瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)

2005.12.7 UPF創設100都市講演オーストラリア

瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)

2007.5.2 天宙神文明開闢広島大会当日(お母様と三男様、左は大塚前会長)

 

BGM

 

前回の続き、訪韓修練会の成約の御言

蕩減復帰の峠を越えましょう(摂理的総決算)

 

イエス様のお父さんは祭司長だったザカリヤです。

ザカリヤーマリヤ(妾)ーイエス様(アベル)

ザカリヤーエリザベツ(正妻)ー洗礼ヨハネ(カイン)

(文先生曰く、イエス様の父がザカリヤだということは1993年(成約時代)になって言えるようになった。それまでは明かすことはできなかったと語られています)

 

エリヤの使命と洗礼ヨハネ

 

北朝と南朝が一つになるための、イスラエルとユダヤの聖書の中の絡み合いの戦いなのです。それを成すために、中間の調和のために送ったのがエリヤです。エリヤは、北朝のバアルと偶像アシュラを崇拝する者たちを集めて、その祭司たちをみな動員して、南のほうのユダ支派の祭司と共に、「生きた神がいかなるものかを試して、それを証しした方向に南北を行かせよう」と提唱してやったのです。北方の十支派の祭司、偶像崇拝、サタン的な祭司たちを八五〇名が、みな祭壇を作って燔祭をささげ、「そこに水をかけて祈った場合に、天から火が降りてみな焼いてしまうような実証をしよう」と準備して、まず、八五〇名の北朝の十支派のカイン的な祭司たちは、いくら祈ってもびくともしないのです。

 

そういうような言葉を残して、エリヤは昇天して使命を果たせなかったのだから、それを再びイエス様が、国家次元でなさなければならないのです。国家次元でイエス様が来られる時、イエス様は国家の王様として来られるのだから、その前に起こる支派的民族的な争いは大変なものです。それを平定して、エリヤの統一の理論を再びなさなければならないので、エリヤの再臨という概念が再び生まれてくるのです。それで、エリヤが九〇〇年前に火の車に乗って昇天していったと同じような姿で、再び降臨すると思っている旧約聖書を徹底的に信じていたのです。


それで帰ってきて先生に質問するのです。「人々が言うのには、メシヤが来る前に、エリヤが先に来ると言うのですが、それは何のことですか?」と。それでイエス様は、はっきり言っているのです。マタイ伝の十一章にあるのです。「エリヤはもう既に来ている。それは洗礼ヨハネとして、エリヤは来ている」と。それは大変なことです。旧約聖書では、昇天した者が降臨すると思っていたのに、イエス様は、「そのエリヤが降臨するのではなく、もう既に洗礼ヨハネがエリヤとして来ている」と言ったのです。
そうなると、その当時のユダヤ教会の信者たち、旧約(時代の)信者たちは、「この悪辣なイエスのやつ、悪魔の王者よ! 自分がメシヤになるために引っ張りだして、つくりあげたのではないか! 我々はそう思わない」と言うのです。だからといって、そのように追われたイエス様は、追われたままではいけないのです。死んでも、そのみ旨の道を発展させていかなくてはならないのです。

 

イエス様の言ったとおりに、イエス様はメシヤになりました。その当時、イエス様を誰もメシヤとは知らなかったのです。メシヤは神様が決めるのだから、いかに世の中が反対しても、神様の公認する基準に立ったイエス様の教えの教会を中心として、歴史以来初めて宗教、文化を通して、キリスト教が世界を統一したのです。第二次戦後にです。

メシヤと神様が決めたのならば、それは絶対的なメシヤであり、ユダヤ人が否認したとしても、メシヤになれないことはないのです。だから、この世的にいって、(エリヤとして来た)洗礼ヨハネがイエス様と一体となった場合には、イエス様は死なないのです。洗礼ヨハネの率いる者はカイン圏です。七〇〇〇名以上のバアルに屈しなかったそういう群れをまとめて、イエス様が来る時に、それを一つにさせて家庭をつくるために祝福してやった場合には、ヤコブ家庭失敗と氏族、民族失敗が、ここで再び統一されたとするならば、イエス様を中心とした右翼と左翼、右の強盗と左の強盗も生まれてきません。

バラバはイエス様の代わりに復活しているのです。死ぬべき者が、悪辣な暴動を起こしてローマ転覆運動をしたバラバが、イエス様の代わりに生きているのです。イエス様の体の代わりに生き残ったバラバの基準が今の回教圏(イスラム教圏)です。イエス様が亡くなって七世紀、六〇〇年を超えて七世紀に始まったのです。

イスラエル民族が六数の通過過程で悔い改めて一つになって、イエス様をメシヤとして侍ったとするならば、バラバ圏はなくなっていたのです。それで、イエス様を中心として、中近東が体の代わりです。イエス様の体は国家を代表しているので、その国家基準が統一された場合、ユダヤの国は、こういうような紛争の立場には立たないのです。イエス様を殺したために、それ(ユダヤ民族)はジプシーのように、世界的に追い出されて、二〇〇〇年の歴史にも蕩減の量がまだ満ちないので、ヒットラーを中心として六〇〇万の犠牲者を出すようになって、蕩減の量を越えることを神様は許さざるを得なかったのです。

 


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