2008.1.1  2007.5.8
2008.1.1      2007.5.8 TDLご訪問(天宙平和神文明開闢千葉大会当日)

 

私のような幼い者が、天国について、アベル教団としてあるべき姿について、論じることは、大変恐れ多く、ここで述べることに対して相応しい自分なのか自信を持つことができませんが、天の願いを授かったかつての主が語られた御言を改めて浮き彫りにしていくことで、神様がこの世により強く接着できることに繋がることを希望いたします

 

サタンを自然屈服させるための神様の戦法

 

 神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。でなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。考えてみなければなりません。

 神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかはサタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。

 それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。

 神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。

 神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の体と心を持った子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。
世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。話は、簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。

 神様がサタンを敵であり怨讐であるとみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。

 神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとした怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって、死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。(2000.2.10 80歳ご生誕式典)

 

「御言の中にある天国建設の鍵」 (サタン屈服のための秘法)

 

1984年ダンベリーに収監される直前の教会創立記念日に次のような御言を語られました。牢獄に追いやろうとする既成キリスト教会などに対して、アベルとしてどういう心情姿勢を保たなければならないか、極めて解かり易く明快に説かれています。神様と天使長との間で交わされた次の会話は、それぞれアベル圏とカイン圏に置き換えることができます。

 

☆あなた方(神様とアベル圏の人々)が善なる正しい立場にいるのならば、私(カイン圏の人々)を愛したという条件を立てなければなりません。そうしなければ私(カイン圏)の前で神様だということはできない」と主張するのです。それが問題なのです。私(全カイン圏)があなた(神様と神様の体と心をもったアベル圏)と一つ(地獄解放→天一国実現)になることのできる秘訣が一つあるとすれば、それは何か。あなた(神様)が遣わした人(アベル圏の人々・アベル教団)が私(カイン圏)を愛さなければなりません。神様と全アベル圏が一緒に私(全カイン圏)を愛する立場に立ち、愛したという条件を立てなければ、私が占めている長子の権利と嗣業を取り戻すことはできない」とブレーキをかけるのです。ですからイエス様(御父母様・三男様)が怨讐を愛せよと言ったのです。 (罪と蕩減復帰 3-4-1 1984.5.1世界宣教本部)


☆絶対者であられる神様が立てた天使長が悪魔になったとしても、神様は、天使長を本来の堕落していない立場で考えてやることのできる基準をいつももって歩まなければならないのです。ですから天使長(カイン圏)を愛さなければなりません。神様の前に造られたアダムとエバは、神様の体です。ですから神様のみならず、アダムとエバもサタンを愛さなければなりません。(真の神様 4-4-1)

 

神様と同じ心情姿勢を貫くことによって、初めて正真正銘・名実共に神様の子供であることをサタン(カイン圏)が認定してくれるという天理。(→自然屈服・地獄解放)

 

今まで宗教人たちは、また、神霊なる宗教指導者たちはみな、どこに集まったのかといえば、天国に入っていく門の前に集まったのです。天国に入ろうとするならば怨讐を愛さなければなりません。アダムとエバ(アベル教団の群れ)が完成して天国に入るときには、天使長(全カイン圏)もアダムとエバについて天国に入るのです。天使長(全カイン圏)が神様の愛を受け、アダムとエバ(アベル教団の群れ)の愛を受けたのちに、共に天国に行くことができるというのが原理であり、創造の原則です。天使長は途中で失敗しましたが、天使長が「私は僕として裏切ってしまったのですが、主人であるあなた(神様)は、天理の道理を定めた上で本質的伝統を立てました。あなたの立てた原則の上で、完成したアダム(アベル圏)と天使長(カイン圏)を愛してこそ天国に入ることができるというのが原則なのだから、あなたはその原則を捨てることができないのではないですか」と言うならば、引っ掛かるのです。神様が天使長に「お前の言うことは正しい」と言うのです。(1989.11.15、漢南洞公館)

 

1999年3月に天使長が屈服したとしても、今の紛争渦巻く世界を見れば、カイン圏が完全に屈服されたと言うことはできません。

 

本当の天国人なら、神様の御心を実感しているだけに、地獄に人が残っていれば、その人を残して入るのは忍びないと思うはずです。本当の天国人は、全ての人を天国に連れて行って、一番最後に行こうと意識して実践する人でしょう。地獄の中で悶えている人が残っている中で、先に天国に行った者だけが神様と共に喜び憩いのときを心から満喫できるでしょうか?1匹の迷い出た子羊のために、他の99匹よりも一匹のために強い意識を持たれる神様の親心の意味は、即ち地獄にいる人々の解放ということでしょう。ですから、天国は全ての世界が天国に転換された瞬間に、初めて劇的に成されて完成するという図式!

 

天国が高貴なものであると主がおっしゃられたのは、全てを等しく平等に愛そうとされる高貴な神様が願われた本然の国だからこそという意味でしょう。地獄に人が残っているままの中途半端な天国は、高貴という言葉が似合わない。

神様は心情的地獄の中でも確信を持って法度を守られておられるのですから、天国の価値はそれほどに高いことは間違いありません。

カイン圏を愛して自然屈服に導くこと。これこそが地獄の人々を天国に連れていくことであり、地獄を解放する唯一の方法なのです。


中間霊界も、それで引き上げられてゆきます。したがって、天国建設の鍵は、基点となる天国人とされる人々(アベル教団)が、神様の愛と赦しの心といつも一体となった本物の天国人の群れであるかどうかに掛かっているという結論になります。

(超難題である長子権復帰の重要性) 参考ブログ ヨシュアの天国を創ろう!

http://blogs.yahoo.co.jp/hosea184/folder/40270.html

 

アベルはカインを愛さなければいけません。愛で自然屈服させなければいけません。血と涙で愛する立場に立たなければいけません。誰よりももっと高い愛を与えなければいけないのです。そうでなければ屈服させることができず、復帰ができないのです私たちは既成教会のために、大韓民国のために、北韓のためにそのようにしなければいけません。それで先生が今北韓のために祈祷しているのです。。(34-283 天聖経P1140 礼節と儀式 3章9-2)

反対牧師に対する心の持ち方もこの御言に学んでいかなければならないことを・・・.

 

☆天国とはどの様な所でしょうか。サタンを屈服した所です。自身を屈服した所ではありません。自体だけを屈服した所ではありません。天国は、サタン世界の内容と相反する所で成されます。もし、そのようでなかったら、天国に成り得ません。天国という名前がついていても、それは環境をたぶらかす為のトリックにしかならないのです。 天国は、この様に高貴なものです。(地上生活と霊界 4-1-8)

 

☆皆さんは、天国に行くという考えをしてはいけません。地上に天国を建設するという考えをすべきです。天国を建設する前に、まず皆さん自身が天国人にならなければなりません天国人に成るには、「神様の心が自分の心であり、自分の心が神様の心である」と自信を持って言う事が出来る程度に、神様と心情一体をなさなければなりません。それで、地上で神様の心に代わり、神様と先祖たちの心に代わらなければなりません。それでこそ、歴史的な全ての問題を解決する事が出来るのです。(3-295 地上生活と霊界 4-1-7)

 

サタンも、人類を救おうという神様の愛の前には、讒訴出来ないのです。父母の愛を通じては、悔い改める者を許せない法がありません。 それで、その様な心情を通じて、地獄迄も解放しなければなりません。それが真の孝行者として行くべき道ではないでしょうか。それで統一教会では、地獄迄も救おうと言うのです。何故でしょうか。それは、神様がその様なお方だからです
☆人間が死んで地獄に行くのを見る時、神様は永遠に生かしてやりたくて、やきもきするのです。そうすべき父母の立場で責任を果たすのであって、「えい! 皆掃いて捨ててしまおう」と言えば、父母の立場に立てはしないのです。それ故、地獄迄解放しなければならないという論理が成立します。
(地上生活と霊界 4-1-5)

 

☆天国という所は、心情を通じなくては行く事が出来ない所です。天国は、全体を主管し得る本然の国であり、本性の国です。その国は、事情を持っては所有する事は出来ません。深く染み込む心情の因縁を持ってこそ、所有する事が出来る国です。堕落とは何でしょうか。心情を論ずる事が出来ないのが堕落です。堕落した人間を探してこられる神様は、失った息子、娘に対する心情は持っていても、その心情を分かち合う事が出来る人がいないので、その人達を探して立てる役事をされます。我々は、天国を望む前に、神様の心情を願うべきであり、また神様の心情を願う前に、私自身がどの様に生きていくべきかを考えなければなりません。(地上生活と霊界 4-1-4)

 

神様は怨讐をたたき殺すのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムに代わる立場に立つ人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗にすべて打ち勝って、耐えに耐えて自然屈服させて、神様の愛を抱いて戻ってきて初めて祝福を受けることができるのです。そこでサタンは放してくれるのです。「あなたはこれから天国へ行くことのできる子女となれる」という公認を受けなければなりません。一番最初に誰がサインしなければならないかというと、サタン(カイン圏)がしなければならないのです。(天聖経 p1284 罪と蕩減復帰 3-4-1長子権復帰)


間違った思想は、断固として神様の思想で包み込む
神様は、全ての人々を等しく愛される中で、それぞれの人々の心が形ある姿として、神様の目を通して映っていることでしょう。イスラム過激思想や極左共産主義思想に染まり、本来の美しい心が醜い姿に変質して闘争を仕掛けている人々を見ては、「嗚呼、あの思想を本来の思想に転換さえすれば本来の美しい天国人のはずなのに・・・」と、地団駄踏む想いをされておられるはずです。罪を憎んで人を憎まず = 誤った思想は神様の思想で包んで人を憎まず。これは、神様の体・心を持つ驚くべき価値をもった息子・娘達に対して神様が訴えたい言葉であります。

 

勧善懲悪は神様を悲しませる
神様は闘いには関心がありません。神様の創造理想圏、その理想圏内には戦争、闘争という概念はありません。闘争の概念があるとするならば二元論に陥るのです。根本的にこれが一つの理想世界、絶対的な平和の世界とは関係ないところに落ちることになるので、神様の創造世界圏内には闘争という概念はないということを知らなければなりません。


・地獄とは

☆地獄とは何でしょうか。悪魔の愛の圏内を言います。悪魔は、憎悪と嫉妬とねたみと分裂と破綻だけを崇拝するのです。それで、悪魔の圏はその様なものだけが盛んなのです。それが戦争として現れます。(地上生活と霊界 4-1-5)

 

殺生を禁じ、慈悲の心を尊重する仏教文化にある日本は、平和を愛する民族といえます。嫉妬・復讐・殺人容認の旧約の神観に汚染されていない無垢の精神文化の中にあり、世界全体から見て、大人の心を持った国。忠孝心が飛び抜けて篤く、神様から注目されるのは必然だと思います。怨讐を愛するという超難題である長子権復帰が救援摂理の主要テーマであるからこそ、そのような資質が備わっている民族でないと成し遂げることは難しい。そういった背景も母国として選ばれた理由であると思います。

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