瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)       瞑想猫のブログ(主の御言を地に落さないために)
2005.12.13 UPF創設100都市講演・ポリビア 2007.5.11天宙平和神文明開闢・札幌

(参考記事)

主の遺言 良心宣言の真の意味 真の愛の本体神様との授受で人間の良心は(永生天国)を願う http://ameblo.jp/nyanko737/theme-10062156023.html

 

人間の生と霊魂の世界

二 死に対する正しい理解  6.祝福によって永生の道が開かれる

 

② 愛から永生概念が出てくる

神様は絶対的です、唯一、永遠、不変なのです。それは否定する道理がないのです。そのような愛をもった人は、絶対的な幸福者であり、唯一的な幸福者であり、永遠的な幸福者であり、不変的な幸福者です。そこに初めて永遠な自由があり、絶対的な自由があり、不変の自由、唯一の自由があるのです。そこで初めて幸福も、絶対、唯一、不変、永遠なものがあるというのです。そこに連結されてこそ、永生は自動的な結論だ、となるのです。


愛する人同士であれば寝ても疲れないし、食べなくても腹が減らないというのです。愛する人同士は、会って時空を克服するのです。神様もそのような愛する相対が来る時は、夜になれば寝なければならないですか。愛する相対が現れることにより、夜を克服できるというのです。

 

(私は、父(霊界)、母(地上世界)で、2/4に霊肉三日行事、途中、アダムとエバが堕落した長生期完成級2/11(八日目)に(夫婦間の危機)がありました。(あのヘリコプター事故も2001年1月13日神様王権即位式から12年後)2013.1.13(基元節)の2/3の位置にある2008.7.19におきてしまいました。物事のスケジュールの中の2/3の時は要注意です。

二日徹夜したのが1回、一日徹夜したのが5回位です、今朝はぐっすりと休めたので今晩は徹夜できますよ!、丈夫な体に産んでくれた父母に感謝です。

 

☆神様は絶対的な愛であるというとき、その愛の前に絶対的な相対になって一つになるときは、神様が永存する限り人間も永生するという論理が理論的に決定されるのです。それを知らなかったのです。私たち人間が神様の前に絶対的に必要な、対象的な存在になったということを知らなかったのです。そうでなければ、神様は一人で生きなければならないという論理が成立します。それは違うというのです。

(多くの部分でつけ忘れていますが、お父様の御言は、原則☆をつけているということでお願いいたします)


絶対的な価値の基準は神様です。絶対愛を中心として神様と絶対愛を探していく人は、相対主権を絶対否定できません。神様が絶対的な方であることを否定できないので、私が立てられた位置を絶対否定できないというのです。絶対安着が生じるのです。ですから神様の愛は永遠であり、神様は永遠な方なので、そのような愛の関係を結ぶことによって永生が論理的な、理論的な相対圏として着地できるのです。それゆえに、真の愛をもった人は地上世界から天上世界まで永生するというのです。この理論を否定できません。


愛は永遠性をもっています。離れることを嫌います。真の愛は永遠な愛であるので、永遠に離れたくないというのです。それゆえに、真の愛に永生があるのです。別に離れるところには永生がないのです。それゆえに愛は偉大だというのです。愛は不変で、永遠なものだというのです。真の愛を中心として血統関係を結ぶとき、人間は永生するようになっています。神様は変わらない愛の主体ですが、その主体と一つになったので、神様が変わらず永遠であるように、その愛と一つになり一体なったその対象も不変で永遠だということは理論的です。

 

父母が子女のために無限に投入して犠牲になれば、真の愛が背後にある限り子女はその真の愛に無限に感謝するようになるのであり、父母は大きい喜びによってその犠牲の跡を埋めるのです。このように犠牲的な真の愛の力を授け受けする作用を発展させて、真の家庭で、そして真の世界で永遠な喜びと平和の関係を結ばせます。このようなところに永生の理想世界が顕現するのです。


この宇宙は、小さなところから大きくなってきました。そして、相対をもらって無限運動をすることで生成されてきたというのです。この空間に存在する慣性により、無限に運動してきたのです。言い換えれば、その相対的基準を中心として、この太陽系であれば太陽系において備えてぴったりと成熟した立場に立ち、無限運動をするというのです。 これと同じように、アダムとエバも愛を中心として完全に「ため」に生きる愛で一つになれば、無限運動をすることによって永遠、永生が始まるのです。直線には永遠がありません。永生圏がありません。回転するところに永遠が生じます。それゆえに、回転しながらだんだん大きくなっていくのが歴史発展の現象です。その中心は一つです。


宇宙の大原則の起源と和合できれば、永存できるのであり、そうでないものは永滅するのです。神様が永存するので、その対象、「ため」にあり得る対象は永存するのです。それは理論的であり、永生論理は自動的な結論です。明らかでしょう。「私」という存在は、神様の愛の対象として造られました。絶対的神様の、主体的神様の対象の位置が正に私だというのです。神様の愛の相対だというのです。

神様が自分自身よりもっと貴く思うものが、真の愛の概念です。神様は絶対的で永遠であられる生命の中心であり、その神様の理想はもっと永遠なものであって、その理想の中心が正に真の愛の理想です。その愛の相対が私です。そのような永遠な立場にどのように行きますか。「永遠のパートナーの立場がどれほど貴い立場ですか!」。それは主体と対象が一つになるのです。どの位置にでも同参でき、どこへ行こうがついて行くことができます。全財産をすべて相続することができます。神様の永生の位置、その心情までもすべて相続できるのです。

 

神様の愛の心、神様の被造万物と共にあるその心、神様が皆の心にとどまりたいという心まで、すべて相続できるのです。ですからどれほど貴いでしょうか。その高貴な価値を発見したので、どれほどうれしいことでしょう。どんなものとも取り替えることができない崇高で高貴な位置です。驚くべき恩賜なのです。創造主の永遠の愛のパートナー、創造主の愛のパートナーになることができるという論理的結論を出すようになるとき、その愛と一つになった愛のパートナーは永生するという論理が生まれるようになるのです。 永生というものは自動的な産物です。永遠である永生は、ここから生じるのです。愛の関係を中心として永生論理をどのように立てるかという問題は、宗教では限りなく貴重な話です。男性に永生があり、女性に永生があるのではないのです。神様に永生があるのではありません。神様の愛に永生があるという結論が出てくるのです


永生、私は永生します。神様を中心とした真の愛が私と連結され、神様を中心とした真の生命が私と連結され、神様を中心とした真の血統が私と連結されるのです。結論がはっきりしています。私は永生する、神様のように真の愛を中心として。神様がこのように創造されたのです。皆さんもその責任分担を果たすようになれば、皆さんは成功したということです。
             

 神様も息をするのです。愛の呼吸をしていらっしゃるのです。神様も宇宙の拍子に合わせているために、愛を中心として宇宙が永遠に続くのです。愛に永生があるというのです。ですから、皆さんがそこまで行かなければなりません。それでこそ、神様の呼吸圏内に入っていって、さっと越えていくのです。

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