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2005.12.21UPF創設100都市講演    2007.5.22 天宙平和神文明大会
メキシコ                   ニュージャージー

2007.7月 三男様が主によってUPF共同会長に任命される前、日本・米国で母子協助

 

 

真の愛の本体であり永存される神様との間にある永生について、特に印象的に感じられた文節を抜粋して記します。『地上生活と霊界』、『人間の生と霊魂の世界』などは、特に仏教圏を包容する際に効果的な御言集でもあります。弥勒仏の御言葉を教会組織とその周辺に留めてはなりません。既存国連を包容するアベル国連(統一教会もこの中に内包)を通じて、全世界的に伝播しない限り、宝の持ち腐れになりかねません。(もちろん、信頼されるソースを基にしたインターネット伝播の手もあります)

 

今は荒野蕩減時代ではないのです。統一教会創設→荒野40年路程終結→三権復帰→世界平和宗教連合創設→祝福の天宙化→世界平和統一家庭連合(堂)創設→IIFWP創設→IIPC(平和国連)創設→天宙平和連合UPF(アベル平和国連)創設。今は、後天時代の天地開闢時代

(参考 関連記事)

☆ 文鮮明統一教会創始者→IIFWP総裁→IIPC総裁→文鮮明UPF総裁→統一教総裁? http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11375215521.html

☆ 主の遺言 平和神経と祝福万民化  

http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11366755374.html

☆ 主の遺言 祝福 の世界万民化に関する御言、そのための大量伝道に繋げるための手段 http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11366103396.html

☆ IIPC,UPFは神様の家。IIPC内に統一教会が引越したという宣言 統一教会の上にあるUPF http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11364571740.html

☆ 主の遺言 神様の国(IIPC,UPF)を皆さんの祝福家庭( 統一教会)の上に建設する事の意味  http://ameblo.jp/nyanko737/entry-11368574121.html


永生すべき理由

 神様は、人をどのような存在として創られたのでしょうか? 神様の絶対、唯一の価値をもつ、真の愛の相対者として創られたのです。人間の生命の価値は、どれほどでしょうか?神様の前では、宇宙と取り替えることのできない高貴な価値を持っています。真の愛の相対圏として、男性を創られ、女性を創られたという驚くべき事実を知らなければなりません。

 人間は、真の愛から生まれ、真の愛によって生き、真の愛によって死んでいきます。しかし、ただ死んでいくのではありません。主体であられる神様が永遠、不変、唯一であられるので、その対象的な真の愛の立場に立つときには、永生するのです。永生という理論は、ここから出発するのです。生命から始まるのではありません。今日、この地上で本当に真なる人とは、どのような人でしょうか? 神様と内外共に一体となって、子女の立場で完全に真の愛を受けることのできる人です。そのような人々が、神様と共に暮らす生活が、真の人生です。

 人はだれもが最高を願っています。人間が最高の立場にいれば、神様は自分のものです。また、自分は神様のものです。そのようになれば、自分は神様の子女となり、神様ご自身と一つになることができるので、宇宙は自分のものとなります。

 では、神様が最も愛する、大切なものがあるとすれば、それを一日、あるいは十年、百年間、用いたのちに、投げ捨ててしまうように創られたのではありません。

永遠に共にあるように創られたのです。人間も同様です。人間は生まれて死ねば、それで終わるのではなく永生するのです。何故、永生するのでしょうか? 
人間は、絶対者であられる神様が、真の愛を中心として、喜びの対象として創られたからです。
 皆さんは、漠然とですが、永生を願っています。自分のところに貴い物があれば、避難するときにそれを持っていきます。そして、それを誇りにします。それを一日、二日誇って、やめるのではありません。自分が死ねば、それを後代に永遠に残すことを願います。

 

それは、神様も同じです。神様が永生される絶対者であられれば、そのかたが愛される対象も永生しなければなりません。ですから、人々は昔から永生することを願うのです。
それゆえ、絶対者であられる神様は、永生する価値を持った、愛する子女を捜さざるを得ないのです。

 

 私たち人間は、神様が創られた傑作品として、神様に似るように創られました。神様が永遠であられるため、私たちも永遠の性稟が必要です。それで、私たちの心は年を取らないのです。人間は永生してこそ、その傑作品としての存在価値を持つことができます。人間は霊的存在なので永生しなければなりません。

 

創造主の永遠の愛のパートナー

 永生の論理をどこから探すことができるでしょうか? 神様は、知恵深いおかたです。もし、神様の愛の理念がなかったならば、神様は孤独なひとり身であり、喜怒哀楽を感じることができないでしょう。絶対的な愛を失われた神様は、歴史以来、だれも体験することのできない、深刻で、悲惨な立場に立っておられます。永遠に、だれも慰めることができません。本然の息子、娘を犠牲にして、それで満足されるのではありません。

ご自身の願いである真の愛の理想的パートナーを再現させて、彼らを抱き、あちこちと移動しながら、さらに輝くように着飾らせて、最高に美しくして誇りたいのです。万宇宙を彼らのために創られたのです。大気圏が絶対低気圧圏になれば、高気圧圏が生じて、自動的に循環運動が起こります。神様は、真の知恵の王様です。何故、投入して忘れなければならないのでしょうか? 自動的循環原理を通して、永遠の回転が始まるので、永生論理が設定されるのです。

 投入し、投入し、また投入するところに、永生の論理が展開されるのです。為に生きれば、滅びることはありません。小さいものから大きいものに成長して、大きいものがその次にはどこに行くかといえば、内に入って核となるのです。

 神様が絶対的な真の愛のパートナーを求めるとすれば、だれをパートナーにされるのでしょうか? それは、間違いなく人間です。それゆえ、「万物之衆、唯人最貴(万物の中でひとえに人間が最も尊い)」という言葉が出てきたのです。ここから、創造主の永遠なる真の愛のパートナーになったとき、そのパートナーは永生するという論理が出てくるのです。永生というのは、自動的な産物です。永生は、ここから始まるのです。 真の愛の関係を中心として、永生論理をいかに確立するかという問題は、宗教で極めて大切なことです。男性、女性に永生があるのではありません。
神様の真の愛に、永生があるという結論が出てくるのです。

 

真の愛によって永生が可能

 天上の高く貴い立場から、この宇宙を見つめ、管理、主導するようになっているのであって、ほかの何かに服従するようにはなっていません。皆さんの心は解放されています。だれの支配も受けたがりません。これは万人平等です。真の愛の位置にいれば、神様の位置、天国の宝座に自由に行くことができるのです。神様の友となれるのです。

 真の愛ゆえに、人間を創られたとき、永生される神様であられるので、その真の愛に一致した人間が永生するということは、自然な論理です。それゆえ、永生するためには、その真の愛の圏内で暮らさなければなりません。


四 祝福と霊界 

3 結婚と霊界

 皆さんの第一の父母は、皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。この地です。皆さんは地から、皆さんの体が大きくなれるよう、その要素を供給してもらうのです。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入るのが死ぬことです。第三の父母に行くには、そのまま入るのではありません。第三の父母に帰るには、本来の父母だった神様の形に似なければなりません。したがって、結婚はなぜするのでしょうか。神様の形に似るためです。その種をつなげるためには、愛の道を通じなくてはいけないために、生まれながらも愛され、育ちながらも愛を目標として育ち、暮らしながらも愛を中心として暮らし、行きながらも愛に帰るために行かなければならないのです。その道は、「ため」にする目標を中心として訪ねていかなければ、方向が異なってしまいます。(138―98)

4 祝福家庭の霊界の立場

 では、霊界の中心とは何でしょうか。霊界は絶対的神を中心として構成された世界です。その絶対的神がいるなら、その神は、宇宙の起源になる方です。彼によらないものがありません。彼に属しているために、彼に属した全体は、彼と共に感じ、彼と共に因縁をもって過ごしているのです。
  天を認めて地を認め父母の平均的愛のもとで一つになれば、サタンが主管することができないと見るのです。それが本然のアダムの位置です。その基準を回復しなければなりません。。(140―123)

第二章 死と霊界 第一節 人生必然の道
一 永生と距離が遠い体

  皆さんは、地上で永遠に暮らしますか、無形の愛の実体になった所で永遠に暮らしますか。無形の愛の実体になった世界で永遠に暮らさなければなりません。神様が御自身を見せてあげたいと思われても、皆さんの体では神様を見ることはできません。ですから、霊人体が必要なのです。 見えない精神の中心になる神様ゆえに、神様は相対的存在である人間に、自分の永遠の理想圏を全部与えたいのです。(111―112)

二 大部分の生涯

 もし、人を、何日間かいてなくなる、そのような存在として創造したなら、神様は絶対者ではありません。神様は、人間を永遠に見ていたい、貴い存在として創造したのです。人間が神様の喜び得る対象なのに、神様が永遠であるなら、人間も永遠であるしかありません。そして、永遠な神様は、永遠の世の中を相手にするのです。

四 生命の主人は神様
  自分の生命は、父母や社会や民族、国家を通じて生まれたのではなく、それを超越した絶対者である神様から始まったと言うべきです。動機を、絶対的な立場にある超越的な動機と結びつけなければなりません。(実の父母の延長線上にある神様)時代的な因縁とか、環境的な因縁、あるいは社会的な与件に結びつけてはいけません。超越的な原因に結びつけ、超越的な目的に結びつけてこそ、飛躍して、超越して、脱出することができるのです。自分の生命を超越的な動機に結びつけなければなりません。自分の生命の出発は、自分から始まったのではありません。絶対者であられる神様から出発したのです。自分を超越的な動機に結びつけるようになれば、死んでも超越的な過程で、神様のみ旨によって死ぬようになるのです。(三六―六四)
 

第二節 死に対する理解
一 「亡くなる」という言葉の意味
 間違いなく霊界はあります。間違いなく霊界はあり、我々人間は、どうせ霊界から生まれたために、霊界に帰らざるを得ません。我々人類の先祖の根源の世界に帰るのです。
 それは何を言うのでしょうか。創造主がおられるなら、その創造主がおられる所に帰るということです。そこから出発したので、そこに帰るのです。


六 死は三世界を連結する過程

 制限された愛の圏内から、無制限の愛の圏内に突入し得る喜びを迎えることができる瞬間が、死ぬ瞬間です。ゆえに死ぬ瞬間が、第二の出生の瞬間です。
 皆さんが死の恐怖から解脱せずには、神様と関係を結ぶことができないないためです。人は、蘇生、長成、完成時代を経ます。腹中の水の世界、地上の地球星世界、その次には天上の空中世界で暮らします。言い換えれば、腹中の水の時代、地上に生まれて生きる百年の地の時代、飛んでいく空中時代、このように三時代を経ます。空気の世の中で、霊人体が体にくっついて、胎児のように肉身をすすっているのです。そうして、肉身が老いれば、捨てていくのです。胎児が生まれて、お母さん、お父さんの前に愛の対象になるように、霊人体が、霊的父である永遠の神様と相対することができる人として、再び生まれなければならないのは、原理原則です。
 地上世界に生まれるのと同様に、霊的に無限の世界に通じることができる父母の代わりの神様と、愛を分かち合うことができる霊界に生まれなければなりません。
 水の中の時代があり、陸地の時代があり、飛んでいく時代があります。今日、人間が飛んでいくのをどれほど待ちましたか。飛んでいくというなら、世界で一番の注目の的になります。 地上で愛を呼吸する人は、死んだのではなく、生きたのです。腹中で呼吸するときは、パイプの仕掛けを通じていました。生きていますが、へそにつながった胎盤を破壊して生まれ出るようになるときは、新しい次元、高い次元に上っていきます。高い次元で供給されるのです。空気を供給されて出てくるのです。腹中から出て何を発展させるのでしょうか。空気ではなく愛です。愛の要素を受けるということです。御飯だけを食べていてはいけません。御飯だけを食べていれば、死んでいくのです。水を飲んで、皆このように生きるのは、全部袋、水袋です。全部死んでいくのです。それは、第二の存在です。地上生活では何を満たすべきでしょうか。この期間には、新しい愛の人格を形成しなければなりません。この地上で、皆さんに必要なものとは愛です。

 

7 愛を体恤すべし

 生まれてすべきことは、愛というものを体恤することです。愛という空気を吸わなければなりません。お母さんから、お父さんから、愛の空気を吸わなければなりません。愛の空気を供給され、経ていかなければなりません。一家庭に赤ん坊として生まれて、サインカーブと同様に、上がれば下がらなければなりません。赤ん坊として生まれて成長して、年を取って死ねば分解されていくのです。赤ん坊として生まれて、赤ん坊に帰るのです そのようになるときは、どのようになるのでしょうか。

第二の腹中世界をけってしまい、第三の愛の呼吸器官につながらなければなりません。父母の愛、兄弟の愛をけってしまい、大宇宙の神様の本体に和した愛の世界に入ります。霊界は愛の空気です。愛の空気でいっぱいに満ちています。それゆえ、皆さんは、今この地上世界で愛の息をすることができるパイプ装置をしなければなりません。それで、霊界の体験が必要で、霊的愛を感じることができて、呼吸することができる人になってこそ、死なないというのです。
 この地球星の母の腹の中をけってしまって立ち上がるとき、皆さんは愛の呼吸器官で息をするのです。第三の愛を受け継いでこそ、永生を得るというのです。それで、愛をつなげてどこに帰るのでしょうか。神様に帰るのです。愛の呼吸器官につながって、霊界に帰りますが、神様の本体に帰る道が残っているのです。種が出てきたなら、それは本体から出てきたために、結果を結んで本体に帰るべきです。
 それで、人生行路は、旅人の行路ですが、ここで備えるべきものとは何でしょうか。愛の体恤をして行かなければならないのです。母と父の愛をよく受けられなかったのが堕落だから、父母の愛、兄弟の愛、夫婦の愛、真の息子、娘の愛を中心として、縦的な家庭をなして、横的な環境を、東西南北に多くの家庭たちを並べておかなければなりません。それで、彼らが縦横をつなげることができる真の家庭の形態をなして、氏族圏、民族圏、国家圏、世界圏につながるようにするとき、愛でつながったその世界を天国というのです。(139―212)

 

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