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2005.9.24 UPF創設100都市講演  2007.5.3 天宙神文明開闢 広島大会

アメリカ・シカゴ大会

 

2007.9.23 アベルUN創設大会

UPF Assembly 2007 アベルUN国連創設大会(2007.9.23)の映像

http://www.youtube.com/watch?v=fuMCDbiyPmE

6分10秒頃、顕進様が御父母様を紹介される。

 

 

===============文総裁 メッセージ==========

南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうかアベル側である韓国が北に対して武力をアピールすれば(北の感情が刺激されて核武装するなど武力を高めて)相手側の力がもっと大きくなり、また闘いが起こるようになり、犠牲が伴う終わりなき闘争の連続ということになります。その方式では、統一を成し遂げることができません。たとえ、以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと、真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。(2000.2.10 世界と南北の統一は真の愛で 真の家庭と世界平和 P336)

 

御言集 神様の摂理から見た南北統一 6-6-5
五.南北統一は真の愛で

☆韓国が二つに分断されている、それを統合しなければならないのです。南北を統合しなければなりません。何をもってですか武力をもってするのではありません神様の愛で統合することができるなら、そこが最も高い所となるのです。いったいそれはどこですか。三十八度線を吹き飛ばすことができるなら、金日成も目をパチパチさせながら「仕方ない」、ソ連も「仕方ない」、中共も「仕方ない」、野党も与党も「仕方ない」、アメリカも「仕方ない」、日本も「仕方ない」、このようになれば万事が終わり、万事が新たに始まるというのです。。(164―58)

 

☆韓国において南北統一が成し遂げられれば、世界の統一は成し遂げられるようになっています。軍事力、武力を使用して統一が成し遂げられると思いますか。とんでもないことです。軍事力だけでは絶対に成し遂げることができないために、今このように話を伝えているのです。(1986・314)

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安保意識の行き過ぎは、主の遺言 国境線撤廃に反することにつながります。「国境線撤廃と世界平和」、「国連の刷新」を国連で超国家的に宣布(2000.8.18) http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11176313249.html

 

hosea184さんのブログより 長子圏復帰の御言

http://blogs.yahoo.co.jp/hosea184/folder/951813.html
主の遺言 「御言の中にある天国建設の鍵」 ~地獄を愛によって解放 http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11173508747.html
◎ アベルに必要なものは強い力ではなく、成熟した父母の心情 アベルの心得とは  http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11362449005.html

◎ アベル(国連、教団、責任者、平和大使、一信徒)の中に在るべき成熟した父母(神)の心情 http://ameblo.jp/nyanko737/theme-10056115800.html

上記記事で、下記の御言を補完することになると思います・・・

 

一 世界と南北の統一は真の愛で -

 

 この講演文は、2000年2月10日、韓国ソウルの蚕室オリンピック体操競技場で開催された文鮮明先生御生誕80周年記念式の時に語られたみ言です。

 

 きょう私は、意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。

 

◆ 人類歴史とは蕩減復帰摂理歴史

 我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがってこの問題は、神様の救援摂理的側面から理解しなければならない事案であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。人類歴史は、人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。ゆえに歴史は、神様の創造理想を実現させるための目標を置いて、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。

 

二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一して、十二支派の後孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として、一つの新しい宗教文化圏を形成し、王の王にならなければならなかったのです。

 しかし、イエス様が十字架にかけられることによって、それ以降、外的な肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。

 

 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。でなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。考えてみなければなりません。

 神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。

 

◆ サタンを自然屈服させるための神様の戦法

 それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。

 神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。

 神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。話は、簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。

 神様がサタンを敵であり怨讐であるとみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。

 

 神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとした怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって、死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。

 永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれたのです。サタンもこれを認め、「あなたは、本当に神様の息子である」と、サインするのです。

 皆さんも、神様の前で、「サタンよ、私が神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」、また、「神様の息子としての相対圏を拡大していくであろう。個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは、原理原則なので仕方ありません」と答えるように行動しなければならないのです。

 

 神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として、摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。 キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。

 

 怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上に消化できる主義は生じません。

 怨讐関係である国家を、自分の祖国以上に愛することができる基盤と伝統を成さない限り、地上に天国は顕現できません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。

 

 また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。お互いに、愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたことでしょう。

 しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前において、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐と対峙するようになり、それでも闘わないという条件を立てるために、無限なる犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。

 

 

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