正直、自分は泣くほど感動する事は少ない。
実際のところ、ももクロちゃんを見て涙する事も多分他のファンの方に比べて話を聞く限り少ない方だと思う。
記憶を辿ると、初紅白の決定直後、国立の最後のメンバーの挨拶、杏果のいない紅白のパフォーマンス、この3回くらいのような気がする。
十分多いかもしれないが・・・。
『AMARANTHUS』
このアルバムを聴き終えた時考えられないくらい泣いた。
嗚咽がでるくらい。
ももクロと出会ってから多分一番感情を揺さぶられた。
「死生観」をテーマにしたこの作品。
「死生観」を語る上で大きく2つの視点があると思う。
・自分自身の「死」に対してどう向き合うか。
・遺された人間が大切な人の「死」に対してどう向き合うか。
特典BDのドキュメンタリーでメンバーの死生観から前者の視点で答えているのが、あーりん、しおりん、杏果で、後者の視点が強いと感じたのがれにちゃんと夏菜子。
特に、れにちゃんと夏菜子の言葉は響いた。
高城れにの死生観。
「死は認められた証拠なんじゃないかって、神様がもういいよって、よくやったねって認められたから次の世界にいったんだなって思う。」
妻を失って7年、自分が折り合いをつけたのは正にれにちゃんと全く同じ考え方だった。
誰しもがきっと何かを成し遂げるために生まれてきていて、その使命を果たした時が寿命なんじゃないかって。
時間を重ねて自分の中で落としどころを見つけて、折り合いをつけていった。
苦しみ続けた彼女を見て、助けて上げられなかった事に自分を責めたこともあったけど、やっと7年かけて折り合いをつけれた。
そして、その答え合わせをしているような作品に出会えた。
間違ってないよって言ってもらえているような気になった。
そして百田夏菜子の死生観。
「やっぱ残る人の方が辛いと思うので、暗いお葬式じゃなくて明るいお葬式になるような。こっちにいる人に引きずって欲しくないし、私も引きずって死にたくない。」
百田夏菜子らしい。
きっと自分が死んだ時の「理想」そのもの。
現実を知っているから「理想」と言ってしまうけど、彼女ならその「理想」を現実に近づけていくんじゃないかと思ってしまうのが、彼女の凄いところだ。
バイバイでさようなら、この曲がもしお葬式で流れたら、こんな素敵なお葬式はないかなって。
昨年の春先、臓器移植して3年で大親友が亡くなった。
本当に穏やかでこんなに誰からも好かれる人は滅多にいないだろうという位いい奴だった。
先週彼のお母さんに会いにいった。
AMARANTHUSを聴いて、すぐに会いにいかないと、そう思ったから。
もう7ヶ月になるけど、彼女の憔悴している姿はすぐにわかった。
大事な人の「死」を受け入れるのはそんな簡単じゃない。
現実は「理想」通りにはいかない。
彼女の気持ちは痛いほど分かる。
「いっそ死んでしまった方が・・・。」そんな言葉も漏れ出ててしまう。
でも、きっと彼はそれを望んでいない。
決め付けだけど、彼は御両親が元気で前を向く事を望んでいるはずだから。
残った自分が出来ることは、きっと彼女と楽しい話をする事ぐらい。
帰り際少しだけ笑顔が見えた彼女の姿を見て、たった1ミリでも光が射してくれればいいな、そう心から思った。
結局は生きていく人間が前を向いて進む事が何よりも大事な事だから。
そして、少しだけそうやって動いてみようと思ったのはAMARANTHUSとの出会いであり、百田夏菜子がモノノフに託した「笑顔の連鎖」なんだと思う。
本当にありがとう。
彼女たちは一見底抜けに明るくて何も考えていないように見せているけど、意外なほど「死」というものを身近に接しながらここ数年は活動している。
東北との繋がり、舞台「幕が上がる」、あのポップスター、そしてモノノフのあの方・・・
人の「死」は唐突にやってきて、それをどう受け取って、考えて考えて、消化して、折り合いをつけて・・・いずれそうやって一つではない自分なりの答えにそれぞれが辿りつくものだと思う。
フォーク村で彼のハガキをいつもの明るさで紹介していたれにちゃん。
そして、桃神祭で彼の遺作を空に向けて歌い上げた夏菜子。
AMARANTHUSが圧倒的な説得力を持っているのは彼女たちがここ数年「死」に向き合ってきたからこそであり、実は身近なテーマだったからではないのか。
そして、彼女たちが表現者として初めて自我を持った作品になったのではないだろうか。
自分が死ぬ瞬間にHAPPY Re:BIRTHDAYが聴こえきたら幸せだろうな。