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2005.10.30UPF創設100都市講演    2007.5.4天宙平和神文明開闢

アルバニア大会              大阪大会当日

(参考)

真の愛の本体である神様との授受により永生に至るという意味  http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11381075514.html
神様・創造主の永遠の愛のパートナー

http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11382552398.html

御言 神様の心情圏と永生

http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11410269988.html

神様の真の愛の心情圏と永生

http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11411865095.html

 

人間の生と霊魂の世界
2-二 天国と地獄 1.天国は愛の理想の世界

 

 天国は、愛の世界であり、中心者である神様のためにある世界、神様のために生きる世界です。

 

 天国とは、どのような所ですか。神様の愛が中心になっている所です。神様の愛を中心とした環境圏を設定した所が天国です。それでは、その圏に行ってとどまる人は、どんな人でなければならないのでしょうか。神様の愛の本質と和合できる人にならなければなりません。そのような人以外には行くことはできません。

 

 天国とはどのような世界かといえば、神様の愛の世界です。愛の空気を吸う世界です。そこには生命がぎっしり詰まっています。どこに行っても生命が躍動しない所がありません。そして、すべて血縁的な因縁によって結ばれています。神様の一つの血筋であるがゆえに、神様が悲しむそのような何かがあれば、全霊界が一つの細胞のように、一つの体のように悲しみを感じるのです。また、神様が喜べばすべてが喜ぶのです。そのような世界です。それで、神様の愛が膨大な大天国を動かしているのです。


 天国という所は、心情を通さずには行くことができない所です。天国は全体を主管できる本然の国であり、本性の国だというのです。その国は、いかなる事情をもってしても所有できません。深くしみ入る心情の因縁を備えてこそ所有できる国です。それゆえに、キリスト教は究極的に事情を通す教会ではなく、心情を通す教会です。事情の因縁を越えて心情を謳うことのできる基盤を築くのに、地に対して摂理なさる天の目的があるというのです。

 

 天国に入っていける人とはどのような人ですか。まず神様の心に合う人にならなければなりません。どれくらい合わなければならないのでしょうか。神様が永遠な目的を中心として永遠な理想を描いていく方なら、永遠に心が合わなければなりません。十年ぐらい合わせて途中で合わなくなれば駄目です。永遠であられる神様に、永遠に心を合わせなければなりません。そのようにしようとすれば、どのようにしなければなりませんか。永遠にお互いに喜べる息子にならなければなりません。そのような息子になろうとするなら、悲しみの対象として現れてはなりません。

 

 人間を中心とした真の愛、それが絶対価値の花です。神様がなぜ生きているかといえば、真の愛ゆえに生まれ、真の愛ゆえに生きるのです。人もなぜ生まれ、なぜ生きているかといえば、真の愛ゆえに生まれ、真の愛ゆえに生きるというのです。そのような時は神様も不平なく、人も不平なく宇宙の花のように咲いて香りが漂うというのです。真の愛をセンターとして両側が一つになるのです。右側も左側も「万歳!」、両手を挙げて「万歳!」、真の人も「万歳!」、霊界も見下ろして「万歳!」、こちらもあの上も「万歳!」と言うのです。すべて一つになって香りが漂うのに酔って ……。

 

 天国に行く道は、兄弟を神様のように愛することから開かれます。皆さんは先生に従って行こうとするのですが、その心で兄弟を伴って一緒に行こうと努力しなければなりません。天国に最も高く、早く、良く導く者は、神様でもなく、先生でもなく、兄弟だという結論を下すことができます。


 天国に行こうとするなら、罪を犯さず、神様の愛を直接受けることができ、イエス様を信じる必要がなく、救い主が必要ないという息子、娘の資格を獲得し得る過程を経なければなりません。そのように生きた人間が天国に行ってこそ、神様の理想天国が成されます。


 天国という概念は、サタンを克服した位置で、サタンが相対できる一切の要因を否定した位置で、否定するだけでなく清算した位置で成立できます。サタンの否定的条件が残っている歴史的な遺物や生活のすべての内容を否定して清算した土台の上で天国が肯定できるのであって、それを残しては天国の内容を提示できません。

 

 天国とは、どのような世界でしょうか。お互いに反目、嫉視しながら、他人がうまくいけば嫉妬し、他人が喜ぶとたまらないという、そのような世界ではありません。一人がうまくいくことは、全体を代表してうまくいくことです。また、一人が喜ぶことは全体の代わりに喜ぶことなので、一人が喜べば全体が喜ぶのであり、一人がうれしがれば全体が共に喜ぶ所が天国なのです。

 

3.天国は地上天国を経ていく所

 今日、数多くの宗教人は、「天国は自分の宗教を通じてのみ成される」と言います。それはすべて妄想的な話です。多くの宗教がそれぞれ、「我が教主が教える教理を通じて天国が成される」と言います。キリスト教だけ見ても数十の宗派に分かれています。自分の宗派でなければ異端視してサタン視するのが現実です。その教団が神様から公証を受けてそのようなことを話すなら分かりませんが、ただ単に自分の宗派を立てて、自分の宗派を残すための欲からそのようにするなら動機が純粋ではありません。そのような宗団は、すべて滅びるようになります。もし統一教会がそうならば、統一教会から滅びなければなりません。
             
 霊的世界も塀ですべて遮られています。仏教圏があり、儒教圏があり、すべて塀でふさがれています。これをより高い神様の心情を通じてすべて取り除かなければなりません。天上世界の高い玉座から塀を壊して逆に下りてこなければなりません。何万年の私たちの先祖の塀から何千年の私たちの先祖の塀、何百年のこの時代の塀、何年前に亡
くなった、すべての人々の塀をすべて壊して、地上のすべての塀を壊して、これを地獄まで連結させ得る道を築かなければ、開天門が成されないのです。


統一教会の食口はどの水準にまでならなければならないのでしょうか。釈迦よりも立派な人にならなければならず、イエス様や孔子よりも立派な人にならなければなりません。今までの宗教の目的は、個人を救うことでした。しかし、統一教会は個人の救いよりも家庭を目的とするのです。統一教会が一般宗教と違う点がこれです。救うけれども家庭を救い、天国に行くにも自分一人で行かないというのです。
             
 天国という所は一人では行けません。天国という所は必ず相対理想を決定してこそ入っていけるようになっているので、堕落人間が天国に入っていくためには、復帰の歴史、復活の歴史、再創造の歴史を経なければならないのです。皆さんを祝福してあげることは、天国の門をぱっと開けておくことです。「祝福」という名詞を立てて閉まっている天国の門を開けてあげることです。
             

 地上天国と天上天国は、レールが同じで二つが合うのです。国境を越えれば、この世のレールとあの世のレールと合わなければなりません。それでこそ貨物列車が走ることができるのと同じように、地上と天上世界のレールが合うようになります。ここで走る愛の機関車を担った家庭が、ただそのまま天国まで、天の玉座の前まで直行できるレールを連結させるための道というものは、真の愛で「ため」に生きる道です。個人が行く道と家庭が行く道を、すべて連結しなければなりません。方向が一致するのです。


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