兎にも角にもヤバかった、闇の帝王か冥府の覇王かという三毒様の毒気にあたって硬直していた私。
ホプレガさんの、癒しのオーラに救われました。

でも、そこに行き着くまでがエグかった(・_・;


スイッチを押せば1つが失われ、押さなければ5つが失われる。
さあ、どうする?
いきなり突きつけられる選択。

スイッチを押しますか?

ここで客席にライトが当たる。

え、何これ?
私達に聞いてるの?
私達が決めるの?
こっわ!
責任重大?

実際私達の誰かが選択権を与えられて、スイッチをどうこうするわけではないんですけれど、何か責任を負ったような気になります( ̄▽ ̄;)

結局、あなたの選択によりスイッチは押され、その結果1つが失われてしまった。
私の選択なのか(・_・;!
5つが、より多くが救われたならいいじゃない?なんて、そういう簡単なモノでも無いよね。消された1つの身になったらねえ(ー ー;)

結弦さん、なんだかんだ見る物に投げかけて来るから油断なりません。
でもまあ癒しの妖精さん降臨して、ちょっと落ち着いたわ。

なんて思ってたら、

『ねえ、油断し過ぎだよ』

みやかわくんの声が聞こえた気がする(幻聴ですw)


戦い続けることを選んで、ゲームを続ける選択をしたのは誰?
結弦さん?
それとも私?


ここから圧倒的にこだわりまくった映像世界が展開されて、結弦さん、特撮ヒーローかゲームの中のキャラクターのようです。
ロンダードとジャンプを繰り返し、華麗にターンして、落ちてくる巨大キューブを避けまくる!
なんかもう、役者のお仕事はしないとおっしゃっていたけれど、アクション俳優全然イケそうです。
芝居、出来るじゃありませんか。

この映像の中で、象徴的な台詞が出ましたね。

1回死んでやり直そう

これがこの壮大なICE STORYの要になるワードでしょうか。
次のプログラムが、ショーのコンセプトをサジェストしているようです。




ゲームから抜け出したキャラクターそのままのような結弦さん。

音楽を使わず自身のブレードの音で何を表しているのか、この動画を見るとなんとなくそうかな?と思えることが。


フィギュアスケートで、音楽無しの身体表現だけで観客が沸くというのも普通なら考えられないのですけれど、結弦さんの場合は決めポーズとかスピンのポジションとか、全てがいちいちかっこいいからそうなるよね。


メガロヴァニアというこの曲、Undertaleというゲームの音楽だそうで、サンズというキャラクターと対戦するときのみ流れるのだそうです。

この曲については、こちらがわかりやすいかな。






このゲームがまた独特なようで、最後まで「戦わない」という選択肢があるそうです。

ん?

戦ってレベルを上げて、進んで行くんじゃないんかい?

この辺りは、このゲームを知らない私にはよくわからないのですけれど💦

ちょこっと調べてみたところ、全く戦わないニュートラルルートというのと、もう少し面倒なルートと、ゴリゴリに戦いまくるGルートというのがあるようです。(なんか間違ってたらごめんなさいですけど🙇‍♀️)

Gルート。

「genocide」のGなのか?

虐殺ルートというらしいです。こわ…😨


https://gamepedia.jp/undertale/archives/213



結弦さんが滑るメガロヴァニアは、Gルートでモンスターを殺しまくって最終戦である対サンズ戦までたどり着かないと聞くことの無い曲。

けれど、ゲームを知っている方によるとニュートラルルートをプレイしないとわからないような台詞も出て来るそうなので、結弦さんは全ルートをみっちりやり込んでいるのではないかということでした。

さすがトップオブゲーオタ(⌒-⌒; )


上に貼ったサンズ戦の動画。

ちょっと切ない。


プレイするルートや選択肢によって、プレイヤーとサンズとの関係性が変化したりするんですね。友達になりたがったり、見逃してくれようとしたりするの?

Gルートだと、サンズはゲームをクリアするために、最後は必ずプレイヤーによって、プレイヤーの「固いケツイ」によって、殺される。決してサンズが勝つことは無い。

なぜなら、プレイヤーは、何度死んだとしてもリプレイ出来るから。

更にサンズは、どんな経験を積もうが、どんな思いを持とうが、何を積み上げて来ようが、リセットされれば無になってしまう。

そしてまた否応無く、殺されるための戦いの場に置かれる。

戦ったり面倒なことはしたくない。

そして、絶対勝てない殺し合いなどしたいわけがない。

それでもプレイヤーがcontinueを選択する限り、戦い続けて殺され続ける。

めちゃくちゃ切ないキャラクターじゃないですか?

ゲームオーバーまで、同じ所をずっとぐるぐる回り続けるんですね。



もしかして、メガロヴァニアの振り付けはそれを表しているの?なんてちょっと思ったりして。


多彩なスピンとトウアラビアン、ツイヅルとシットツイヅル。

息を止めて、筋肉を酷使して、ずっと回り続ける結弦さん。

もともとジャンパーというよりスピナーである結弦さんの、見事なスピンの数々を堪能出来る贅沢なプログラムですねえ。もちろん、ジャンプも極上の一級品ですけれど。

やってるご本人は、めちゃくちゃしんどいでしょうけれど(⌒-⌒; )

羽生結弦のスピンを愛でる会(何それw)会員の私としては、私得プログラムです。



ちょい脱線しました。


メガロヴァニアは、生きることの意味を問うたプログラムではないか?


「人生を止めない限り、『生きる』ことは続いて行く」


結弦さんは、言いました。


考えようによっては無意味に思えるサンズの人生(人ではないけれど)。

そして、プレイヤーによって翻弄される人生。

それでもゲームが続く限り、生きている。

生きるって何?

サンズの問いかけが聞こえるような気がします。


私の人生って何?

私はなぜ生きてるの?


難しい、答えの出ない問いです。