再生 | せいいっぱい、がんばります

せいいっぱい、がんばります

note著者。
中途の車椅子ユーザー。
IT機器や音楽やエンタメ全般をこよなく愛しております。


1982年3月のある日の夜。


春休み中の小学生の筆者は、バラエティ要素の強いティーンズ向けの歌番組をテレビで視聴。

番組終盤に、見慣れぬひとりの「少年」がテレビ向かって下手側(左側)から初々しく登場。どうやら、番組にレギュラー出演しているグループの新メンバーらしい。

番組のメインパーソナリティを務めるグループのメンバーに紹介された彼は、坊主頭にひょろっとした体格。
あいさつの口上など一挙手一投足が当時の若者像とかなりかけ離れていて、生真面目な第一印象。
筆者は幼心に、彼がグループどころか芸能界に定着できるかどうか心配した。

ところが、筆者の心配をよそに、テレビの歌番組への出演を重ねるたびにダンスが上手くなってゆき、グループでの存在感も日に日に増していった。

ある日、事務所の先輩が主演を務めるアイドル映画を見に行ったが、映画館は未曾有のすし詰め状態。筆者と母は客席後方で立ち見。
あまりの混雑に疲弊し、先に同時上映されたこのグループ主演の映画を見終えて泣く泣く帰宅。
しかし、映画本編ではなく、上映前に流れた、当時デビュー前で無名だった吉川晃司氏のデビュー作「すかんぴんウォーク」予告編での海辺でのエクソシスト歩きしか覚えていない。エクソシスト歩きに場内大爆笑だった。
当時の映画館は全席自由席で、入れ替え制はなくて一枚のチケット代で何巡でも見れることができ、立ち見席もあったほど。アイドル映画ではいつも、コンサートや今でいう応援上映さながらに、黄色い声援が飛び交っていた。

その4年後の夏のある日。
テレビのランキング形式の生放送の歌番組を視聴していたところ、このグループが新曲を引っ提げて出演。
ところが、これまでの楽曲とは違うスローな曲で、純白の衣装や楽曲や歌のパート割りや振り付けに起因するのか、ありとあらゆる面で彼がこれまで以上に際立っている。
初顔合わせから5年。彼は内面・外面ともにすっかり洗練された。楽曲終盤で左半身で指を鳴らす表情を見て、筆者は沼落ち。

ファンクラブに入会し、親に頼んでビデオデッキや音響機器を買ってもらい、事務所が運営するグッズショップが原宿に開業するやいなやツキイチで訪れ、コンサートにも何度か参戦。
部屋には、彼単独とグループと二枚もポスターを貼ったり、グッズショップでは、大人っぽいデザインのオリジナルグッズやパリの街頭のカフェでお茶しているおしゃれな撮り下ろし生写真を購入。音源リリースのたびにレコード店に足繁く通うようになり、彼がCMキャラを務めていた某カレールーの摂取量も増えた(母に作ってもらったけど)。

季節ごとに更新されるミュージカル仕立てのCMはいつも楽しく、月曜への不安が吹き飛ぶほどに夢にあふれていた。


筆者は、洋楽やロックに夢中になったことにより16歳で自然淘汰するものの、出演するテレビ番組を度々視聴したり(主演ドラマの主題歌が筆者の推しバンドだったこともラブ)、社会人になってからは、ジュニア情報局動員(ジュニア情報局経由でチケット購入、の意)ではあるものの、毎年夏恒例のミュージカルへの参戦も復活。他のメンバーが出演する舞台にも参戦。

毎年夏恒例のミュージカルのラストイヤーは、東京公演のチケットが取れず、大阪公演に参戦。費用はすべて私持ちで、大阪旅行を兼ねて久々に母と二人で参戦したが、幕間に母が「ありがとう」と涙を流して喜んでくれたことが忘れられない。
最終公演では、これまでのグループの歩みを代表曲を歌い踊りながら振り返ったが、彼らはスキルや人間的に成長していた。
以降、グループとしての活動がなくなり、メンバーはそれぞれの道へ。やがて、彼を残して他のメンバーは事務所を卒業。
事実上のグループ活動終了に合わせて発売された高額なBOX商品は、筆者にとって一生の宝物。今も、時々見たり聴いたりしている。

今年の春、所属事務所の創業者による過去の不祥事が正式に露見されてしまった。
筆者が10代の頃から、今は無き「微笑」など一部ゴシップ系週刊誌での報道や数々の噂があったが、真偽の程は当事者間にしかわからなかった。
噂レベルいえども、筆者の中で事務所のイメージが脆くも崩れ去り、以降は所属タレントそのものの人間性と実力(単純に歌やダンスや演技の上手い下手ではなく、エンタメ性)に重きを置いて見るようになった。

昔、彼のインタビュー本を読んだが、複雑な家庭環境に育ち、仕事に追われている母親に代わって家事を一手に引き受け、幼い妹さんの面倒を見たりとある種ヤングケアラー的だった彼は、創業者とその姉から実の息子のようにただならぬ寵愛を受けていた。
それだけに、一連の事態に対して複雑な胸中であるだろうと筆者は感じていた。

そして、9月某日。

背広姿に眼鏡をかけた彼は、事務所首脳陣らとともに記者会見の壇上に。
かつてテレビの歌番組や数々のステージで見せてくれた輝きはそこにはなく、終始苦渋に満ちた表情。
彼は事務所の新社長に就任し、一連の事態の被害者救済と再発防止に注力してゆくと宣言。これに伴い、芸能界は年内をもって引退するとのこと。
結果的に、若き日にグループに一番最後に加入した人間が一番最初に芸能界を引退することになってしまった。41年間、お疲れ様でした。

前述の経緯から、昔から彼こそ二代目社長に相応しいと感じていたが、二代目はこの日の記者会見に同席した人間だった。彼が三代目社長に就任した経緯は、自らの立候補なのか三代目社長らによる直々の指名なのか、そこだけはいまいちわかりにくかった。

彼は、心を鬼にして創業者と創業者の姉との事実上の決別宣言をし、質疑応答では彼らによるこれまでの非礼の数々に対する謝罪とも取れる発言をしたが、彼の元来の性格によるものなのか、全体的に「俺が救済や改革するぞ!任せてください!」的な晴れ晴れしい表情がなかった。

しかし、一部の記者達による、彼に対する極めてセクハラ的なえげつない質問だけは、社会通念上どうしてもいただけなかった。どれも、ここに書くのもおぞましいほどの生々しい質問内容だった。
しかも、不適切でえげつない質問を投げかけた記者のひとりは、彼が幼少期から20代にかけて愛読していた新聞社の所属。彼は20代当時の雑誌インタビューにて、ここの新聞を「購読料安いからおすすめだよ」的に激推ししていた。
果たして記者達は、事務所の主なファン層や、記者会見の放送時間(時間的に、幼稚園や保育園や学校から帰宅したばかりのこどもが多い)を頭に入れなかったのだろうか、そこが疑問。
仮に質問内容に対する答えが事実にせよ、記者会見の内容とは本筋がずれる内容なので、日を改めてするべきだった。

NHKの世論調査の結果では、事務所が今後信頼を回復できると思うかの質問に対し、
「できる」が33%
「できない」が43%
「わからない、無回答」が24%。だった。


一連の事件を受けて、所属タレントとのCM契約の更新や新規の起用を見合わせる企業が続出しているが、それは大きな間違い。
あくまで、故人である創業者が起こした不祥事であり、タレント本人が起こした不祥事ではない。
各企業側は、タレント本人の人間性と実力と企業への貢献度を最重要視することが人権的観点から適切。

また、NHKを含めた各テレビ局においても、いわゆる陰謀論者の集団や野次馬などによる理不尽なクレームなどに屈せず、タレント本人の人間性と実力を最重要視した上で、従来通りに出演できるようになんとか調整していただきたい。
そして、この事務所に対するすべての忖度を廃止にし、日本中のすべてのタレントに対して平等に出演できる機会を与えて欲しい。

また、事務所名と一部のグループ名は、変更する必要性が極めて高い。
筆者は35年前、ある卒業生による暴露本の出版以降、事務所の名前やその頭文字や創業者の名前を見るだけで拒否反応が出始めた。所属タレントは大好きでも、事務所そのものは完全に苦手になってしまった。
事務所名を見聞きするたび、被害に遭われた方たちだけではなく、ファンや一般人の眼には、創業者の不祥事が真っ先に浮かんでしまう。
補足するが、タレント本人達による日頃の努力と人間性に依るところが大きいにせよ、不祥事や性癖は抜きにして、創業者の卓越したプロデュース能力や演出力の高さ、レッスン時に大量のハンバーガーを差し入れるなど、貧しい家庭のこども達を大切にしている点については尊敬している。

所属タレントやファンクラブ会員や一般を対象に、事務所の新名称を広く一般公募して、一連の事態の補償や再発防止や忖度終了を通じて膿を完全に出し切り、クリーンでコンプライアンスを遵守した健全な運営になることを誓う必要性が極めて強い。

35年前に放送された、春の新番組特番でのVTR。初めての時代劇の撮影が長時間に及び、ちょんまげに着流し姿の疲労困憊な身体で彼はこう言い放った。
「労働基準法違反ですよ⁈」と。
現在は法改正の影響でロケ時間が幾分短縮されていると思われるが、当時はアンタッチャブルだった。

また、ドラマの役作りでホストクラブを訪れた際に野菜スティックを注文したところ、「あまりにも高過ぎる」とこぼしていた。

ドラマでは極めて地に近い、刑事や医師や会計士など、お堅い役柄が多かった。

また、幼い頃からファンだったアクション女優が結婚したニュースを受けてテレビ局のトイレで人知れず悔し泣きしたエピソードや、アニメのサザエさんは「タラちゃんと同じ歳(三歳)の頃から見ている」(1988年当時)との発言を筆者は今でも覚えている。

トークショー的なテレビ番組の冒頭でしばし使われた、頭に哺乳類を載せた赤ちゃん時代の写真、とても愛くるしかったなあ。

筆者としては、被害者救済が滞りなくに終了して再発防止策がまとまった以降は、何年かけてでも他の首脳陣やスタッフや所属タレントやファンと一丸となり、透明性の高い優良かつ健全な事務所に再生してくれることに期待している。

ところで、聖地・青山劇場の跡地はどうなるのだろうか?

【9月19日追記】一応、元メンバー達の本人アカウントを見たが、本件について「ノーコメントとする」(って全然なってない)的な物も含めたツイートが本日までに一件もない…。彼は、加入当初は他のメンバー達に大幅な遅れを取っていたが、必死に努力してグループに馴染めたのに…。
長年同じ釜のくしをめった、いや、同じ釜の飯を食った仲間のひとりとして相手を名指ししないまでも、何らかの発言があっても良いのに…。
こちらが心配しなくとも、SNSに書かずとも、LINEやメールや電話で内々にやり取りしていることを祈りつつ…。