2005.10.30 UPF創設100都市講演 2006.5.2第二次UPFツアー・ワシントン
台湾大会 母子(三男様)主礼 祝福式
ウクライナ情勢が大変な状況になっています。生物化学兵器、核兵器などの話がささやかれるような大変深刻な状況です。
父母なる神様の良き導きによって、ウクライナ情勢が平穏に解決され、平和な時代になることを心よりお祈りしたします。
日本から韓国に嫁いだ女性がユ・グァンスン烈士遺跡地で朝鮮半島の平和と統一の念願を込めて「大韓統一万歳」叫んだ。
天宙平和連合(以下、UPF。議長ムンヨナ)は16日、忠南兵川(クァンナム・ビョンチョン)のユ・グァンスン烈士遺跡で世界平和女性連合、UPF大田忠清地区と共同で「3.1運動103周年記念大韓統一万歳運動および平和行進」を開催した。
今回の行事には、日本から韓国に嫁いだ日本女性80人余りとムンヨナUPF韓国議長、ムン・フンスク世界平和女性連合世界会長、ユ・ギョンドンUPF大田忠清地区会長、イ・ヒョニョン韓国UPF会長をはじめ、平和大使など100人余りが参加した。
「3.1運動精神で神統一韓国を成し遂げよう」というテーマで行われたこの日の行事は、平和行進、追悼意識、終端平和祈願意識、記念史、独立宣言文朗読、大韓統一万歳パフォーマンスの順で行われた。
☆朝鮮半島において南北統一が成し遂げられれば、世界の統一は成し遂げられるようになっています。軍事力、武力を使用して統一が成し遂げられると思いますか。とんでもないことです。軍事力だけでは絶対に成し遂げることができないために、今このように話を伝えているのです。(1986・3・14)
アベル(韓国側)に備わってなければならないものは、神様の聖殿である良心を覚醒させて、真の愛の思想でカイン圏を自然屈服させること。キーワードは、神様のような成熟した父母の心情。神様は真の愛の本体。人間の良心は神様の聖殿。 成熟した父母の心情は力に勝る。
御言の中に、象徴的に記された連続した文節を紹介します。
=== 2000.2.10 世界と南北の統一は真の愛で(天聖経 P2229) ===
◆ 南北統一はどこからどのようにするか
57節
それでは、南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。アベル側である韓国が北に対して武力をアピールすれば、(北の感情が刺激されて、ミサイル発射・核武装するなど武力を高めて)相手側の力がもっと大きくなり、また闘いが起こるようになり、犠牲が伴う終わりなき闘争の連続ということになります。
その方式では、統一を成し遂げることができません。たとえ、以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと、真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。
58節
北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の一日を準備して、あなた方の前に現れることであろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。(成熟した父母の心情の必要性)
◆ 南北を統一することのできる方案
私たちの思想は、個人の欲望のためのものでなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。 「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母の心情で彼らを迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することのできる私たちとならなければなりません。 私たちが彼らに影響を与えることのできる環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が、成立しないのです。したがって、南・北韓は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となることのできる愛を探し求めなければならないのです。
◆ 真の愛の主体者になろう
紳士、淑女の皆様! 我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息することができる基盤を、皆さんの家庭と、私たちの教会と国に築くことを天は願っているというのです。
それでは、神様に何をもって侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないでしょうか。何をもって洗い流してこそ、神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもなく、自分の父と母を愛する以上、夫、妻を愛する以上、子供を愛する以上の真の愛を中心として、その環境をつくり、祭物的な祭壇を積もうというその立場から、初めて、理想的な南北統一が出てくるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれるのです。それで、真の愛の鍵が必要なのです。
◆ 韓民族と世界平和のために南北統一を信仰化しよう
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様! 私たちは、みな共に、真の愛の神主義で、私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と、韓民族と世界平和のため、南北統一を信仰化しましょう。
そしてこの時代、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心より共に生きたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。,,,
◆ 南北を統一することのできる方案
内外の貴賓の皆様! 既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成の主体思想で武装しています。私たちは、彼らを消化することができる神様の真の愛の思想で武装しなければなりません。
私たちの思想は、個人の欲望のためのものでなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。
「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することのできる私たちとならなければなりません。私たちが彼らに影響を与えることのできる環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が、成立しないのです。したがって、南・北韓は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となることのできる愛を探し求めなければならないのです。
これをどのように克服するか、ということが問題です。問題は、南韓の人が南韓を愛する以上に北朝鮮をもっと愛するという人が出てこなければなりません。同様に、北朝鮮の人が北朝鮮を愛する以上に南韓を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。
それでは、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも、もっと苦労し、南韓の人よりも、もっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。
そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。
人類を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来、誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かって、より次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。
◆ 南北統一はどこからどのようにするか
このように見るとき、上や、下や、前後左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。
ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は、人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。真なる愛と心情の因縁をもった人は、統一圏に同参できる特権があります神様御自身がそのようなお方であるために、一つとなることができる生活内容をもてば、同参することができる資格が自動的に賦与されるのです。
それでは、南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。力で屈服させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では、統一を成し遂げることができません。たとえ、以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと、真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の一日を準備して、あなた方の前に現れることであろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。
南北統一(朝鮮半島統一)が実現されれば、『拉致問題』も自動的に解決されるようになるでしょう。
韓国・日本などの拉致被害者の数は計りしれません。
☆アベルはカインを愛さなければいけません。愛で自然屈服させなければいけません。血と涙で愛する立場に立たなければいけません。誰よりももっと高い愛を与えなければいけないのです。そうでなければ屈服させることができず、復帰ができないのです。私たちは既成教会のために、大韓民国のために、北韓のためにそのようにしなければいけません。それで先生が今北韓のために祈祷しているのです。(34-283 天聖経P1140 礼節と儀式 3章9-2)
☆原理的な立場ではアベルが中心です。この中心の中には神様が入っていらっしゃらなければいけません。ところで皆さんはアベルになりましたか。神様に従順に従って一体にならなければいけません。(34-45 天聖経P1141 礼節と儀式 3章9-3)
☆私たちが記憶すべきことは、国境線の主人がだれであるかというと、それが神様ではないという事実です。国境のある所には、必ず悪魔と悪魔の実体が潜んでいるというのです。東洋と西洋についても、文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこには悪魔が潜んでいるというのです。文化の背景、伝統の背景、人種の差別、このようなあらゆる種類の差別をつくって国境線をつくったのは、神様ではありません。神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち、一つの世界なのです。その世界は、国境のない世界です。
「国境線撤廃と世界平和」(2000.8.18 世界平和超宗教超国家連合(IIFWP)主催「アセンブリ2000」祝賀晩餐会 ニューヨーク国連本部)
尊敬する内外貴賓の皆様。
きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある万国平和賞を受け、この受賞の栄誉を皆様とともに分かち合う意義深い場を持つことができたことに対し、心から感謝の意をお捧げいたします。
「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略であり、偉大な戦術的な内容であったということを、今日までの人類歴史を通じて分からずにおり、今現在、生きている人間たちも分からずにいます。神様には国境がないので、「恨みを晴らしなさい」と言われることはできません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。それゆえに、神様の戦略戦術は、「怨讐を愛しなさい」という言葉になるのです。しかし、このように歴史上分からず、現在も分からずにいたことを、今、統一教会の教会員たちは歴史を代表し、現在を代表して神様の戦略戦術を知ることができるようになり、また、これを相続して実践することのできる人となったのです。ですから、彼らは、自動的に平和を成し遂げることのできる主人公になったというのです。(個々の責任分担)
国境は、皆さんの心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動を好まないところにも生じ、自分の言葉を好まないところにも生じるのです。
私たちが、五感を通して心と体が一つになることができなければ、各種各様の国境が生じるのです。私たち全員が、どれほどたくさんの国境を内に秘めて生きているのかということを考えてみなければなりません。また、「怨讐を退治しなさい」、「国境をつくったものを処断しなさい」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。目も二種類からなっています。「これも良く、あれも良く、何であっても見えるものは歓迎だ」と言えば、その目には巨大な国境ができるのです。 聞くことも同様です。善なる良いみ言や、真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いて、そこに同調することもあります。しかし、そのようになれば、皆さんの耳にも国境が横たわるようになるのです。
それゆえに、自分のすべての五感を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して残された、今、生きているこの生活環境に国境があるというときには、サタンの一門に属するようになります。反面、「どこにも国境がない」というときには神側になるのです。
サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくすための大王です。すなわち、神様は国境を最も嫌われる大王陛下であられるということです。そこで、統一教会の教会員たちは、三八度線を消化してなくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。 皆さん。怨讐の一族、怨讐の国民同士がお互いに「姻戚関係を結んで、息子の嫁にもらわなければ生きていけない」というほどの間柄にさえなった日には、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。
国境がある所には、必ず悪魔の同族が暮らしているのであり、三八度線がなく、お互いに愛し合って和睦する所には、間違いなく神様の血統を持って生まれた血族が暮らしているのです。たとえ国境線が百万個あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにしてでしょうか?。真の愛があるので可能なのです。そしてまた、撤廃するためには、神様を百パーセント以上知らなければ、それをなすことはできません。
皆さん。霊界を見れば、天国と地獄があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜が分からない人が、天国の境界線を主管することができるでしょうか?。とんでもないことです。分かる人だけが、自動的に主管することができるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗闇を撤廃する(神様とアベル圏が愛して自然屈服に導く)ことができるのです。
神様は、全知全能であられるかたなので、それを撤廃することができます。したがって、問題は「神様を知らなければならない」ということになります。
私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に屈服させることができるのであり、神様を知ったとしても、神様が何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃することができるのでしょうか?。それが重要なのです。
神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を取り戻さなければなりません。神様が、この宇宙の主人であられるのならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないでしょうか?しかし、すべての環境圏が国境でふさがれているので、この国境を撤廃することによって、神様が喜ばれる世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物は神様に主管されたいと思うのです。国境線の下で悪魔とともに呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。皆さん。私たちは、何よりも神様をはっきりと知り、また、天の国をはっきりと知らなければなりません。
全ての世界が天国に成されれば、そこには明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界は、千々万々の国境によってふさがっています。それでは、どうしてこのようになっているのでしょうか?
神様を知り、天の国を知る人がいませんし、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも地上世界にも解放圏が展開するのです。
「そうなれば、おい、サタンよ」と言えば、サタンは、どうすることもできずに従わざるをえません。そのような位置に立てるようになりさえすれば、天の国と神様の心が一体となることのできる文化背景と伝統的思想を持って暮らす方法を知ることができるようになるのです。
死ぬ目に遭って憤りを感じる以上の立場を超えて怨讐たちを愛すれば、怨讐の世界を支配することができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるということです。ために生きることにおいても、自分の父や母よりも、だれよりも町内の人を愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねて来られて、千倍万倍報いてくださるのです。
神様を知り、天の国を知って、その伝統的骨髄思想、サタンが八方に逃げていかざるをえない秘法とは何だと言いましたか?。ために生き、ために死に、ために愛そうとするならば、サタンは、間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま行くことはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。
そのようになれば、どのようになるでしょうか?。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇することができるという永生の道理が訪ねてくるというのです。そこにおいて初めて永生が生じるのです。神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想であるために生きる愛のために、千年万年続けたいと切に思う群れになることによって、そこから主体であられる神様をお父様と呼ぶことができるのです。


