって暮らしてから入る所、神様の愛の血族のために準備して、愛を中心として暮らしてから入る所が天国だというのです。この愛を占領できなければ、永遠に天国に入れず、その日のために数千万年を待たなければならないというのです。(1995.5.17)

神様と同じ心情姿勢を貫くことによって、初めて正真正銘・名実共に神様の子供であることを一番先にサタン(カイン圏)が認定してくれるという天理。(→自然屈服・地獄解放)

 

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